ポール・マッカートニー:多彩な才能をもつ”生きる伝説”

ポール・マッカートニーは、1942年にイギリス・リバプールで生まれました。少年時代から類まれなる音楽センスを発揮し、世界的ロックバンド・ビートルズの中心メンバーとして活躍。特に、「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」でよく知られています。ビートルズ解散後もウイングスのリーダーやソロとして活動し、現在もなおワールドツアーを行うなど、”生きる伝説”として多方面で精力的に活動中です。私生活では、三度の結婚を果たしました。

生い立ち

ジェイムズ・ポール・マッカートニーは、1942年6月18日にイギリス北西部の港町リバプールで生まれました。父はアマチュアのジャズ・ミュージシャンだったようです。1956年、14歳のときに母のメアリーを病気で亡くしたポールは、初めての作曲をしています。

15歳のときに地元の教会で運命の出会いが訪れました。ライブを観に来たポールは同世代の少年たちの迫力ある演奏に圧倒されたのです。それが17歳のジョン・レノン率いるロックバンド、クオリーメンでした。ポールはジョンと意気投合し、クオリーメンに加入しました。音楽センスのあるポールは、ジョンら年上のメンバーに刺激を受けつつ、その高い実力を認められていきました。クオリーメンはのちにビートルズと改名しました。ポールとジョン以外のメンバーは、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターでした。

鮮烈なビートルズのデビュー

その後、ハンブルグ巡業やメンバーの脱退や死を経て、ポールはビートルズのボーカル、ベースとしてメジャーデビューを果たしました。ビートルズはあっという間にトップスターへの階段を駆け登り、世界的なロックバンドとなりました。

ビートルズの大ブレイクに直接的に貢献したのはポールの力が大きいでしょう。初期のヒット曲の多くは若者受けするノリの良いロックンロールの曲で、そのほとんどにポールが関与していたからです。一方、当時のジョンはポールほど作曲の実力がついておらず、カバー曲が多かったのです。そして、”ビートルズのポール”の名を世界に轟かせたのは、なんといっても1965年の「イエスタデイ」です。リクエストの多いこの曲は、ビートルズナンバーでありながら、ライブではポール一人で演奏を行ったそうです。ストリングスが印象的なメロディはなんと夢の中で作り上げたとポールは後に語っています。

マルチな才能をもつ天才ミュージシャン

ポールの特徴は、何でも器用にこなす天才肌タイプであることです。元来声質が太く、通りの良い声で、楽器はベースからギター、ピアノ、ドラムスまで何でもこなします。メンバーの仲が悪く、スタジオにポールしかいなかった日には、全ての楽器をポールが演奏して多重録音したこともありました。

ビートルズの楽曲で特徴的なのは独特のハモリですが、ジョンとジョージの低音と対象的なポールの高音からなっています。曲を聴いたときに感じる独特のビートルズっぽさはポールの歌唱力ゆえなのです。

ソングライティングにかけては、20世紀のミュージシャンのなかでもポールの右に出る者はいないでしょう。少年の頃から作曲・編曲のセンスは抜群で、親しみやすいメロディーを生み出す能力は天才的で、ベーシストだけにベースラインも特徴的です。また、比較的影に隠れがちなジョージとリンゴにもスポットライトを当てています。リンゴの最も代表的な曲「イエロー・サブマリン」や、ジョージの有名曲などはポールが多く作曲しています。

真骨頂の「ヘイ・ジュード」

ライブ活動をやめ、1966年になるとスタジオ活動でポールはますますその才能を開花させます。「ペニー・レイン」や、名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は題名曲から構成まで、ポールがリードして手がけています。

1968年、ジョンが最初の妻シンシアと離婚したあと、ポールは残された息子ジュリアン・レノンのことが可哀想でなりませんでした。そんなジュリアンを元気づけようと書いた作品が「ヘイ・ジュード」です。ジュードはジュリアンがモデルになっていると言われています。7分にも及ぶ大作で、静かなピアノで始まり、徐々にハーモニーの輪が広がっていき、最後は一般参加による大音量のコーラスで大団円を迎える感動的なビートルズの代表曲です。ライブ映像では、ポールの終始カメラ目線や、当時の時代感や雰囲気がよく分かります。「ヘイ・ジュード」はこの年のグラミー賞を受賞し、また、「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」ではビートルズ作品中最高の8位に選ばれています。

楽曲の特徴

ビートルズ時代の代表的な楽曲は「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」「オブラディ・オブラダ」「ヘイ・ジュード」でしょうか。誰もが耳にしたことのあるようなナンバーばかりです。特徴としては、分かりやすく耳触りがよいメロディー、物語調の詞が多いことです。また、内向的な傾向のジョンの曲と対照的に明るく陽気な曲が多く、ポール自身の社交的で親しみやすい人柄を反映しています。

ビートルズ解散

ビートルズ解散は、一説にはポールと他のメンバーとの対立が原因です。実情としては、ヨーコと出会ったジョンを始め、他の三人はビートルズの活動に見切りをつけ、次のステージに進みたかったのでしょう。ポールは当初その気はなく、「ゲット・バック」セッションなどで気持ちを引き戻そうとしますが、徐々にソロの曲が増えるなど、時は確実に流れていました。1969年の作品「アビイ・ロード」ではポールが中心となり、「ジ・エンド」でグループ活動から幕を引きました。1970年3月にポールが自ら脱退して、事実上ビートルズは解散しますが、その後も法廷闘争が続き、メンバーとの仲は険悪なものになりました。

ウイングスとソロ時代

1970年代にはバンド、ウイングスのリーダーとして「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」などの作品を世に出しました。1973年の大ヒット映画「007:死ぬのは奴らだ (Live or let die)」のテーマソングも歌っています。1982年にはキング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソンとのコラボレーション「ガール・イズ・マイン」「セイ・セイ・セイ」が話題になりました。

ウイングス解散後はソロ活動に打ち込みますが、時代の流れからか、なかなかビートルズ時代、ウイングス時代のようなヒット曲に恵まれませんでした。こうした状況で、1989年から開始したワールドツアー「ゲット・バック・ツアー」ではビートルズの曲を再びやるようになり、以降どんどん人気が復活していったようです。

ポールとジョン

ジョンの立場からすると、欠かせなかったのは最大の友人であり、最大のライバルであったポールの存在です。少年期からポールという天才を間近に見てきたからこそ、後年のジョンの才能の開花があったと言われています。別の言い方をすれば、偉大なミュージシャン、ジョン・レノンが生まれたのは他ならぬポールのおかげなのです。

ヨーコの出現、そしてビートルズ解散を巡っては、二人の対立が顕わになりました。ソロ時代は、作品のなかでお互いを激しく非難するという険悪な時期もありました。とはいえ、1980年のジョンの突然の死を聞いたポールは大きなショックの余り、数ヶ月間何も出来なかったそうです。

私生活

私生活では三度の結婚を果たしています。1969年に写真家のリンダ・イーストマンと結婚し、以後長年に渡ってリンダはポールを支えました。1998年のリンダの病死後、2002年、60歳のときに元モデルのヘザー・ミルズと結婚しますが、2006年には離婚に至ります。二年間で50億円を使い込むなど、ヘザーのお金の使い方の荒さに原因があったようです。2011年、69歳のときにナンシー・シェベルと三度目の結婚を果たし、今も順調な生活を送っているようです。

現在のポール

長年にわたる音楽活動の功績から、ポールは「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として知られています。2010年には、ポピュラー音楽で世界の文化に大きな影響を与えた作曲家・演奏家に贈られる賞であるガーシュイン賞を当時のオバマ大統領から受けました。

ポールについて特筆すべきは、今なお私たちのこの世界に「生きている」ことです 。1980年にはジョンが、2001年にはジョージがそれぞれこの世を去りました。リンゴも健在ですがドラマーであり、ビートルズのよく知られるボーカルとして残っているのは実質ポールだけなのです。2018年、76歳となった現在もバリバリの現役ミュージシャンであるポールは”ビートルズの生きる伝説”といってよいでしょう。

実は、1970-80年代、ポール自身も過去を封印するために、ビートルズナンバーを全く演奏しない時期がありました。そのような複雑な心境の時期を過ぎ、現在ではビートルズの楽曲を惜しげもなく演奏してくれます。今なおワールドツアーを高い頻度で行っており、高齢とは思えない力強い声量や演奏は若い頃にひけをとりません。今では伝説となった、ビートルズナンバーを引っ下げたそのライブコンサートの迫力は、他のミュージシャンとはまるで別格の風格があります。

コンサートではポール自身の曲が多いですが、ファンサービスでジョンやジョージの曲を演奏してくれることもあります。全盛期ですら、ビートルズのライブは5年間(1962-1966)ほどでした。ビートルズナンバーを「本人」が歌ってくれるポールのコンサートは、世界中のビートルズファンにとって大変貴重な機会になっています。

旺盛なサービス精神

2001年の同時多発テロの際もアメリカのミュージシャンたちにコンサートを呼びかけるなど、ポールはチャリティ活動にも精力的です。またライブ以外でも、愛嬌があって屈託のないポールはファンを楽しませてくれます。2018年には地元キャバーン・クラブに凱旋公演したり、まさかのカーカラオケで熱唱したり、ジューク・ボックスからサプライズ演奏したり、かつてのスーパースターとは思えない多彩な活動をしています。

今の時代になっても元気でいてくれることは、ポールの大きな良さでしょう。ビートルズの活動はクオリティの低い昔のテレビ映像しか残っていませんが、ポールの活動は鮮明かつ高音質な映像をインターネットなどでも楽しめます。ハイクオリティな映像が残される、初めての歴史的な音楽家になるでしょう。ポールの体調にもよりますが、今後ライブを見られるチャンスはそれほど多くないかもしれません。機会があれば、ぜひライブに行って”伝説”を肌で感じてみて下さい。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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