ジョン・レノンとオノ・ヨーコ:平和の祈りをこめて

地球上で日々暮らす人類にとって、世界平和の実現は普遍的かつ最大のテーマといえます。ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンとオノ・ヨーコは1960年代末から70年代にかけて「愛と平和」活動を行いました。その活動は過激で自由奔放なスタイルで政治的メッセージを発信し、世界中に影響を与えました。二人の目指した世界平和への理念は前衛的でありつつも、21世紀のグローバル時代に先駆けており、その問題提起は現代に通底するものです。

大戦の余韻

私たちが日々生活する地球上では現在、たくさんの種類の民族と国家が共存し、支え合って生きています。はたして、この状況は人類にとって当たり前だったでしょうか。

人類史を振り返れば、すぐそこには二度の世界大戦が横たわっています。つい100年前には第一次大戦後のパリ講和(ベルサイユ)会議が開かれ、世界中の人々が旗を振り、やっと訪れた平和を喜んでいました。当時の人々は、このたった20年後にさらなる地獄、人類史上最悪の戦争が始まるとは想像もしなかったでしょう。これら二度の大戦によって、地球上から一億人余りの人命が失われました。第二次大戦がようやく終わった後、一転して1950年代の世界は米ソの対立から核兵器の恐怖に怯える冷戦状態に陥ります。世界平和の実現は半世紀前まで喫緊の政治課題であり、その解決は困難を極めていました。

こうした世界情勢のなか、ビートルズの元メンバーであったジョン・レノンとその妻ヨーコは、1960年代末から70年代にかけて極めて先鋭的な「愛と平和」活動を行いました。どういった道のりを経て、二人はここに至ったのでしょうか。

二人の生い立ち

ジョン・ウィンストン・レノンは、第二次大戦中の1940年10月9日にイギリス北西部の港町リバプールで生まれました。ジョンの生い立ちはとても悲劇的で不運に満ちていました。生後間もないころ、イギリスはナチス・ドイツ軍の空爆に毎日のように悩まされ、おまけにジョンの両親は不在でした。そんな過酷で辛い幼少期を過ごしたジョンに、戦争への嫌悪と平和への強い願望が芽生えたことは想像に難くありません。

一方、ジョンより七歳年上のオノ・ヨーコは第二次大戦が始まる直前の1933年に日本の首都・東京で生まれました。父は銀行員、母は代々財閥の家系で、生まれながらに裕福な家柄でした。しかし、物質的に恵まれた環境に反発してか、ヨーコは家業の金融業ではなく芸術に自分の生きる道を見出したのです。

裕福ではない中流家庭に生まれ愛に飢えていたジョンと、生来のお嬢様育ちに決して満足していなかったヨーコ。対照的な環境で育ちながらも、同じ方向を目指していた二人の人生が交差したことは偶然ではないでしょう。運命の糸が二人を結んでいたのです。

青年期~ビートルズブーム

ヨーコは幼い頃にアメリカのサンフランシスコへ転居した後、戦争まっただ中の日本で父と離れて少女期を過ごし、疎開するなど辛い経験をしました。20歳のときにニューヨークに移り住み、大学で音楽と詩を勉強します。1956年、23歳のときには日本人の作曲家と最初の結婚をし、前衛芸術活動を開始しました。

1957年、ジョンは17歳のときにビートルズの前身となるバンドを結成します。その五年後にはビートルズとしてデビューを果たし、また最初の結婚をしました。

ヨーコの芸術活動は旧来のアートと異なり、「パフォーマンス・アート」と呼ばれるものでした。作品には各自”インストラクション”が与えられ、鑑賞者は指示通りに作品を体験します。しかし、着ている衣服を切り取るなど過激なものもあり、当時の日本では先進的過ぎて受け入れられませんでした。1962年、ビートルズのデビューの年にヨーコは離婚し、1963年にアメリカの映像作家と再婚して活動の拠点をニューヨークに移します。

運命の出会い

1966年にはヨーコはロンドンで活動していました。世界的なビートルズブームのなか、11月に二人は運命の出会いを果たします。ジョンはインディカ・ギャラリーでのヨーコの個展『未完成の絵画とオブジェ』開催前日に招かれていました。

”はしごに上り虫眼鏡で天井を見る”指示に従い、ジョンは天井をのぞき込みました。そこには、ただ小さく”Yes”と書かれていました。後年、ジョンは「このとき天井に”Yes”ではない言葉、たとえば”No”とかだったらヨーコに興味を持たなかっただろう。でも、”Yes”だったから、これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ」と思ったといいます。当時、ジョンは絶え間ないワールドツアーで心身ともに疲弊していたため、心の癒しを強く求めていたのかもしれません。

二人は互いに強く惹かれましたが、婚姻中のため不倫関係に落ちました。お互いの結婚を解消した後、1969年にイベリア半島のジブラルタルで二人は念願の結婚を果たしました。ジョンにとっては二回目、ヨーコにとっては三回目の、ようやくたどり着いた真実の愛でした。

ビートルズ解散

ジョンとヨーコの深すぎる愛は、やがて絶頂期にあったビートルズの音楽活動にも影響を及ぼします。ジョンはヨーコによって人が変わり、ヨーコはビートルズの音楽に口出しするまでになりました。1969年には新婚時の狂騒を描いた作品「ジョンとヨーコのバラード」をビートルズの曲として発表します。こうして、他のメンバー、特にジョンの親友ポール・マッカートニーとの関係に大きな亀裂が入っていきました。1970年のビートルズの解散はメンバー間の訴訟にまで発展し、ヨーコは「ビートルズを解散させた女」 として不名誉なレッテルを貼られました。

反戦活動

泥沼化していたベトナム戦争に対し、ジョンとヨーコは過激なスタイルで「愛と平和」と銘打った反戦活動を展開しました。1968年のハネムーンの際には「ベッド・イン」というスタイルを世界に中継しました。”ベッドに横たわっていれば、戦争は起きない”というメッセージを伝えようとしたのです。また、「トゥー・ヴァージンズ」では全裸で手をつないだジャケット写真を採用しています。二人の過激すぎる活動は世界中で批判まじりの大きな反響を呼びました。

国境のない世界

1971年に、ジョンは自身の平和思想を純化させた「イマジン」を発表しました。”国境のない世界を想像しよう”という、世界平和を希求するメッセージがシンプルに書かれた美しい曲です。

この作品は、平和を象徴する”白”を基調にしたミュージックビデオが非常に印象的です。よく知られた短いバージョンとは違い、このロングバージョンの映像では長い前奏がとられます。小鳥がさえずるなか、森の中を散歩するジョンとヨーコが白い家に入ります。白い壁に囲まれた部屋でジョンがグランドピアノで弾き語りをするなか、純白の衣装に身を包んだヨーコがカーテンを開けると、真っ暗な部屋に日差しが差し込み、部屋が明るくなっていきます。二人のキスで静かに終わるこの映像は、世界に平和が訪れることを端的に表現しています。「イマジン」は「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で3位に選ばれました。

実は、ジョンと出会う前の1964年、ヨーコは自費出版した詩集「グレープフルーツ」のなかで、すでに”イマジン”という単語を使っていました。ジョンは創作の際、このシンプルな詩からインスピレーションを得ていたのです。こうした経緯を踏まえ、2017年、全米音楽出版社協会は「イマジン」をジョンとヨーコの共作とすると発表しました。ヨーコが「ビートルズを解散させた女」ではなく、「ジョンを昇華させた女」として公に認められた瞬間でした。

幸福なひととき

1975年には、ジョンとヨーコにとって待望の子であり、ジョンにとっては次男にあたるショーン・レノンが誕生しました。ジョンは音楽活動を休止し、5年間の空白期間に入ります。「訴えるよりも願うことが大事」とジョンは考え方を変えたといいます。この時期、二人はショーンを溺愛し、故郷であるイギリスや日本を訪れたりしていたようです。家族三人仲睦まじい様子が日本の代表的な保養地である軽井沢などで残されています。

ジョンの死

空白期間の後、ジョンは本格的な活動復帰のため、1980年に再出発を意味する「スターティング・オーバー」を発表しました。しかし、その年の12月に世界中のファンを悲しませる衝撃的な事件が起きました。いつも通りレコーディングを終え、帰宅したジョンは自宅前で狂信的なファンに射殺され、40歳の短い生涯を閉じたのです。遺体と対面したヨーコは突然の事態を受け入れられず、そのときの言葉は「彼は眠っているの?」だったそうです。

ジョンは悲劇の死を遂げましたが、晩年はやっと愛のある平穏な生活が得られ、幸せだったのかも知れません。二人の思いが通じたのか、時代は変わり、1989年にベルリンの壁は崩壊し、40年の長きにわたる東西冷戦は終わりました。1990年にはジョンの生誕50周年を記念して、国連でジョンの追悼式が執り行われ、ヨーコが平和のためのスピーチを行い、「イマジン」が会場で流されました。ジョンの遺志は多くのミュージシャン達に受け継がれ、ヨーコは平和のためのイベントやコンサートを今なお開催しています。

時代を超える祈り

ようやく世界平和が実現したかにみえた2001年9月11日、アメリカでイスラム組織による衝撃的な同時多発テロが起き、世界各国は新たな恐怖に叩き落とされました。以後、イラク戦争や相次ぐテロ、中国や北朝鮮などアジア勢の台頭、さらにBREXITやトランプ就任などグローバル化に対抗する流れが起き、世界情勢は新たな局面に突入しています。

ジョンとヨーコの”国境のない世界”の理想は、グローバル化やアメリカ企業が推し進めたインターネット革命によって、部分的には継承され実現しました。しかしながら、アンバランスな二極化による新たな分断に対し、保守派の人々は”国境のある世界”に押し戻そうとしています。また、第三勢力の登場は”国境のない世界”にこそ起きる新たな課題です。

ジョンがもし生きていたら、このように複雑化した今の時代に何を想い、何を歌うのでしょうか。おそらくどんな時代であれ、優しさにあふれ情に厚いジョンは、弱い立場の人々の心に寄り添った主張をし続けたでしょう。ジョンとヨーコの思想は、人々への変わらぬ愛の精神に支えられているからです。二人が掲げた平和への祈りは、21世紀の時代にこそ、最も思い起こされるべき普遍的な理念なのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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