サラ・ブレイクリー:スパンクスの創業者

サラ・ブレイクリーは1971年2月27日アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーターに生まれた実業家です。アパレル企業「スパンクス」の創業者として知られており、2012年にはタイムズ紙の世界でもっとも影響力のある100人に選ばれたことでも話題になりました。そんなサラ・ブレイクリーについて詳しく解説していきます。

■サラ・ブレイクリーの若年期

※アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーター

サラ・ブレイクリーは1971年2月27日アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーターに生まれました。父ジョン・ブレイクリーは弁護士であり、芸術家としても活動していました。その後クリアウォーター高校に通った後、フロリダ州立大学でコミュニケーションの学位を取得して卒業しています。

ブレイクリーは父と同じく弁護士になることを望んでいたものの、ロースクールの入学試験で低い点数を取ったため、他のキャリアを考えるようになっていきました。その代わりフロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールドで3カ月働き、その間にはスタンダップ・コメディアンとして働くこともありました。

■スパンクスの創業

その後ブレイクリーは事務用品を販売するダンカに就職し、ファックス機を訪問販売し始めます。ブレイクリーは非常に有能なセールスパーソンで、25歳で全国トレーナーに昇進するほどでした。その販売の際セールスパーソンは、蒸し暑いフロリダの気候でパンストを履かなくてはなりませんでした。パンストを履かなければパンティーラインが見えてしまうし、オープン・トゥのパンプスをきれいに履きこなすこともできません。

そんな悩みを抱えていたブレイクリーは、ある日パーティに出席した際、ストッキングの足部分を切ったものを着用。このアイデアを実用化するべく営業の仕事を続けながら、ブレイクリーは製品化の計画や販売店を訪問したりといった活動を行っていきました。その時のブレイクリーの貯金はわずか50万円ほどでした。

その後主婦に人気の「オプラ・ウィンフリー・ショー」のスタイリストにスパンクスを送ったところ、番組で取り上げられ、一躍大人気となりました。今ではビヨンセやニコール・キッドマンをはじめとする多くのセレブリティーから絶賛されており、年間2億5000万ドルを達成するまでになっています。

■スパンクスとは

※画像はイメージです

以下ではブレイクリーが創業したスパンクスの成長について詳しく解説していきます。会社の設立以降ブレイクリーの当時のパートナーが最高執行責任者になったものの、2001年にはアトランタのサックス・フィフス・アベニューでローリー・アンゴールドマンに出会ったことにより、ゴールドマンは2002年にスパンクスのCEOに就任。2014年のコリン・リーヘイの寄稿によれば、「ゴールドマンは大きく考え、小さく始め、迅速に拡張する」というポリシーをスパンクスに導入した人物であり、大きな影響を与えました。

その後ゴールドマンはスパンクスの責任者を10年以上務めた跡、2014年2月には会社を辞任。その後はベネフィットウェアやスチュアート・ワイツマン・ホールディングス、パフォーマンス&ライフスタイルグループの経営者を務めていたグレッグ・リバットが最高経営責任者に任命されました。またこのころスパンクスでは、ブレイクリーがもとより望んでいた快適なハイヒールの靴の販売にも力を注ごうとしており、リバットの就任によって靴関連事業にも議論が深まることとなりました。

■慈善活動

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こうしたビジネス活動のほかにも、ブレイクリーは教育と企業家支援、そして女性支援を行うサラ・ブレイクリー財団を設立。同じく企業家として知られるリチャード・ブランソンはブレイクリーのメンターとしてブレイクリーをサポートし、財団を設立するための75万ドルを小切手で支払い、ブレイクリーを驚かせました。

またサラ・ブレイクリー財団は南アフリカのCIDAシティキャンパスで若い女性が学ぶための奨学金を提供しています。2006年にブレイクリーがオプラ・ウィンフリー・ショーに出演した際には、オプラ・ウィンフリー・リーダーシップ・アカデミーに100万ドルを寄付しています。

その他にも2019年にはオリビア・ニュートン・ジョンがグリースで着用した黒いパンツを16万ドルあまりで落札。その収益はオーストラリアのメルボルンにあるニュートン・ジョン・がん治療センターに寄付されることになりました。2020年には新型コロナウィルスのパンデミックにより経営が悪化した中小企業を支援するために500万ドルを寄付しています。

このようにブレイクリーの慈善活動は多岐にわたっているものの、女性の支援という点では共通しており、いかにブレイクリーが今後の女性の社会進出を重要視しているかがわかります。

■父の教育

※画像はイメージです

そうしてタイムズ紙のもっとも影響力のある100人やフォーブス誌の世界でもっともパワフルな女性に選ばれたブレイクリー。そんなブレイクリーの成功のきっかけとなったのは、父の教育でした。

ブレイクリー家では幼いころから家族での会話を楽しんできました。そんな際にブレイクリーの父が子どもたちにかけたのは「今日は何に失敗したの?」という質問でした。親はその日できたことを質問しがちですが、何に失敗したのか、そこから何を学んだのかという気づきを子どもに与えることはとても重要なことと言えます。こうした教育を受けた結果、ブレイクリーは営業やスパンクス創業時に工場や消費者から断られ続けるというつらい状況にも耐え、一大企業を運営することができているのです。

■おわりに

サラ・ブレイクリーは1971年2月27日アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーターに生まれ、スパンクスの創業者となった人物です。ブレイクリーは当初弁護士になることを望んでいたものの、ファックス機の訪問販売でより快適な下着についてのアイデアを思いついたことからスパンクスを創業。オプラ・ウィンフリー・ショーなどに取り上げられ、今ではセレブリティーたちが必要不可欠と絶賛されるほどの商品となりました。

ロースクールでの失敗や創業の苦悩などさまざまな困難に見舞われたものの、ブレイクリーがスパンクスを大手企業にまで成長させたのは父ジョン・ブレイクリーの教育があったからと言えます。ビジネスパーソンとして働くためには、幼いころどのようなことを学んだかもまた重要といえるのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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