ヴィンセント・ファン・ゴッホ:その短い生涯を太く生きた画家

(Public Domain /‘Self-Portrait, Winter 1886/87 Wadsworth Atheneum’ by Vincent van Gogh,  Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは、1853年オランダ生まれの芸術家。20世紀絵画を代表する芸術家としてその名前は広く知られている。独特の、絵の具の使い方をし、強烈な印象をあたえる作品を多数制作。フランスの後期印象画家ゴーギャンと共同生活をしていた時に、ゴッホが自分の耳を切り落としたというエピソードでも有名。その狂気に満ちた短い人生は、1890年、ゴッホが37歳のときに幕をとじた。

ファン・ゴッホの生い立ちと経歴

ヴィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日オランダ南部の北ブラバント州にあるズンデルト村で生まれました。父テオドルス・ファン・ゴッホはオランダで牧師をしており、ファン・ゴッホ一家はアッパーミドル・クラスの家庭でした。ヴィンセントは父テオドルスと母アンナ・コーネリア・カルベントスとのあいだに生まれた子どもの、実質的な長男(死産などが多かった)。ほかに、姉妹3人と兄弟2人がおり、8人家族の大家族でした。ヴィンセントはのちにこどもの頃の記憶を、ハッピーで歓喜にみちた子どもだったと回想しています。その一方で、ヴィンセントは、まじめで大人しくて思慮深い側面もあったといわれています。

ゴッホは、中流階級にありがちな、寄宿学校に途中から入れられており、その後また別な高校に転入。複雑な教育環境であったことが想像できます。その頃から、ゴッホが社会生活において順応できないことに対する両親の心配は日に日に大きくなってゆきました。

ゴッホは16歳になると、ハーグ・ギャラリーのフランス絵画を取り扱うアート・ディーラー「Goupil」で働くようになります。そのとき、すでに叔父がそのディーラーで働いており、のちに弟テオもそこで働くようになります。最初は、とくに問題もなく働いており、収入も父親より多く順調に見えました。

しかし、その頃から人間関係はあまりよくなく、それが原因でロンドンに転勤させられたともいわれています。ファン・ゴッホはロンドン時代に大きな失恋を経験し、次第にうつ病になってしまいました。

環境をかえるためにも、ゴッホは仕事をやめ、あらたに南ベルギーでプロテスタントの巡回説教者(Evangelist)としてはたらきはじめました。そこで、炭鉱ではたらく労働者やその家族の深くかかわっていくようになります。その後彼の代表作品となる『The Potato Easter』に見られるような、貧しい農夫一家を描いた作品はこの頃の経験が影響しているといえるでしょう。

しかし、巡回説教者としての成果は出せず、やがて月50フランの俸給を打ち切られてしまうと、1879年にはベルギーのボリナージュ地方の郊外に住む坑夫の家に移り住みます。その後フランスで放浪生活を経験しました。精神的にも経済的にもくるしい状態で実家に戻ってきたゴッホを、父テオロドルスは理解しようとせず、精神病院に入院させようとします。

この頃、アート・ディーラーを経てパリス・ギャラリーで働いていた弟のテオは、精神的にそして経済的に兄をたすけようと手を差しのべます。それは、ゴッホに画家になることと、そしてテオが兄の生活援助をすることでした。この援助はゴッホが亡くなった年までつづいたといわれています。

テオの提案を受け、画家になる決意をしたゴッホは、炭鉱の労働者や農夫の家族を描くようになります。そのようなテーマを選んだことについて、彼はつぎのように述べています。

「人類にドローイングや絵画という形で、じぶんの形見を遺すことは、なにか特定の運動をよろこばせるためではなく、むしろ、うそ偽りのない人間の感情を表現するためである。」

『Biography of Vincent Van Gogh』|ファン・ゴッホ公式サイト

ゴッホは弟テオのすすめで、1880年にブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、そこで美術の基本を学びました。しかし、たったの9ヶ月でやめてしまいます。その頃は、誰もゴッホの特異な才能をみぬけませんでしたが、そこからめきめきと成長してゆきます。その後、両親が住む実家に戻り、そこで、多くのドローイング素材をためしたり、遠近法、解剖学、理学などの研究をすすめたりしました。

1882年には、親戚の画家で成功しているアントン・モーヴから油彩画と水彩画の指導を受けるようになります。その後、モーヴとは意見の不一致で仲たがいになってしまいますが、油彩画に本格的に取り組むようになりました。この頃、ゴッホは、油彩絵の具が一番自分の作品に合っていることを確信したといわれています。

この後、数年間にわたりゴッホはフランスを代表する画家ミレ(1814 – 1875)などの模写をおこない、定期的に制作をつづけました。

1885年3月26日、ゴッホの父は心臓病で死去。
この時期、ゴッホは膨大数の作品を完成させています。

1885年5月、最初の名作『The Potato Easter』を初の個展で発表。この個展では、農夫シリーズの作品が発表されました。

この頃から、パリのアート界で徐々に注目されるようになります。しかし、暗い印象のゴッホの作品は、全く売れませんでした。

1885年11月には、アントワープに拠点をうつし、ギャラリーの二階にアトリエをかまえました。

ゴッホは、アントワープで色彩論を勉強するようになります。この頃から、フランスの後期印象派の色彩や日本の浮世絵などの影響をうけ、カラフルな色彩が作品に使われるようになります。

1886年1月にはアントワープにある美術大学に入学し、ドローイングの授業を受けますが、保守的な芸術的感覚をもった教授とそりが合わず、一ヶ月ほどで退学。同年3月にはパリのアーティストの街モンマルトルへ移住。弟と共同生活をはじめました。

(Public Domain /‘Theodorus van Gogh’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

パリ時代に、数多くの名作を制作。

1886年末には、弟テオとの共同生活を解消。ゴッホは郊外へ移る。そこで、シニャックの点描画に出会い、ゴッホ特有の画風が確立されていくこととなります。

1887年、ゴッホはポール・ゴーギャンと出会い、親交を深めます。

1888年、アルコール中毒などに悩まされて疲れきっていたゴッホは、パリを去り南仏アルル村へ移ります。アルルでの生活や原風景はゴッホの芸術活動に非常に良い影響をあたえてくれました。ここでゴッホは、200点以上の作品を仕上げます。ゴッホはさらに、「黄色い家」というアトリエを安く借り、ここをアーティストたちが共同で制作する場所にしようと企画しました。

1888年は、ゴッホにとってとても生産的な年で、代表的な名作『夜のカフェテラス』『ひまわり』『ローヌ川の星月夜』などをつぎつぎに制作してゆきました。

おなじ年の10月、画家ゴーギャンとの共同生活がはじまりました。

しかし、このことが大きな事件へとつながります。共同生活がはじまるとすぐに、ゴーギャンはゴッホに対して横暴に接するようになったといわれており、そのことが原因でいざこざが絶えなくなりました。しまいには、ゴーギャンが家を出て行ってしまい、そのことが原因で幻聴にくるしめられたゴッホは自分の耳を切り落としてしまいました。

意識不明で病院に搬送されたゴッホは、耳を切り落としたことを全くおぼえておらず、病院では急性精神錯乱であると診断されました。原因は強い不安による幻聴と精神障害だったといわれています。

1889年5月、サン・ポール・ド・マウソロス病院に入院。独房部屋に閉じ込められても、窓から見える景色の絵を描きつづけました。その頃の代表作品が『星月夜』です。こののち、ゴッホは度重なる発作を繰り返しますが、それでも絵を描きつづけ、ゴッホの絵画がフランス芸術界で評価されるようになります。

1890年、体調が回復したため退院。同年、7月23日、弟のテオに最後の手紙を書きました。

7月27日、ピストルで自分の胸を打ち、弾が急所をはずれたものの手遅れで2日後に死去。2ヵ月後には、弟のテオが梅毒の末期症状を発症。翌年1月にテオも死去。

 ファン・ゴッホの代表作品(年代順)

(Public Domain /‘The Potato Eaters’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『The Potato Eaters』(1885)

81.5 x 114.5cm
油彩、キャンバス

ゴッホはおなじシリーズの作品を1885年に何枚を制作しています。この作品はそのなかでも一番詳細に描かれた作品で、より現実みがあらわれているといってよいでしょう。作品には、貧しい農民のつつましい夕食の様子が描かれていますが、農民たちの表情はわびしく、しかし堂々と描かれています。

(Public Domain /‘Café Terrace at Night’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Café Terrace at Night』(1888)

81 x 65.5cm
油彩、キャンバス

この作品は、ゴッホが南仏アルル村に移住してすぐに描かれた作品です。ゴッホは、アトリエ兼居住空間として使用するための「黄色い家」を安く借りますが、長年空き家になっていたため、住める状態にもどすのには、少しの期間が必要でした。そのあいだ、ゴッホはアルル村でホテル暮らしをします。この作品はその頃描かれました。

ヨーロッパ風の石畳の上には、煌々と灯りに照らされたカフェテラスがあり、その灯りの色は代表作『ひまわり』を連想させます。青で彩られた闇の部分は、カフェの明るい部分より少しすくなめに描かれており、アンバランスになりそうな危うさ感じさせます。しかし、まるで花のように描かれた大きな星たちが危うさを払拭しており、絶妙のバランスをとっている作品といえるでしょう。

(Public Domain /‘Sunflowers’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Sunflowers』(1888)

ゴッホは1888年に数多くの『Sunflowers』を制作しています。なかでも有名なのが8月に制作された作品(91 x 72cm)で、現在ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク美術館で鑑賞できます。この作品は、他の華やかな黄色で描かれた『Sunflwers』と比べると、ロー・シェンナ系の落ち着いた色で描かれており、深みのある作品です。実際に間近で見ると、ブラッシュ・ストロークがとても繊細に花の表面を造形しており、平面作品でありながら、まるで彫刻作品を観ているかのような気分になります。

(Public Domain /‘Sunflowers’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

また、おなじ年に制作された作品のなかでは、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている『Sunflowers』(93 x 73cm)も有名です。

(Public Domain /‘Sunflowers’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Sunflowers』(1889)

この年にも、ゴッホは何枚もの『Sunflowers』を制作しています。なかでも、一番有名なのは1月に制作された作品(95 x 73cm アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所蔵)と、同じく1月に制作された作品(100.5 x 76.5cm 東京の株式会社損保ジャパン所蔵)です。

どちらの作品も1888年の作品郡とくらべて、深みはありますが、ひまわりの生きいきとした感じがあまり感じられず、ゴッホの心境の変化を示しているとも捉えることができます。

(Public Domain /‘Self-Portrait (1889)’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Self Portrait』(1889)

65 x 54cm
油彩 キャンバス

9月にサン・レミで制作された作品です。短い生涯で数多く制作された肖像画のなかでは、傑出した作品です。全体をグレーとグリーンのモノクロで統一し、苦難に満ちた表情は、丁寧にそして繊細に置かれたブラッシュ・ストロークで描かれています。背景の渦巻きは、この頃のゴッホの不安が反映しているとも考えられます。

(Public Domain /‘The Starry Nigh’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『The Starry Night』(1889)

73.7 x 92.1cm
油彩、キャンバス

この作品は、晩年の最高傑作のひとつです。明るく渦巻く星空をバックに、村の様子や山並みが暗く息をひそめるように描かれています。あかるく堂々と描かれた星空は、小さく暗く描かれた人間社会にたいして対照的です。

空の中央でふたつの渦巻きがそれぞれ逆方向に回転しており、それらはまるで生き物のように互いを引き寄せ絡み合っています。そのような点において、太古のむかしから人間が感じてきた宇宙の本質をとらえた作品といってよいでしょう。

(Public Domain /‘The Bedroom’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『The Bedroom』(1889)9月

73 x 92cm
油彩、キャンバス

こちらは、ゴッホの代表作のなかでも、とくに有名な作品です。部屋の右側におかれたベッドは、遠近法によって極度にゆがめられています。そのため、実際の部屋よりも、作品に描かれた部屋のほうが広く見えている可能性もあります。床のペンキは剥がれ落ち、侘しく粗末な印象を与えています。

(Public Domain /‘Almond blossom’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Almond blossom』(1890)2月

73.3 x 92cm
油彩、キャンバス

実際にみると、背景のブルーグレーの濃淡がはっきりと見え、より深みのある作品です。

(Public Domain /‘The Church at Auvers’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『The Church at Auvers』(1890)

74 x 94cm
油彩、キャンバス

最期の代表作品です。

(Public Domain /‘The Round of the Prisoners (after Doré)’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『The Round of the Prisoners (after Doré)』(1890)

80 x 64cm
油彩、キャンバス

この時代では、囚人が絵画に描かれることは、とてもめずらしい事でした。

(Public Domain /‘Landscape at Auvers in the Rain’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

『Landscape at Auvers in the Rain 』(1890)7月

50 x 100cm
油彩、キャンバス

亡くなる数日前に完成した作品です。雨の風景がシンプルに表現されています。

【参考文献】

『ウィンセント・ファン・ゴッホ』|ライナー・メッツガー/インゴ・F. ヴァルター著 TASCHEN
『Vincent Van Gogh』|公式サイト
『ウィンセント・ファン・ゴッホ』|ウィキペディア
『Vincent Van Gogh』|Wikipedia

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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