タイトル:コーネリアス・ヴァンダービルト:鉄道王

(Public Domain/‘Cornelius Vanderbilt, the “railroad tycoon”’ by J. C. Buttre. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

コーネリアス・ヴァンダービルトは1794年5月27日ニューヨークのスタテンアイランドに生まれた実業家です。海運業と鉄道業で財を成し、アメリカ史上もっとも裕福な人物の一人に数えられています。そんなコーネリアス・ヴァンダービルトの人生について詳しく解説していきます。

■コーネリアス・ヴァンダービルトの幼少期

※ニューヨークのスタテンアイランド

コーネリアス・ヴァンダービルトは1794年5月27日ニューヨークのスタテンアイランドに生まれました。少年のころから父のフェリー業を手伝っていたものの、16歳で自分のフェリー業をはじめることを決意。積み荷用の小さな船を購入し、スタテンアイランドとマンハッタンの間を運行するフェリー業を開始することになります。

1813年12月19日になると、おばのエリザベス・ハンド・ジョンソンの娘で従妹である隣人のソフィア・ジョンソンと結婚。マンハッタンのブロード・ストリートの下宿に入居し、義理の兄弟であるジョン・デ・フォレストからスクーナー「シャーロット」を購入し、食料品や商品の取引に利用し利益を得るようになっていきました。またその一方フェリー業者のトーマス・ギボンズからニュージャージー州とニューヨークの間を航行する蒸気船の船長になるよう要請されたこともあり、ギボンズの仕事も兼任するようになっていきました。

■蒸気船での起業

※画像はイメージです

1826年にトーマス・ギボンズが亡くなると、その後はギボンズの息子ウィリアムと共に働いていたものの、その後は本格的に蒸気船の仕事に取り組むようになっていました。当初はニューヨークと他の地域への路線拡大を行っていたものの、ニュージャージーに向かうギボンズのフェリーを引き継いだのち、ロングアイランド湾西に以降。また1830年代には産業革命によりニューイングランドに多数の繊維工場が建設されたこともヴァンダービルトを後押ししました。

またヴァンダービルトはほかの多くのビジネスも稼働しており、マンハッタン及びスタテンアイランドの膨大な土地を購入。1838年にはフェリーを買収し、広大なビジネスを展開。1830年代にはアメリカ海軍の最高ランク「代将」と呼ばれるようになっていきました。「代将」という言葉はその後蒸気船企業家をさす一般的な言葉になっていきました。

■南北戦争

※画像はイメージです

1861年に南北戦争がはじまると北軍海軍に蒸気船ヴァンダービルト号の寄付を計画。海軍長官を務めていたギデオン・ウェルズはこの戦争が短期間で終わると見込み、操業やメンテナンスに莫大な金額がかかることを憂慮して断ったものの、陸軍省の貸し出し出されることになります。

しかし海軍装甲艦バージニア号はバージニア州ハンプトン・ローズで大艦隊を受けたことにより、陸軍長官のエドウィン・スタントンと大統領エイブラハム・リンカーンはヴァンダービルトに援助を要請。こうした経緯を経て、ヴァンダービルト号は海軍に寄付されることとなり、北軍の大きな戦力となりました。またバージニア号を巡洋艦に作り替え、ニューオーリンズへの遠征に備えて大掛かりな装備を施すなど、ヴァンダービルトが軍への協力を惜しむことはありませんでした。

■鉄道王として

(Public Domain/‘”The Great Race for the Western Stakes, 1870,” Cornelius Vanderbilt versus James Fisk; Currier & Ives lithograph.’ by Currier and Ives. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

その後鉄道業に進出。オールバニからニューヨークにいたるニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道を所有していたヴァンダービルトはニューヨーク・セントラル鉄道を買収し、接続させることを望んでいたものの、ニューヨーク・セントラル鉄道側はこれを拒否。そこでヴァンダービルトは故意にニューヨーク・セントラル鉄道への接続を拒否したことにより、旅客は厳寒期に端を歩いて糊継がさなくてはなりませんでした。ニューヨーク・セントラル鉄道は訴訟に持ち込んだものの敗訴し、その際ニューヨーク・セントラル鉄道の株価は暴落。ヴァンダービルトは株式を買い占め、乗っ取りに成功します。

次いでヴァンダービルトはニューヨーク・セントラル鉄道のライバルであるエリー鉄道の買収を試みたものの、経営陣はまたも拒否。ヴァンダービルトはエリー鉄道の株式を買い占めたものの、違法に株式の増刷を繰り返すなどしてヴァンダービルトに対抗していきました。この件も訴訟に持ち込まれたものの、結局ヴァンダービルトが買い占めに用いた金額を一部返却することで和解することになります。

そうして鉄道を買収していったヴァンダービルトは、「鉄道王」と呼ばれるようになり、自社の鉄道路線を用いる際にはプライベートカーに乗って移動するほどでした。ヴァンダービルトの資産はこの当時最大とされる7500万ドルに達していたといわれています。

■晩年

(Public Domain/‘”Cornelius Vanderbilt, head-and-shoulders portrait, slightly to left, with side whiskers”. Half plate daguerreotype, gold toned.’ by Produced by Mathew Brady’s studio, restored by Michel Vuijlsteke. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そうして1台のボートから海運業、鉄道業と財を成していったヴァンダービルトだったものの、後継者にしようと思っていた末息子ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルトが病気で亡くなるなどの不幸に見舞われることもあり、ヴァンダービルトは次第に孤独を感じるようになっていきました。

晩年は慈善活動にも精を出すようになり、教会や大学への寄付を行っていたものの、1877年1月4日には死去。82歳の生涯を閉じることになります。

■その後のヴァンダービルト家

(Public Domain/‘Vanderbilt Mausoleum, Moravian Cemetery, New Dorp, Staten Island’ by Produced by Mathew Brady’s studio, restored by Staten Island post cards / Bridges. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴァンダービルトが亡くなった際には、多額の遺産が残され、法廷闘争は1年以上続くことになります。結局遺産の兄弟分ヨを増額し、弁護士費用も用立てたウィリアム・ヘンリーの完全勝訴となったものの、1882年には9子であるコーネリアス・ジェレミア・ヴァンダービルトは自殺、またジョージ・ワシントン・ヴァンダービルトも南北戦争に病で亡くなるなど、ヴァンダービルト家は度重なる不幸に見舞われました。

ヴァンダービルトの跡を継いだ長男ウィリアム・ヘンリーは父によって有能な実業家となるよう厳しい教育を受け、19歳でニューヨークの銀行に入社。父の事業を引き継いだのちは、積極的に鉄道業を拡大させていきました。またキリスト教青年会やメトロポリタン歌劇場の創設、コロンビア大学医学部などに寄付を行ったことでも知られています。

■おわりに

コーネリアス・ヴァンダービルトは1794年5月27日にニューヨークのスタテンアイランドで生まれ、一層のボートから海運業で身を起こし、蒸気船で事業を拡大、その後は「鉄道王」と呼ばれるまでに事業を拡大したことで知られています。

アメリカ史上もっとも裕福な人物の一人に数えられているものの、可愛がっていた末息子を失うなどの不幸に見舞われ、晩年は孤独だったとも言われています。ヴァンダービルトの人生は起業家としてのパワフルな生き方を教えてくれるとともに、家族や周囲の人々への在り方も示唆してくれているのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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