シャーロット・ブロンデ:『ジェーン・エア』を執筆したブロンテ三姉妹のひとり

シャーロット・ブロンテは1816年4月21日イギリス、ヨークシャーのソーントンに生まれた小説家です。イギリス近代文学に残る『ジェーン・エア』を執筆したことで知られており、社会に反抗する主人公の姿は大きな反響を呼びました。そんなシャーロット・ブロンデの人生と作品について、詳しく解説していきます。

■シャーロット・ブロンデとは

※イギリスのヨークシャー、ソーントン

シャーロット・ブロンデは1816年4月21日イギリスのヨークシャー、ソーントンに生まれました。父パトリックは牧師であり、兄弟たちに囲まれて穏やかに過ごしていたものの、ハワースに引っ越したのち1821年には母マリアが死去。その後は叔母のエリザベス・ブランウェルによって育てられることになります。

その後姉マリアやエリザベスと共にコワンブリッジの学校に入学することになったものの、学校の衛生環境がひどいものだったため、姉のマリアとエリザベスは体調を崩し、帰らぬ人となってしまいます。その後シャーロット、エミリー、アンの三姉妹は実家に戻ることになり、父と叔母エリザベス・ブランウェルから教育を受けることとなしました。しかしその環境は極めて恵まれたもので、さまざまな書物に触れた結果文学の素養のある少女に育っていきました。

時には1歳年下の弟ブランウェルと共に「アングリア物語」など多くの詩や戯曲などを執筆していたブロンデだったものの、1842年にはエミリーと共にベルギーのブリュッセルにあるコンスタンティン・へーガーとその妻が経営する学校に入学。その途中叔母が亡くなったため、イギリスに戻ったこともあったものの、極めて優秀な成績を残し、卒業しています。

※イングランドのハワース

故郷に戻ったシャーロットはほかの姉妹と共に私塾を開いたものの、ハワースが田舎だったこともあり入学希望者が現れることはありませんでした。このころ父が体調を崩したため、シャーロットはその看病にあたるようになり、その合間に詩や小説を執筆。1846年にはカラー・ベルの筆名で『詩集』を出版したものの、2部しか売れることはありませんでした。それでも執筆をつづけ、1847年10月には『ジェーン・エア』を発表。しかしその間にブランウェルが31歳で亡くなり、エミリー、アンも立て続けに亡くなってしまいます。

その後シャーロットはロンドンに出て、ギャスケル夫人やサッカレーと交流するようになり、新進気鋭の女性作家として注目されるようになっていきました。1849年には『シャーリー』、1853年には『ヴァイオレット』などを発表し、私生活では副牧師のアーサー・ニコルズと結婚したものの、妊娠中毒症により38歳で死去。その生涯を閉じることとなります。

■シャーロット・ブロンデの作品

シャーロット・ブロンデの作品は、小説としては『ジェーン・エア』のほか数点、そして詩集と決して多作な作家ではありません。しかしその社会に反抗する主人公の姿は大きな反響を呼び、文学界にも大きな影響をもたらしました。そう言った意味ではイギリス近代文学において極めて高い功績を残した人物といえるでしょう。

そんなシャーロット・ブロンデの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『ジェーン・エア』 1847年

※画像はイメージです

本作は1847年に発表された作品で、当初は当時の出版事情を鑑みて「カラー・ベル」という男性名で発表されました。孤児ジェーンが住み込みの家庭教師として働く家の主人と結ばれるまでの姿を描いた作品で、強く生きる女性像はヴィクトリア朝の文学に大きな影響を与えました。

ジェーン・エアは両親を亡くして孤児となり、叔母に育てられていました。しかし叔母は亡き夫に頼まれて仕方なく子どもたちとともにジェーンを育てていただけであり、その接し方は虐待そのものでした。10歳になるとジェーンは寄宿学校ローウッド学院に送られ、優しいテンプル先生やヘレン・バーンズと出会うことになります。しかし学校は不衛生そのものであり、ヘレンは結核にかかって亡くなってしまいます。

その後生徒としては6年、教師としては2年間ローウッド学院で過ごしたのち、ジェーンはソーンフィールド邸で家庭教師として働くことになります。ジェーンの働きぶりを見たソーンフィールドの当主ロチェスターはジェーンに惹かれプロポーズ。ジェーンは承諾し、2人は結婚式を挙げるものの、結婚式当日になって狂人となった妻がいることが判明してしまいます。当時の法律では重婚は厳罰であったため、ジェーンは結婚を断って一人ソーンフィールドを出るのでした。

しかしその後の身の振りを準備していなかったジェーンは路頭に迷い、行き倒れになってしまいます。そこを牧師セント・ジョンとその妹ダイアナとメアリーに助けられ、その家に身を寄せることになります。

その後ジョンとその妹たちはジェーンのいとこであることが発覚。ジェーンはジョンやダイアナ、メアリーとともに勉学に励んでいくのでした。

勤勉に学ぶジェーンを見たジョンは、宣教師の妻となりインドに同行することをジェーンに求めるようになります。ジェーンは信仰心からジョンの申し出を受けようとしたものの、ジョンに対して恋愛感情を抱いていないため果たして良い決断といえるのか、迷う日々が続きました。

そんな時ロチェスターが自分を求める声を聞き、慌てて館を訪れると、ロチェスター夫人は火事で亡くなり、ロチェスター自身も片腕を失い、盲目になってしまっていました。ジェーンnは財産も年齢も健康体も愛の前では何ら障害ではないと語り、2人は静かに結婚式を挙げるのでした。

■おわりに

シャーロット・ブロンデは1816年4月21日イギリスのヨークシャー、ソーントンに生まれた小説家で、『ジェーン・エア』を執筆したことで知られる人物です。他の姉妹同様、短い生涯を遂げたのにもかかわらず、イギリス近代文学に残る名作を執筆し、その後の小説家たちに大きな影響を与えました。

38歳という短命でこの世を去ったシャーロット・ブロンデですが、もしより長い人生を歩んでいたらどのような作品を世に送り出していたのでしょうか。『ジェーン・エア』は現代にまで読み継がれ、映画化・舞台化もなされています。これを機にぜひ『ジェーン・エア』をはじめとしたシャーロット・ブロンデの作品を読んでみてはいかがでしょうか。

ブロンテ牧師館博物館の公式ホームページ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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