二コラ・テスラ:「テスラコイル」を発明した天才

(Public Domain/‘Photograph of Nikola Tesla’ by Napoleon Sarony. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

二コラ・テスラは1856年7月10日オーストリア帝国のスミリャンに生まれました。グラーツ大学で学んだ後に電気技師として働くようになり、テスラコイルを発明。また8つの言語に堪能で、詩作や音楽、哲学などにも精通する天才として知られています。そんな二コラ・テスラの人生について詳しく解説していきます。

■二コラ・テスラの幼少期

(Public Domain/‘Depicted person: Nikola Tesla – Serbian-American inventor’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

二コラ・テスラは1856年7月10日オーストリア帝国のスミリャンに生まれました。父のミルーチンはセルビア正教会の司祭で詩人、母ドゥカは泡だて器などの調理器具の発明をする人物でもありました。5歳の時に優秀な兄を失ったテスラは神童と呼ばれたテスラを上回るべく勉学に励むようになり、特に数学で天才的な才能を発揮するようになっていきました。

その後グラーツ工科大学に入学し、電気モーターに魅了されるようになっていきます。しかし学業半ばにして父ミルーチンが亡くなったことで授業料が払えなくなってしまい、仕方なく独学で学ぶことになります。

■電気技師として

※画像はイメージです

1881年にはブダペスト国営電信局に就職。当時主流だった「交流電流」方式の活用方法を研究するようになっていきます。1882年にはフランス・パリに居を移し、コンチネンタル・エディソン・カンパニーで技師の仕事を得て、その1年後にはストラスブールに転勤。こうして電気技師として働く合間の時間を用いて、研究を続けていきました。

そして1882年には誘導モーターの開発に成功。しかしヨーロッパでテスラの誘導モーターに関心を持つものはおらず、1884年には渡米。その際エジソンのエジソン電灯会社に採用されるものの、当時同社は直流による電力事業を展開しており、結局テスラはエジソンと対立して数カ月で失職することになってしまいます。

■独立

(Public Domain/‘Cabinet photo of Tesla in a head-and-shoulders pose, signed and inscribed in the lower left in black ink, “To Gaston Tissandier, with sincere regards, from Nikola Tesla.”’ by Napoleon Sarony. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

しかし交流による電力事業をあきらめきれないテスラは、「テスラ電灯社」を設立。独自に交流による電力事業を推進し、交流システムの特許出願にも成功したことにより、一躍発明家としても企業家としても注目される存在となっていきました。

1888年には誘電モーターと電機システムについて説明した論文を発表し、1888年5月16日にはアメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行ったことによりジョージ・ウェスティングハウスから研究費100万ドルと特許使用料を得ることに成功。テスラが開発した交流発電機は、ウェスティングハウス・エレクトリック社のベンジャミン・G・ライムの設計により、ナイアガラの滝エドワード・ディーン・アダムズ発電所に設置されることとなります。

1891年にはアメリカ国籍を取得。またこのころ100万ボルトまで出力可能な高圧変圧器を発明したことにより、シカゴ万博の会場内の電気配給をすべてウェスティングハウス社が構築した交流システムで賄うことにも成功し、アメリカでも大きな注目を集めるようになっていきます。

■死去

その他にも点火プラグや空中輸送装置などの発明を手がけていたテスラだったものの、1943年1月7日にはマンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳の生涯を閉じることとなります。晩年は金銭苦に陥り、亡くなった時点ではほぼ無一文だったといわれています。

その後磁束密度の単位名にはテスラの名前が用いられることとなり、LIFE誌は1999年「この1000年でもっとも重要な功績を残した世界の人物100人」にテスラを選出。テスラが残した資料類はユネスコ記憶遺産への登録に申請されることとなりました。またアメリカの電気自動車メーカー「テスラ」の社名もまた二コラ・テスラへの称賛をこめて名付けられたといわれています。

■テスラの発明

二コラ・テスラの発明は誘導電動機、テスラコイル、テスラタービンなど多岐にわたり、そのどれもが近代生活に大きな影響をもたらしてきました。そんなテスラの発明には、どのようなものがあるのでしょうか。テスラの主だった発明について詳しく解説していきます。

・誘導電動機

誘導電動機は固定子が作る回転磁界により、電気伝導体の回転子に誘導電流を発生させることで、回転トルクを発生させる交流電動機のことをさします。

誘導電動機の歴史は古く、フランスの物理学者フランソワ・アラゴによって開発されたことをはじまりとしています。1879年にはワルター・バイリーが手動で回転を切り替える原始的な誘導機を制作。そしてガリレオ・フェラリスと二コラ・テスラによってそれぞれ独立して発明され、1885年1887年には実演されることとなります。

誘導電動機はその後発明と革新を重ね、1897年には7.5馬力だったものが、100馬力を出せるようになり、近代の都市生活に大きな影響を与えました。

・テスラコイル

テスラコイルは高周波・高電圧を発生させる変圧器のことをさします。テスラが開発したのは空芯式共振コイルとスパークギャップを用いて高周波・高電圧を発生させるものであるものの、浮遊容量による影響が大きく、巨大な放電をさせようとした際に再現性が悪いことから不明点が多いコイルとされてきました。

その後改良がなされ、半導体駆動回路を使用したSSTCや共振コイルを別に設けて昇圧するマグにファイアーなどが開発され、現代に引き継がれています。

・テスラタービン

(Public Domain/‘Fig. 7. “The Wonderful “Tesla” Steam Turbine; the Steam Flows Radially Up Between the Vanes, Not Against Them.”’ by The Electrical Experimenter. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

テスラタービンは1913年にテスラが特許を取得したタービンであり、円盤を層状に組み合わせた構造を有することで境界層に効果をもたらす構造となっています。タービンが羽の形をしていないため、耐久性に優れており、メンテナンスが容易である者の、通常のタービンより効率は劣るため、実用化には適していないという欠点を持っています。

・地球規模の無線送電システム構想

(Public Domain/‘Tesla’s Wardenclyffe plant on Long Island in partial stage of completion. Work on the 55-foot diameter cupola had not yet begun. Note what appears to be a coal car parked next to the building. From this facility, Tesla hoped to demonstrate wireless transmission of electrical energy to France. Circa 1902’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

テスラ自身が「世界システム」と呼んだ構想であり、電磁波を用いて無線で送電を行う装置のことをさします。ひとつの巨大な送電装置を地球上のどこかに設置することで、ケーブルを使わずに地球のありとあらゆる場所に電力を送り届けるという壮大な構想のもと、実用化が進められました。

テスラはニューヨーク州ロングアイランドに「ウォーデンクリフ・タワー」を建設し、実験を行ったものの実験で用いた周波数が150キロヘルツと低かったため、到達点では微弱になりすぎ、実用化にいたることはありませんでした。

■おわりに

二コラ・テスラは1856年7月10日オーストリアのスミリャンに生まれた発明家であり、交流電気式における送電システムを作り上げた人物です。発明家としては天才肌であり、誘導電動機やテスラコイルをはじめとした数多くの発明を発表し、その後の都市生活に大きな影響を与えました。

テスラは発明家として有名である者の、テスラ電灯社を設立し、企業家としても活躍した側面を持ち合わせています。その背景にはエジソンとの対立という大きな問題があったものの、前進を止めることはありませんでした。そこには技術革新に情熱を注ぐテスラの姿を見て取ることはできます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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