ビートルズ:世界を席巻したロックバンド

ビートルズは20世紀を代表する、イギリス生まれの四人組のロックバンドである。1960年代に活躍し、イギリスを飛び出してまたたく間に世界を席巻しスーパースターになった。革新的な音楽性と親しみやすい人柄で時代の寵児となり、ロックシーンのみならず、当時の若者の思想や文化に大きな影響を与えた。メンバーの対立によって短期間で解散したが、時代を駆け抜けたその偉大な伝説は今も世界中の多くの人々の心に刻まれている。

誕生

ビートルズはイギリス生まれの20世紀を代表するロックバンドです。なんとなく曲や名前を聴いたことはあっても、その歴史などは詳しく知られていないかもしれません。

舞台はイギリス北西部にある港町リバプールです。初めに、1957年3月に前身となるバンド、クオリーメンがジョン・レノン(ボーカル、ギター)を中心として結成されました。7月にポール・マッカートニー(ボーカル、ベース)、1958年にはジョージ・ハリスン(ギター)、1960年にスチュワート・サトクリフ(ベース)とピート・ベスト(ドラムス)が加入します。メンバーはいずれも10代の少年でした。

クオリーメンはそれ以降、ジョニー&ザ・ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルバー・ビートルズ、シルバー・ビートルズと改名を重ねます。最後にたどり着いたビートルズ(Beatles)の名前はジョンとスチュアートが命名したもので、カブトムシ(Beetle)と音楽のビート(Beat)に由来します。

修行時代

この時期のビートルズは西ドイツのハンブルグに赴いて、毎晩6〜8時間にわたる長時間の深夜演奏を行いました。そこは荒々しい労働者たちが集う酒場でした。ハンブルグ巡業と呼ばれる、この猛烈で過酷な下積みによって、10代のビートルズはファンを楽しませる演奏技術を磨き、楽曲の作り方を学んだといいます。当時流行のロックソングを徹底的にカバーすることで、ヒット曲のリズムや感覚を体で覚えていったのです。この洗礼のような激しい体験は、その後の世界的ブレイクの源泉になったと言われています。

また、別の試練もありました。スチュアートが1961年に脱退後、21歳の若さで死去したのです。残されたメンバーは大きな心理的ショックを受けました。さらに、ドラマーのピートが解雇され、リンゴ・スターが代役として加入しました。ピートは今で言うイケメン風で女性人気がありましたが、これを面白く思わなかった他の三人から嫌われてメンバーから外されたという説があります。ともかく、デビュー直前のこの変更によってビートルズはジョン、ポール、ジョージ、リンゴの四人になりました。後にファブフォー (Fab Four)=「とてもすばらしい四人」と呼ばれるメンバーです。

マネージャーとの出会い

1961年12月にはマネージャーとなるブライアン・エプスタインと出会います。場所はビートルズがリバプールの活動拠点としていた酒場、キャバーン・クラブでした。ブライアンはひと目見て、先進的なサウンドと演奏技術の高さに衝撃を受けました。

ただ残念なことに、当時のビートルズはロック調の髪型と衣装で反抗的なスタイルで、未だ田舎のバンドという感じでした。ブライアンはメンバーに「そんな格好じゃ人気は出ない。万人に好かれるように行儀よくすべきだ」とアドバイスし、ビートルズはトレードマークとして有名な”マッシュルームカットのスーツ姿”に変わったのです。ブライアンは大衆に受ける術を知り尽くす名マネージャーでした。

デビュー~世界へ

こうしてリバプールで結成されたビートルズは、1962年10月、ロンドンで念願のメジャーデビューを果たします。デビュー曲は「ラブ・ミー・ドゥ」でした。1963年には続く「プリーズ・プリーズ・ミー」でたちまちランキング1位の人気になり、11月にはイギリス王室でコンサートをしています。1964年にはアメリカ進出し、7200万人が視聴したTV番組「エド・サリバン・ショー」に出演し、その名は知れ渡りました。「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」の大ヒットで人気は決定的になり、半年で四大陸50都市という驚異的なペースでワールドツアーをこなしました。

1965年には、映画「ヘルプ!」と「イエスタデイ」が生まれ、大英帝国勲章(MBE)も受賞しています。ロサンゼルスで憧れのスター、エルビス・プレスリーと面会しますが、互いにいい印象を持たなかったようです。1966年には日本などアジアの国々でもコンサートを行っています。多忙を極めたこの頃、悲鳴を上げるだけで全く曲を聞いてくれない観客への不満から、ライブ活動へのモチベーションが下がっていました。こうして、8月のサンフランシスコでのコンサートがビートルズにとって最後のライブ公演となりました。

スタジオ活動~円熟期

ライブ活動に見切りをつけた後、ビートルズはロンドンのアビーロード・スタジオに籠ってレコーディングの日々が続きました。この頃、故郷リバプールを舞台にした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」を作っています。1967年の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、架空のバンドのコンサートが描く非日常と突然現れる日常との対比が絶妙な名作です。

1967年の活動は多彩で、衛星中継で「愛こそすべて」をライブ演奏し、映画「マジカル・ミステリー・ツアー」では、子ども受けする陽気な楽曲「イエロー・サブマリン」でアニメキャラクターにもなっています。また、シンセサイザーや逆再生に凝り、ジョージ発案で、インドに渡り瞑想修行をするなど、曲作りの模索に余念がありませんでした。

1969年1月の「ゲット・バック」セッションでは、スタジオのビルの屋上から早朝ゲリラライブを行いました。突然、無許可で街中演奏を始めたため、駆けつけた警官に途中で演奏を遮られた様子が音声として残っています。また、ビリー・プレストンやエリック・クラプトンら他のミュージシャンもセッションに加わっています。

このように、中~後期のビートルズは音楽性の革新や、音楽の世界の垣根を超えて様々な挑戦をしました。また、比較的単調なラブソングが多い前期と比べ、クラシックやジャズとの融合など、ポップソングやロックの既成概念にこだわらず、活動の幅を広げました。

影の立役者たち

また、ビートルズにとって大変悲しい事件がありました。マネージャーとして活動初期から支えてくれたブライアンが1967年に32歳の若さで死亡したのです。メンバーの結束力が弱まったこの事件は解散の一因とも言われています。

ブライアンに代わり、メンバーの心強い味方となったのは音楽プロデューサーのジョージ・マーティンです。創造性にあふれるジョージ・マーティンは、当時は珍しかったオーケストラとのコラボレーションなど、楽曲を次々にアレンジしました。中~後期のビートルズのサウンドが初期に比べ重層的で垢抜けているのは、このジョージ・マーティンの功績も大きいとされます。

ビートルズの躍進にはこうしたファブ・フォーの四人以外の貢献が案外大きく、スチュワート・サトクリフ、ピート・ベスト、ブライアン・エプスタイン、ジョージ・マーティンは「5人目(6人目)のビートルズ」としばしば形容されます。縁の下の力持ちなくしては、ビートルズの偉業はなかったかもしれません。

( The Beatles wax figure at Madame Tussauds museum in Berlin.)

ビートルズの魅力

ビートルズのレコード/CD売上は約10億枚と言われており、「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では全ミュージシャン中最多の23曲が選ばれています。

楽曲の魅力のひとつはメンバー全員が主役であることです。近年の多くのロックバンドと異なり、ボーカル(及び作曲者)が曲によって違います。全213曲にはバランス良く、ジョンの曲、ポールの曲、ジョージの曲、リンゴの曲の異なるテイストが含まれ、バリエーションが多く聞き飽きないのです。

作詞作曲の多くはレノン=マッカートニー名義ですが、二人の単純な共作から、それぞれの担当曲、前半はポールで後半はジョンという融合作もあります。アップテンポからバラードまで、曲調やリズムのバラエティも大変豊かです。若者の気持ちをストレートに紡いだ歌詞も新鮮でした。言葉にならない絶叫「イェー!」「ワウ!」なども特徴で、今では見慣れた表現とはいえ、当時の人々には目新しかったのです。

「イエロー・サブマリン」「ユー・ノウ・マイ・ネーム」など遊び心に富んだ楽曲が多いのは、いたずら好きでサービス精神に溢れたメンバー四人の性格が反映されています。これはリバプールという片田舎の青年気質に由来するものと思われます。インタビューやライブの映像でも和気あいあいとふざけつつ、楽しんでいる場面が多くみられ、可愛い気あるお茶目な人柄も世界中の人々に親しまれた大きな要因でしょう。

ビートルズ解散

ビートルズの解散を語るうえで欠かせないのは、ジョンの妻オノ・ヨーコの存在です。前衛芸術家だった日本人のヨーコは1966年にジョンと知り合い、公私にわたってビートルズと深く関わりました。解散の原因は直接的にはポールと他のメンバー三人との対立ですが、そもそもポールとヨーコの対立が引き金だったようです。具体的にはレコーディングをしている横で、音楽に関してずぶの素人であるヨーコが曲作りに口出ししたりして、メンバーをうんざりさせたようです。ヨーコがコーラスとして参加することもありました。また、ジョン以外のメンバーも結婚するなどそれぞれの私生活の変化も溝を深めました。

こうして、1967年の「ホワイト・アルバム」以降は徐々にソロの曲が増え、不和の兆候が現れ始めます。メンバーの対立は次第に決定的になり、1970年3月にポールが脱退することで、事実上ビートルズは解散します。活動期間はたったの約8年でした。解散後のメンバーは、それぞれが個性的なソロ活動に取り組みました。

後世への影響

先駆者が創始した優れたスタイルは一般に普及するので、往々にして振り返ると驚きが少ないものです。ミュージックビデオやコンセプトアルバム、特徴的なコード進行など、今の音楽で当たり前になっていることはビートルズの影響が大きいです。ロック音楽はビートルズで完成し、以降は本質的には進化していないとさえ言われます。また、「愛こそはすべて」のように音楽の力でメッセージを世界に発信するスタイルもビートルズが創始しています。

時代の寵児ビートルズはこのように音楽のみならず、世界中の若者の思想や文化に大きな影響を与えました。激動の1960年代を駆け抜けていったその偉大な伝説は、世界中の人々に永遠に語り継がれることでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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