ココ・シャネル:古びた女性観よ、さようなら

ココ・シャネル(Coco Chanel)はフランス出身のファッションデザイナー。ファッションブランド「シャネル(Chanel)」は、今も世界的ブランドのひとつとして流行の最先端を走り続けている。

■決して恵まれてはいない生い立ちと自由へのあこがれ

1883年8月19日に産まれたココ・シャネル。しかし決して恵まれた家庭環境とは言えず12歳で母は病死し、父には捨てられて孤児院暮らしという非常に厳しい生活を強いられることとなります。この時代に厳しく裁縫を叩き込まれ、お針子として世間に出たココ・シャネル。同時に、歌手や女優を目指してキャバレーで歌う日々を送ります。

ちなみにこのキャバレー時代のあだ名「ココ」が、シャネルの有名なモノグラムに繋がります。

そこで知り合った将校のエティエンヌ・バルサンと愛人関係になります。そんな生活の中で作った帽子がバルサンの友人たちに認められ、バルサンの出資により帽子のアトリエを構えることになります。これが『シャネル』のスタート地点でもあります。

絢爛豪華なファッションが好まれた当時としては、シンプルでありながらスタイリッシュな帽子をデザインしたココ・シャネルは徐々に評価を高めていき、帽子だけにとどまらずオートクチュールに進出するまでになりました。

今思えば、お針子の傍ら華々しい芸の道を目指したのも、権力を持つ将校の愛人となったのもココ・シャネルにとって「自由になる為の選択」だったのかもしれません。

ファッション業界に進出したココ・シャネルは次々に女性のモード界に革命を起こします。

■女性の日常ファッションスタイルを一新

この時代、女性のファッションといえば腰をきつく縛って着用するコルセットが用いられていたことを中心に非常に華美で美しさを追い求めたものでしたが、機能性という面で考えるとあまり良いものではありませんでした。

そんな時代にココ・シャネルは、リゾート地の労働男性たちが着ていたファッションを基に、これまで男性の下着の素材として使われていた伸縮性の高い『ジャージー素材』を使ったこれまでに全くないデザインの女性服を創り上げます。

ゆったりとしていて着心地もよく、何より既存のものより動きやすいファッションは、第一次世界大戦中で男性がほとんど戦争へと駆り出されてしまっていたこの時代、女性の社会進出に伴って、瞬く間に人気を博しました。

■ChanelのNo.5誕生

1921年に発表した香水、俗にいう『ChanelのNo.5』も非常に画期的なものでした。

それまで香水は花などから採取した天然の香料を使っていた為、香りに持続性がなく、また手間がかかる為非常に高価でした。

そんな時、ココ・シャネルは世界で初めて「人工香料」を開発し、香水に取り入れることによって、香りの持続性と大量生産を可能としました。また、当時は凝った作りのものに入れて親しまれていた香水の瓶も非常にシンプルな作りにします。

ファッションには手の届かない人たちであっても手に取ることが出来る香水が誕生したことにより、シャネルの名前はますます広がることに。結果的にブランドイメージを広げると同時に、日常生活において香水が欠かせない当時、シャネルにとって安定的な収入源のひとつとなりました。

■リトル・ブラック・ドレス

日常的な女性のファッションにおいて革命をもたらしたココ・シャネルは、ドレスにおいても『当時の女性観』に別れを告げるきっかけを作ります。1926年に発表した『リトル・ブラック・ドレス』です。

それまでのドレスといえば、コルセットをキツく着用し、スカートの丈はくるぶしほどまで。そして全体的にきらびやかな装飾を施した、シンデレラなどの童話でお姫様が着ているようなものでした。

そんな中、ココ・シャネルは颯爽とスカート丈はひざ上まででシンプルなつくりの、しかも当時は喪服や使用人が着用する衣服にしか使われていなかった『黒色のドレス』で現れます。

もちろん、女性のファッションの在り方を変えるべくして作られたリトル・ブラック・ドレスですが、シンプルな作りにすることによって機能性の面だけでなくデザインそのものをほかの人たちにもコピーしやすくしたという狙いもありました。

ココ・シャネルは「コピーされるということは愛と賞賛をもらうこと」と遺していたように、模倣されることに対して非常に寛大でした。

そこには、デザイナーとして真似されるほどのモノを創り上げられたという喜びと同時に、少しでも流通量を増やし「ファッションを楽しむ」ということを、上流階級だけでなく一般市民にも広く親しんでもらうためであったための、彼女なりのファッションに対する「答えのひとつ」でもありました。

■『シャネル』を作った男性アーサー・カペル

ココ・シャネルには多くの友人、そして愛人やボーイフレンドが居たことでも知られていますが、その中でも特別な存在だったのが、バルサンの交友関係で知り合ったイギリス人のアーサー・カペルでした。

ココ・シャネルはアーサー・カペルを男性として愛していただけでなく、そのファッションなどに着目をして自分のデザインにも活かします。

またアーサー・カペルもそんな彼女に協力をしようと、資金的な援助だけでなく教養を与え、会社を経営するための知恵を与えデザイナーとしても、女性としてもココ・シャネルを創り上げただけでなく『シャネル』というブランドを成功させるための下地を作りました。

お互いを深く愛し、敬いあっていましたが1919年、アーサー・カペルはココ・シャネルに会いに行く途中自動車事故に遭い、彼女を遺してこの世を去ってしまいます。

多くの男性との恋仲が取りざたされることの多いココ・シャネルですが、生涯で唯一本当の意味で『愛した』のは、このアーサー・カペルただひとりだったことでしょう。それは彼女が生涯独身を貫いたことからもうかがえます。

■「人生は一度きり。 だから思いきり楽しむべきよ」

ファッション業界に度重なる衝撃をもたらし続けたココ・シャネル。特に彼女が残した「女性ファッション革命」は、ファッションのみならず当時の女性観や女性の生き方を大きく変えるターニングポイントとなりました

晩年もきれいに着飾り、着たいものを着る、生きたいように生きるを貫いていた反面、そのバックボーンには、母親は病死で別れ、父親には捨てられ、最愛の人には先立たれ、そして戦争を経験し、挫折を味わいと。最後は睡眠薬に頼らなければ眠れない日々を送っていたように、孤独や不安に苛まれたものでした。

彼女は数多くの名言を残しましたが、その中に「人生は一度きり。だから思いきり楽しむべきよ」という言葉があります。

彼女のファッションを身に着け、彼女の言葉に耳を傾けるすべての人に向けた言葉であると同時に、これはきっと、彼女自身が強く自分に言い聞かせていた座右の銘だったのではないでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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