ジャン・エルマン:小説家、脚本家、映画監督として多彩な才能を発揮する映画監督

※画像はイメージです

ジャン・エルマンは1933年フランスのムルト=エ=モゼル県のパニ=シュル=モゼルに生まれた映画監督です。ロベルト・ロッセリーニやヴィンセント・ミネリらの助監督を務めたのち映画監督としてデビューしました。また1973年にはジャン・ヴォートラン名義で小説家としても活動しており、短編集「パッチワーク」ではドゥ・マゴ賞を受賞するなど、映画監督のほかにも小説家、脚本家としても才能を発揮しています。そんなジャン・エルマンの人生と作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

■ジャン・エルマンとは

※フランスのムルト=エ=モゼル

ジャン・エルマンは1933年フランスのムルト=エ=モゼル県のパニ=シュル=モゼルに生まれました。オーセルの高校を卒業すると、パリの高等映画学院に入学し1955年に卒業。その後は高校教師などの仕事をしていましたが、映画への希望を捨てきれず映画業界に足を踏み入れることとなります。

1956年以降はロベルト・ロッセリーニやヴィンセント・ミネリといった映画監督の助監督として制作に携わり、1960年には短編映画で監督デビュー。その後は『さらば友よ』や『太陽の200万ドル』といった作品を制作し、話題になりました。

その一方でエルマンは小説家としての才能もあり、1973年には長編「À bulletins rouges」を発表して小説家としてもデビュー。小説家として活動する際にはジャン・ヴォートランの名前を使うようになります。また1979年には『鏡の中のブラッディ・マリー』でミステリー批評家大賞を受賞し、1984年には短編集『パッチワーク』でドゥ・マゴ賞を受賞。こうした文才は映画製作にも生かされており、脚本を手掛けることもありました。

そうして映画監督としてはもちろん、小説家、脚本家としても活動していたジャン・エルマンでしたが、2015年には82歳で死去。その多岐にわたる活動は、後世の映画監督たちに大きな影響を与えています。

■ジャン・エルマンの作品

※画像はイメージです

ジャン・エルマンの作品は戦後のフランスや犯罪を主題とした作品が多く、特に登場人物たちの心情を細やかに表現していることで知られています。それはエルマンが小説家や脚本かとしても活動していたことが影響していると考えられ、作品をさまざまなアングルから制作することができた映画監督といえるでしょう。

そんなエルマンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『ジェフ』 1969年

※画像はイメージです

本作品は1969年に制作された作品です。アラン・ドロンやミレーユ・ダルクといったフランスを代表する俳優たちが出演したことで話題になりました。

「ジェフ」と呼ばれる男たちとその仲間たちが宝石店を襲撃して大量のダイヤモンドを奪うシーンから物語始まります。しかし事件ののちボスであるジェフは姿を隠し、行方知れずとなってしまいます。仲間たちはジェフを追い始めるものの、主人公はひとりジェフが戻ることを信じるようになります。しかしその姿勢は仲間たちの対立を招き、やがてギャングたちは仲間割れをすることになります。

・『さらば友よ』 1968年

※画像はイメージです

本作品は1968年に制作された作品で、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演し、ブロンソン人気に火をつけた作品として知られています。

アルジェリアの外人部隊から帰還した軍医バランは広告会社に勤める女ジョルジュ=ピコから黙って持ち出してしまった債権を会社の金庫に戻してほしいという奇妙な依頼を受けます。バランと同じく戦争から戻ったプロップもまたその仕事に興味を持ち、2人は協力して金庫に潜入することになります。

2人は債権ばかりでなく、金庫の金も奪い取ろうという魂胆で金庫破りに挑みますが、ようやく空いた金庫の中には金はなく、しかも二人は金庫に閉じ込められてしまいます。

・『太陽の200万ドル』 1971年

※画像はイメージです

本作品は1971年にイタリア・フランス共同で制作された犯罪映画で、アンリ・シャリエールが原作と脚本を執筆しました。

舞台は南米アマゾンの奥地にある小さな町ビスタ・アングレ。この町にはダイヤモンド鉱脈があり、シルバが経営する「ユラリ・キニエラ・ダイヤモンド会社」がダイヤモンド発掘を一手に引き受け、外国に売りさばいていました。

ある日マルコという男が率いるグループが街にやってきます。マルコの情婦でストリッパーのポプシー・ポップのショーにシルバをはじめとした町の住民は魅了されてしまい、マルコはそのすきにダイヤを持ち出す計画でした。しかしポプシー・ポップは裏切ってダイヤを持ち逃げし、計画を知った町人たちはマルコの仲間を殺してしまいます。

シルバはマルコと共にポプシー・ポップのもとを追い、カラカス、プエルト・リコ、ベネゼエラと追跡しついに追いつき、そこでダイヤモンドをめぐってシルバとマルコは決闘になります。勝者はシルバで、ポプシー・ポップをあきらめたシルバは街に残り、残されたマルコは裏切ったポプシー・ポップの首に手をかけるものの、すでに憎しみは失っており、目に涙を浮かべるのでした。

・『アンダー・サスピション』 2000年

※画像はイメージです

本作品は2000年に制作された作品で、ジャン・エルマンは原案を担当しました。原作はジョン・ウェインライトの作品で、すでに1981年にクロード・ミレール監督によって映画化されているため、本作品は2度目の映画科となります。

舞台はプエルト・リコの港町サンファン。町がフェスティバルににぎわう一方で、警察署長のビクター・ベネゼーは連続少女レイプ殺人事件の捜査にあたっていました。容疑者として浮上したのはプエルト・リコの法曹界の重鎮で税務弁護士のヘンリー・ハーストであり、ハーストは前日起きた2件目の事件の第一発見者でした。ベネゼーはハーストを尋問するものの、ハーストはあいまいな答えを返すばかりでなかなか操作は進展しません。しかし1件目の事件でもハーストに疑わしい点が見つかり、ベネゼーは徐々に疑いを濃くしていきます。

捜査を進める中でベネゼーはハーストの若く美しい妻シャンタルに注目するようになります。夫婦の仲はすでに冷え切っており、シャンタルの協力で事件解決の糸口が見いだせるのではないかとベネゼーは期待するようになります。

■おわりに

ジャン・エルマンはムルト=エ=モゼル県のパニ=シュル=モゼルに生まれた映画監督で、映画監督として『さらば友よ』や『太陽の200万ドル』といった作品を手掛けた一方、ジャン・ヴォ―トランの名義で小説家としても活躍しました。

映画監督としてはもちろん、脚本家や小説家としても才能を発揮し、多彩な人物として知られたエルマンですが、作中に見られる登場人物たちの細やかな感情表現は小説や脚本の仕事もこなすエルマンだからこそできた表現といえるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧