シン・シサモット:伝説のカンボジア人歌手

写真:筆者提供

シン・シサモット(1935年〜1976年)は、カンボジア・ストゥンレン出身の歌手、作曲家。抜群の歌唱力、甘美な歌声で1950〜70年代前半のカンボジアを席巻しただけでなく、現在もなおカンボジア中で愛される国民的大スターである。作曲家としては、カンボジアの伝統曲にロックをはじめとする外来音楽を融合して数々のオリジナル曲を制作しており、内戦勃発前のカンボジアで音楽シーンの基盤を作った人物でもある。

「キング・オブ・クメール(カンボジア)ミュージック」、「カンボジアのゴールデンボイス」「カンボジアのエルヴィス」など数々の異名を持つ、カンボジアの国民的歌手シン・シサモット(Sinn Sisamouth)。

海外ではあまり知られていませんが、カンボジア国内では知らない人はいないほどの大スターです。
1976年に亡くなったとされてから40年以上経った今でもなお、老いも若きも彼の曲を口ずさんでいます。
現代のミュージシャンが彼の名作をカバー・アレンジした曲も散見するほどの人気ぶり。

シン・シサモットとは、一体どのような人物だったのでしょうか?
彼の足取りと遺産をたどるとともに、時代・世代を超えてカンボジア中を魅了してやまない圧倒的な人気の秘密を探っていきたいと思います。

1950〜1960年代カンボジアの音楽繁栄期に現れた風雲児

1935年生まれのシン・シサモットがカンボジアの音楽シーンに姿を現したのは、1950年代前半と言われています。

現在のカンボジア北部に位置するストゥンレンという街で生まれたシン・シサモットは、幼い頃から楽器に親しみ、歌の才能を発揮していました。
17歳頃、医学の勉強をするために首都プノンペンに移住しますが、医学学校に通う一方で歌の世界でも力を認められ、早くも歌手・作曲家としての仕事を請け負うようになります。

時をほぼ同じくして1953年。
カンボジアは約90年に渡るフランスの植民地支配から独立。
新たな国家建設が始まるとともに、ユニークで華やかな文化が花開きました。

この頃は、植民地時代に西洋諸国から流入した文化とモダニズム、そしてカンボジアの伝統を融合させた建築物や芸術が続々と生み出された時代でもあります。
音楽では、アメリカでのロックンロール誕生の影響を受け、1959年にカンボジア初のロックバンド「バクセイ・チャム・クロン(Baksey Cham Krong)」が結成されました。

シン・シサモットは、このような文化的繁栄の追い風が吹く中、国立ラジオ局付きの歌手として引っ張りだことなり、一躍スターダムにのし上がります。

自ら作曲も手がけた彼は、カンボジアの伝統的な曲に当時モダンとされたものを織り交ぜて次々と新しい曲を生み出し、カンボジアのポップミュージック界を牽引する存在となっていったのです。

甘い歌声を響かせながら、作曲家としての功績も数知れず

写真:筆者提供

シン・シサモットは、歌手としても、作曲家としても、当時の人々から高い評価を受けていました。

声量はもちろん、包み込むような優しくロマンチックな歌声に魅了された人は数知れず。
アメリカのジャズピアニスト・歌手であるナット・キング・コール(Nat King Cole)に似ているともされる、ささやくような歌い方も評判を呼びました。

その実力は、ノロドム・シハヌーク国家元首の母である、シソワット・コサマック王妃に買われ、彼女のお抱え歌手として、数々のレセプションで歌を披露したほど。

彼が制作した曲は、カンボジアの伝統的な歌謡曲からジャズ、ボサノバ、ラテン、ブルース、ロックなどを取り入れたものまで実に幅広く、それだけ多様な層の人々に受け入られていきました。

カンボジアの伝統的な歌謡曲といえば、民謡を基調としたような音楽が多い印象ですが、シン・シサモットは抜群のセンスで様々な外来音楽を融合させ、カンボジア風にアレンジし、ユニークなサウンドを作り上げていったのです。

また、自分の曲だけでなく、同時代の歌手に曲を提供したり、映画のサウンドトラックを作曲したりもしていました。
彼が制作した楽曲は1000曲を優に超えると言われています。

1960年代カンボジアンロック全盛期の立役者

写真:筆者提供

ジャンルにとらわれず、様々な楽曲をカンボジアの音楽シーンに残したシン・シサモットですが、特筆すべきは、彼のカンボジアンロックへの貢献です。

ビートルズやローリングストーンズの登場により、60年代に欧米の音楽シーンの中心へと一気に躍り出たロックミュージック。

同じく1960年代からベトナム戦争の戦火が飛び火するようになっていたカンボジアには、アメリカ駐軍のラジオ放送を介してロックをはじめとする最新の音楽が届くようになりました。

それにより、従来のカンボジア歌謡曲とロックを融合する動きが高まり、カンボジアンロックと言われるような曲が次々と生み出されていったのです。

2014年公開の映画『カンボジアの失われたロックンロール(原題:Don’t Think I’ve Forgotten: Cambodia’s Lost Rock & Roll)』の中でも詳細に描かれていますが、シン・シサモットはカンボジアンロックの火付け役の一人でした。

同映画の中でも登場する彼の有名な曲といえば、1960年代中頃に流行したダンスミュージックであるゴーゴーの要素を取り入れた『ダンス・ア・ゴーゴー(Dance A Go Go)』『ナヴィー・ア・ゴーゴー(Navy A Go Go)』など。

また、当時一世を風靡したサイケデリック・ムーブメントの影響を受け、民族楽器が奏でるエキゾチックな音を組み込んだ楽曲を生み出し、後にカンボジアン・サイケデリック・ロックとも称されるようになる独特なジャンルの確立にも貢献しました。

当時、都市部に住んでいた人々は、このような時代の最先端を行く曲に合わせ、夜通しクラブなどで踊っていたようです。
フランスからの独立後、1960年代までのカンボジアは、非常に平和で華やかな世界だったのです。

暗雲立ち込める1970年代カンボジアの音楽衰退期

写真:筆者提供

カンボジアンロックの黄金時代とも言われる1960年代から一転。
1970年代に入り、カンボジア史上最悪とされる内戦が始まると、音楽シーンにも不穏な空気が漂います。

1970年には、親米派ロン・ノル将軍らによるクーデターが起こり、当時の国家元首ノロドム・シハヌークが追放されます。
この頃から、音楽は政治的な目的達成のために利用されるようになりました。

ミュージシャン達は、既存曲の歌詞を政府にとって都合が良い内容に書き換えるよう命じられたのです。
シン・シサモットにしても状況は同じで、愛国や共産主義批判の歌を歌わざるをえなくなってしまいました。

その後1975年に、共産主義勢力でありポル・ポトを筆頭とするクメール・ルージュが政権を掌握すると、状況はさらに暗転します。
原始共産主義社会の実現を目指すクメール・ルージュ政権下では、反体制勢力を徹底的に排除する動きが取られました。

都市部の人々は農村に移住を強いられ、強制労働に従事させられたほか、反対勢力となりうる知識人・芸術家などがことごとく粛清されました。
この時、外国文化や親米の旧政権と結びつきが強いとされたミュージシャン達は、有無を言わさず虐殺の対象となってしまったのです。

1950〜1970年代前半にかけて活躍していた前衛的なミュージシャン達のほとんどが、クメール・ルージュ政権下で命を失ったと言われています。
旧政権時代に国家のために歌わざるをえなかったシン・シサモットも、例外ではありませんでした。

彼の最期については、様々な目撃談が残っていますが、どれも定かではありません。
一説によると、彼は1976年に「兵士のために歌うから、どうか許してほしい」と処刑場で懇願したものの、訴えもむなしくその場で命を絶たれたと言われています。

この時、カンボジアは200万人を超える多くの命とともに、独立から20年余りで築き上げた豊かな文化的財産もすべて失ってしまったのです。

親から子へ。今も受け継がれ、愛されるシン・シサモットの遺産

写真:筆者提供

類い稀な才能に恵まれながら、時代の波に翻弄され、4 1歳という若さで命を失ったシン・シサモット。
残された多くの人々が彼の死を悼む一方で、彼の功績は今もなおカンボジア中で大事に継承されています。

リアルタイムで彼の曲を聴いたことがない戦後世代でも、親世代が口々に歌うのを聞いて育つので、誰もが彼の曲を口ずさむことができます。
小学生位の子供でさえも暗唱できるくらいです。

現在もシン・シサモットの曲が好きという人々にその理由を聞いてみると、「優しい声が好き」「荘厳な歌い方がいい」「メロディーが美しい」「歌詞の意味が奥深く、悩んでいる時の助けになる」などの声が挙がりました。

彼の曲は、オリジナリティーはもちろんのこと、時代・世代を超えても共感される普遍性を持った曲であることがよく分かります。

また、内戦後の復興が進み、音楽業界も勢いを取り戻しつつあるカンボジアでは、ヒップホップなどの要素を取り入れ、シン・シサモットの原曲を現代風にアレンジした曲がよく見られます。
彼は今も変わらず、カンボジアの音楽シーンに欠かせない存在であるのです。

カンボジア人と打ち解けたければ、シン・シサモットの曲を歌おう

写真:筆者提供

カンボジア人が愛してやまないシン・シサモットの曲は、現在も音楽配信サービスなどから入手できるので、ぜひ聴いてみてください。

生粋のカンボジア歌謡曲から、ロック、ジャズ、ブルースなどの各ジャンルのトレンドを融合した曲まで実に様々。
今聴いても決して古臭くなく、かえって新鮮だと感じるものもあるでしょう。

そして、カンボジアを訪れる機会があったら、現地の人々の前で彼の曲を口ずさんでみてください。
一気に距離が縮まり、会話が弾むこと間違いなし。 人々との触れ合いの中から、濃密な旅の思い出が生まれることでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧