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ジェームズ・ヒルトン:『チップス先生さようなら』『失われた地平線』を執筆した小説家

※画像はイメージです

ジェームズ・ヒルトンは1900年9月9日イギリス、ランカシャーに生まれた小説家です。『失われた地平線』や『チップス先生さようなら』といった作品を執筆したことで有名で、脚本家としてアカデミー賞を受賞したことでも知られています。そんなジェームズ・ヒルトンの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ジェームズ・ヒルトンとは

※ランカシャーのリー

ジェームズ・ヒルトンは1900年9月9日ランカシャーのリーに生まれました。1914年までモノーカレッジで教育を受けたのち、ケンブリッジ大学に進学。英文学で優秀な成績を収めて卒業したのち、ジャーナリストとして働き始め、マンチェスター・ガーディアンやデイリーテレグラフに文芸評論を寄稿するようになり、一部の評論家からは認められるようになったものの、いまだ無名の域を出ることはありませんでした。

しかし1933年ブリティッシュ・ウィークリー誌のクリスマス特別号から連載した『チップス先生さようなら』がアメリカのアトランティック・マンスリー誌に転載されて好評を博し、それまでの作品も高く評価されるようになっていきます。これらヒルトンの作品は映画化されることになり、それに伴って1937年にはハリウッドに移住。その後執筆した『私たちは孤独ではない』『忘れえぬ日々』などもベストセラーを重ねていきます。

※カリフォルニア州のロングビーチ

1942年には『ミニヴァー夫人』でアカデミー脚色賞を受賞。小説家としても脚本家としても活躍していたヒルトンだったものの、1954年にはカリフォルニア州のロングビーチで肝細胞癌のため死去。54歳でその生涯を閉じることとなります。

■ジェームズ・ヒルトンの作品と作風

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ヒルトンの作品はイギリス社会の美徳や欠点を描いたものとされ、『チップス先生さようなら』や『失われた地平線』は感動を呼び起こす作品として称賛されてきました。またその一方で『私たちは孤独ではない』では戦時中の熱狂によって引き起こされた合法リンチの物語を描くなど、ヒルトンは感動する物語ばかりではなく、イギリス社会を冷静な目で観察し正負両方の側面から作品を執筆したことで評価されました。

そんなジェームズ・ヒルトンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『失われた地平線』 1933年

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本作は1933年に制作された作品で、イギリスのパスクル駐在領事だったヒュウ・コンウェイが熱病で一度記憶を失い病院に搬送されたのち、上海から日本経由でサンフランシスコに向かう船旅の中で記憶取り戻したラザフォードがその経験を書き留めていくという形式で執筆された作品です。1937年および1973年に映画化されたことでも話題になりました。

1931年のアフガニスタン。パスクル駐在領事であった37歳のコンウェイは80人の白人移住者を避難させる任務についており、最後の3人とともに政府手配の小型機に乗り帰国の途に就くことになります。しかしその操縦士は別人でアリ、飛行機はペシャワールではなくチベット奥地へ向かってしまいます。最後には乱暴な着陸をし、操縦士は近くにラマ教の僧院があることを言い残して亡くなり、一行は途方に暮れることに。しかし夜が明けると中国人の一行がやってきて、4人をシャングリラの僧院に案内するのでした。

僧院は冷暖房やバスタブ、図書室やグランドピアノをはじめとした楽器もそろえてあり、食料はすぐ近くの谷で豊富に生産されているほか、金鉱によって外部からの購入にも不自由しないまさに「理想郷」でした。4人は外部にでることなく、特にコンウェイはシャングリラを好ましく思うようになっていました。

その後コンウェイは最高位のラマの僧侶「大ラマ」と会う機会を与えられ、僧院は53歳でこの地に来たカプチン会所属のカトリック神父ペローによって創建されたこと、そして大ラマは250歳以上という長寿を得たペローその人だったのでした。またシャングリラでは20年近く来訪者がおらず、今回新しく外部者を受け入れる機会があったため、コンウェイを連れてくることになったという事情を話すのでした。

何回か大ラマとの対面の後に、シャングリラの歴史と運命をコンウェイにゆだねたいと言い残して、大ラマは死去。唯一シャングリラを出ると決意していたマリンソンの付き添いとしてコンウェイはシャングリラを出たものの、そこでコンウェイの手記は終わっています。

・『チップス先生さようなら』 1934年

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本作は1934年に執筆された作品で、全寮制の男子校で教育に携わった男性教師の反省を描いた作品で、ヒルトンの代表作となった作品です。

1928年のイギリス。チッピングは15年も前にパブリックスクールの教師を退職していたものの、始業式に出席しようとして、風邪を引いているのだから安静にするようにと医師から忠告されてしまいます。そんなチッピングは1870年新任直後を思い出していくのでした。

普仏戦争のさなかの1870年。25歳のチャールズ・エドワード・チッピングはラテン語の新任教師としてブルックフィールド・スクールに着任。しかし初日から生徒たちによる悪ふざけの標的となり、校長からはプレッシャーを受けてしまいます。そこでチッピングは教室内に厳格な規律を導入。しかし結果生徒たちはクリケットの試合に出ることもできず、チップスは憎まれる存在となってしまいます。

中年に差し掛かったある日、ドイツ語の教師マックス・ステュフルから休暇中のオーストリアでの徒歩旅行に強引に誘われたチップスは、そこで婦人参政権論者のキャサリン・エリスと出会い、恋心を抱くようになります。やがてチッピングとキャサリンはウィーンで再会し、結ばれることになるのでした。

キャサリンは毎日のように生徒たちを家に招待し、「チップス」というニックネームで夫を呼んでは、親しみのある教師になる手法を示していきました。生徒たちはやがてチップスに親しみを感じるようになり、チップス自身も教師という仕事にやりがいを感じるようになったものの、キャサリンは出産時に赤ちゃんと共に亡くなってしまいます。

■おわりに

ジェームズ・ヒルトンは『失われた地平線』や『チップス先生さようなら』をはじめとして20世紀イギリス文学を代表する作品を執筆した小説家です。その作品はイギリス社会の正負両方の側面を表しており、ヒルトンの深い観察眼を示しています。これを機にぜひヒルトンの作品を読んでみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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