ジョセフ・セリグマン:J&Wセリグマンの創業者

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ジョセフ・セリグマンは1819年ドイツのバイエルン州、バイエルスドルフに生まれた実業家です。J&Wセリグマンを創業し、投資銀行の経営者としてアメリカ経済を牽引したことでも知られています。そんなジョセフ・セリグマンの人生とビジネスについて詳しく解説していきます。

■ジョセフ・セリグマンとは

※ドイツのバイエルン州

ジョセフ・セリグマンは1819年ドイツのバイエルン州バイエルスドルフに生まれました。小さいころから母親の乾物屋で働いており、また当時のドイツは多くの独立国家からなっていたこともあり独自に為替業を行い手数料で利益を得るなど、幼いころからビジネスの才覚を示していました。その後父親が羊毛業に転向するも失敗し、17歳の時には新天地アメリカにわたることになります。

18歳でアメリカに到着したセリグマンはペンシルバニア州ジムソープに居を構え、のちにアメリカ議員となるアーサー・パッカーのもとで事務員として働きました。徐々に貯金を蓄えるようになると宝石やナイフと言った小物を販売するようになり、そこで得た利益をドイツに送金し、家族を養っていきました。

セリグマンは兄弟でアラバマ州に何店舗か店を経営していたものの、当時南部は奴隷制が行われており、それを不快に思ったセリグマンは家族をニューヨークに移し、自らもニューヨークシティで仕事を続けました。セリグマンは素晴らしいビジネスの才覚を示し、1850年代から1860年代の不景気にも関わらず、その売り上げが落ちることはなく、蓄えた富を元手にニューヨーク・コンチネンタル銀行を開設することになります。

■南北戦争への貢献

1861年に南北戦争が勃発すると、セリグマンは北軍を支持。セリグマンの銀行は鉄道に多額の融資を行い、ロシアやペルーへの投資、スタンダード・オイル・カンパニーの設立、加えて造船業や鉱業などにも出資していきました。また1876年にはヴァンダービルト家と協力してニューヨークの公共事業にも参入しています。

■J&Wセリグマンの設立

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セリグマンの銀行は南北戦争で大きな貢献を果たしたこともあり、戦後になるとセリグマンはアメリカにおける重要な銀行家となっていました。その後もセントルイス・サンフランシスコ鉄道をはじめとして振興鉄道事業に力を入れ、アメリカの成長を担っていきました。

■セリグマン・ヒルトン事件

そんな中ニューヨークのグランドユニオンホテルで、セリグマンと家族が入室拒否されるという事件が発生。これはアメリカで反ユダヤ主義的な風潮が高まっていることの表れと見なされました。アメリカでは1840年代からドイツ系ユダヤ人が多く移住し、その中には事業に成功して経済的な豊かさを手に入れたものもいました。そんなユダヤ人に対してキリスト教徒の中には妬みを感じるものも少なくありませんでした。

実際当時のグランドユニオンホテルはニューヨーカーに人気のリゾートホテルであったものの、経営は悪化しており、その原因はユダヤ人だと思われていました。この事件は多くの論争を引き起こし、1877年6月19日にはニューヨーク・タイムズで大きく報道されることとなりました。

■セリグマンの死

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セリグマンはその後1880年にルイジアナ州ニューオーリンズで死去。その遺体はニューヨーク市に戻され、1880年5月4日セーラムフィールズ墓地に埋葬されています。

1880年9月27日ミズーリ州ローラーズリッジはセリグマンやセリグマンの鉄道投資が地域にもたらした利益に敬意を表してセリグマンに改名。これに対し未亡人となったバベット・セリグマンは1エーカーの土地と500万ドルをダウンタウンの教会に寄付しました。

セリグマンはバベットとの間に5人の息子と4人の娘をもうけており、その中でもエドウィンはコロンビア大学の経済学者として、またアイザックは銀行家として活動したことで知られています。

■J&Wセリグマンについて

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セリグマンが経営したことで知られるJ&Wセリグマン銀行は、グラススティーガル法の影響で投資銀行部門が売却されるまで著名なアメリカの投資銀行として知られていました。もともとはセリグマンとジェームズ・セリグマンに輸入会社として設立されたのが始まりであり、1851年にはサンフランシスコに店舗を開業。セリグマンの兄弟はみな力を合わせて事業を成長させ、北軍の兵士に制服を供給する衣料品店として認定されたことで大きな利益を上げました。

戦後8人の兄弟は銀行業務を立ち上げることにし、戦争債権の処理にあたって国務省や海軍省の財務代理人として働き、兄弟のうちエイブラハムはニューヨークに、アイザックとレオポルドはロンドンに、ウィリアムはパリ支店を開設。北米とヨーロッパに店舗を拡大していきました。20世紀初頭にはパナマ運河の建設を支援。このころJ&Wセリグマンはさまざまな企業の証券を引き受け、鉄道や鉄鋼業界の株式や債券、ロシアやペルーへの投資、スタンダード・オイルの開業などにも関わりました。

1938年にはグラススティーガル法によって証券業務をユニオン証券として分業することになり、1956年には証券ブローカーのイースト・マンディロンによって買収されイースト・マンディロンユニオン証券となりました。その後も買収を続け、1991年にはヨーロッパ最大の独立系資金運用会社のひとつであるヘンダーソン・グループとの合併事業を開始したものの、インターネットバブルの崩壊によって大きな影響を受け、2003年には株式がほぼ売却されることとなりました。

2008年にはアメリプライズ・ファイナンシャルが4億4000万ドルでJ&Wセリグマン・インコーポレイテッドを4億4000万ドルで買収することを発表。現在アメリプライズの持ち株会社としてセリグマン・インベストメントというブランド名で事業を展開しています。

■おわりに

ジョセフ・セリグマンは1819年11月22日ドイツのバイエルン州、バイエルンドルフに生まれた実業家です。J&Wセリグマンの創業者として知られており、南北戦争では北軍を、戦後はアメリカ経済の成長に寄与しました。J&Wセリグマンは買収を重ねたものの、現在でも名前は引き継がれており、アメリカにおける偉大な銀行家の一人といえるでしょう。

その一方でアメリカ時代は反ユダヤ運動を目の当たりにし、また自らも差別を受けることもありました。そんな中ひたすら事業の成長を続けたセリグマンの強固な意志は、ビジネスパーソンが学ぶべきスキルの一つといえるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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