マラドーナ:マラドーナの栄光と闇

ディエゴ・マラドーナは誰もが知っている通り、サッカー界を代表するスーパースターでした。所属していたクラブでも多くのタイトルを勝ち取り、アルゼンチン代表をワールドカップ優勝に導きました。しかし、その輝かしい栄光とは対照的に薬物問題など数多くの問題を引き起こしました。今回は、マラドーナの栄光と闇をご紹介したいと思います。

マラドーナの経歴

マラドーナは1960年にアルゼンチンのブエノスアイレス州ラヌースで生まれました。15歳の時にAAアルヘンティノス・ジュニアーズでプロデビュー。ボカ・ジュニアーズ、FCバルセロナ、SSCナポリなど国内外のクラブに所属し大活躍しました。1986年ワールドカップメキシコ大会では、アルゼンチン代表を優勝に導きました。1997年引退。引退後は国内外のクラブやアルゼンチン代表の監督を歴任しています。FIFAにペレとともに20世紀最高のサッカー選手に選出されました。

マラドーナの栄光

マラドーナの輝いていた時代を振り返りたいと思います。
アルゼンチンからスペインへ
マラドーナは数々のタイトルを勝ち取りましたが、最初に取ったタイトルは1979年日本で開催されたFIFAワールドユース選手権です。20歳以下の各国代表選手が出場するこの大会で、マラドーナはアルゼンチン代表のキャプテンを務め、チームを優勝に導きゴールデンボール(MVPに当たる賞)に選ばれました。

1979年から2年連続でプリメーラ・ディビシオンの得点王を獲得し、アルゼンチン年間最優秀賞、南米年間最優秀賞を受賞しました。1981年にボカ・ジュニアーズに移籍しリーグ優勝に導き、1982年には初の国外チームFCバルセロナに移籍しました。
FCバルセロナではコパ・デル・レイ(スペイン国王杯)で優勝するなど、ある程度の活躍はしましたが、この頃からマラドーナの問題行動が徐々に目立つようになってきました。

ナポリでの栄光

1984年イタリアのSSCナポリに移籍。このナポリ時代が肉体的にサッカー選手としてピークで、マラドーナが最も輝いていた時代です。
ナポリはマラドーナが加入する前までは、セリエAの優勝経験はなく、コッパ・イタリアも2回優勝しただけの、弱小~中堅チームでした。
マラドーナの加入後は徐々に順位をあげ、加入3年目にはクラブ初となるリーグとコッパ・イタリアとの2冠を達成しました。

ワールドカップでアルゼンチンの英雄へ

1986年メキシコワールドカップでは、アルゼンチンのキャプテンを任されアルゼンチン代表を優勝に導きました。この大会はのちに「マラドーナのための大会」と言われるほどの大活躍をして最優秀選手賞を受賞しました。このワールドカップでマラドーナはアルゼンチンの英雄になったのです。
準々決勝のイングランド戦で見せた、「5人抜き」ドリブルと「神の手」ゴールは特に印象に残るプレーです。5人を抜き去り60m独走し最後は相手GKも抜いてゴールを決めたシーンのVTRは、サッカーのプレーで最も繰り返し放送されているVTRのひとつとなりました。

最後の輝き

1987-88シーズンは得点王を獲得、1988-89シーズンはUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)初制覇、1989-90シーズンは2度目のリーグ優勝に導きました。

マラドーナがサッカー選手として輝いていたのはここまでです。この後も、1994年ワールドカップギリシャ戦でのゴールなど、一瞬だけ輝きを見せること何度かありましたが、以前のマラドーナに戻ることはありませんでした。

マラドーナの闇

マラドーナには輝かしい栄光とともに闇の部分があります。FCバルセロナに移籍したころからその闇の部分が目立つようになってきました。

薬物問題

マラドーナは選手時代から薬物問題に悩まされていました。最初に薬物使用が発覚したのは、1991年3月ナポリ在籍時です。試合後のドーピング検査でコカインが検出され15か月の出場停止処分を受けました。これ以前のFCバルセロナ在籍時からマラドーナには薬物使用疑惑がありましたが、明るみにはでませんでした。
マラドーナはのちに、1982年FCバルセロナ在籍時に初めてコカインを使用した、と告白しています。

マラドーナは15か月の出場停止処分を受けたあとも、コカインの使用をやめることができなく、出場停止中にもアルゼンチンでコカインを使用して逮捕されてしまいます。

まさかの出場停止

世界中の人に最も衝撃を与えたのは、1994年アメリカワールドカップナイジェリア戦後のドーピング検査での陽性反応です。ドーピング検査で禁止薬物のエンフェドリンが検出されたのです。これによって、マラドーナは同大会の残りの試合への出場停止処分が下されてしまいました。この大会でマラドーナは全盛期に近い活躍をしていて、アルゼンチンを予選リーグ2連勝に導いていました。マラドーナを失ったアルゼンチンは、その後1勝もすることなく同大会を去ることになりました。マラドーナはこの時、禁止薬物が入っていると知らないでサプリメントを摂取してしまった、と弁明しましたが結局15か月の出場停止処分が下されてしまいました。

生死をさまよう~後悔

この時のマラドーナの話が本当かはわかりませんが、まだマラドーナは薬物をやめることができていませんでした。
1997年にまたコカイン陽性反応がでてしまいました。医師からは、このままでは命の危険もある、と告げられます。2000年と2004年にはコカイン中毒で緊急入院し、生死をさまよったと報道されました。

マラドーナの話によると、2004年まで薬物を使用していたそうです。現在は薬物に手を出してしまったことを後悔して、「ばかげたことをしたよ。ドラッグに手を出さなければ、もっといい選手になっていたよ。」と話しています。

空気銃乱射事件

1994年マラドーナはニューウェルズ・オールドボーイズに契約解除されてしまいました。
そのことを取材しようと報道陣がブエノスアイレスの自宅まで押し掛けました。報道陣はしつこく家の中を覗いたりしてやりすぎだったかもしれませんが、なんとマラドーナはカメラが回っている前で、報道陣に向かって空気銃を乱射しだしたのです。それで数人に軽傷を負わせてしまいます。
2002年にアルゼンチン最高裁から、傷害罪で禁錮2年(執行猶予付き)の有罪判決が言い渡されています。
マラドーナはFCバルセロナに所属したころから、素行の悪さが目立つようになり、試合後に相手選手の顔面を蹴ったり、平和を祈念するチャリティーマッチでカメラマンを蹴飛ばしたりしています。

女性問題

マラドーナにはアルゼンチンのクラブでプレーしているときから、幼馴染のガールフレンド、クラウディアさんがいました。マラドーナが国外のクラブに移籍した時にクラウディアさんも呼び寄せたそうです。しかし、マラドーナは浮気を繰り返してしまいます。関係をもった女性が身ごもって中絶させたり、マラドーナの子供を産んだという女性と裁判になったり、イタリアでの売春行為など数多くの女性問題を起こします。クラウディアさんとは結婚しましたが2004年に離婚しました。マラドーナはその後、違う女性と結婚しましたが、また離婚し現在は30歳年下の女性ロシオ・オリバさんと交際中だそうです。

さらに、なんとマラドーナはクラウディアさんを相手に裁判を起こします。クラウディアさんが、マラドーナの預金600万ドルを持ち出したと訴えています。もう何が何だかわかりません。認知している子供は5人いますが、認知していない子供は何人いるのかわかりません。

マフィアとの黒い交際

ナポリには4大マフィアのひとつカモッラ一家の拠点があります。マラドーナはカモッラ一家のジュリアーノ・ファミリーと付き合いがあり、カモッラ一家のパーティーに頻繁に顔を出したりもしていました。そのためカモッラ一家からコカインをもらっている(これはのちに事実だとわかりました)、サッカー賭博に関与している、など色々と悪い噂が立ってしまいました。

特に、1987-1988年シーズンは、ナポリが開幕から首位を独走していましたが、残り3試合で大失速して優勝を逃してしまいました。この時、マラドーナはカモッラ一家と親しくしていたので、サッカー賭博のためにマラドーナは八百長してわざと負けた、という噂が立ってしまいました。この噂が真実かはわかりませんが、ナポリには今でもこの噂を信じている人はたくさんいます。

脱税問題

マラドーナはナポリ在籍時に所得税を滞納していたようです。総額3700万ユーロにもなるそうです。そのため、イタリアに入国するたびに金品を没収されています。現在もこの滞納問題は解決していないそうです。

マラドーナには大きなプレッシャーがかかっていたことでしょう。心のバランスを保つために薬物に手を出してしまったのかもしれません。マラドーナ本人は、薬物に手を出さなかったらもっとすごい選手になっていた、と話していますが、その前にプレッシャーに押しつぶされてしまっていたかもわかりません。

監督としてベンチに座っているとき、観客としてボカ・ジュニアーズを応援しているときでもマラドーナが一番目立っています。スーパースターだったマラドーナだから、ということもあるのかもしれませんが、人間的に不思議な魅力があり人の目を引くことも確かです。
マラドーナは数多くの問題を起こしていますが、どこか憎めないところがありいまだに彼を愛している人が世界中にいます。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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