モーツァルト:すべてが早すぎた天才

(Public Domain /‘Wolfgang Amadeus Mozart’. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は、オーストリア出身の音楽家。『5大オペラ』『トルコ行進曲』『アイネクライネナハトムジーク』などをはじめ、生涯で作曲した数は900曲以上にものぼる。

■『神童』と呼ばれたモーツァルト

1756年、ザルツブルグ宮廷作曲家でありヴァイオリニストとして活躍していた父・レオポルトと母アンナの間に産まれたモーツァルト。3歳の頃に音楽の才能を見出されてクラヴィーア(ピアノの前身)を弾き始め、5歳にして『アンダンテ ハ長調K.1a』を作曲するという、類まれなる才能を発揮していました。

レオポルトとモーツァルトは宮廷仕えをする一方で、ウィーン、パリ、ロンドンといった大都市へ旅行を繰り返し、演奏会を開いていました。

若くから才覚を見せている息子の演奏を多くの人に聞いてもらいたい、またその中でモーツァルトの才能を伸ばしていきたいという思いももちろんありましたが、当時、音楽家のみならず芸術を生業とする人々はパトロン(出資者)からの援助を受けて生活するのが一般的であった為、父としてはこの旅行を通じて息子により良いパトロンを見つけたいという気持ちが強かったようです。

この旅行の結果、ローマ教皇から『黄金拍車勲章』を授与され、後にブラームスやワーグナーなども所属していたボローニャの音楽機関である『アカデミア・フィラルモニカ・ディ・ボローニャ』に選出されるなど、評価こそ高くされてはいましたが、未だ良いパトロンには出会うことができていませんでした。
結果としてモーツァルトが音楽家としてしっかりと頭角を現すことが出来たのはウィーン時代と呼ばれる25歳以降のこと。神童と呼ばれていた彼の人生からすると遅すぎる印象も受けます。

そんなモーツァルトですが、素晴らしい音楽を残したほかにも多くの興味深いエピソードがあります。そのひとつがモーツァルトの「お金にかかわる話」です。

■モーツァルトはスーパーセレブだった?

2010年にモーツァルト研究チームが5年間にもわたってモーツァルトの収入について調査をした結果、彼は晩年であっても平均で約年収15万ユーロを稼ぎ出していたという研究成果を発表しました。

この金額がどの程度かといえば、当時モーツァルトが慕っていた先輩作曲家のハイドンが年収7万ユーロ前後。一般的な家庭が年収1万5000~2万ユーロほどで生活していたといわれており、モーツァルトがどれだけ高収入を得ていたかがわかります。そしてもちろんその生活も非常に派手なものでした。

高級住宅街でありながら部屋が7つもあり、2頭の馬を所有できる厩舎付きの住居に居を構えていたモーツァルト。その家賃はおよそ3万5000ユーロ前後であったといわれています。更に裕福な暮らしをするための生活費や、聞かざる為の衣料費、旅行を行うための旅行費などを含めると、やはり相応に出費も大きな額になったでしょう。

このことに加え、モーツァルトの収入に関して言えばあくまで「記録に残っている部分」の話であり、おそらくほかにも個人レッスンや世に残っていない作曲の収入なども考えれば「年収はもっと高いものであった」といわれており、その為、これだけの生活をしていたとしてもモーツァルトの収入を考えればお金に窮するとは考えづらかったとされています。

しかし、モーツァルトに関する文献には「多額の借金を残してこの世を去った」と書かれていることや、友人やパトロンにお金を貸してくれるよう願い入れる手紙が残っているようにお金のやりくりに四苦八苦していたようです。

■セレブなのに極貧生活?

モーツァルトがここまでお金に困っていた理由として最も有力なのが「浪費家で遊び好きだった」という説です。しかもひとつやふたつでなく数々のカードゲーム、ダーツ、射的、ビリヤードなど、遊びの幅も非常に広く単に遊ぶにあきたらず、当時禁止されていた賭博等も行っていました。

確かにモーツァルトには晩年も多くの収入があったといわれてはいますが、それでも全盛期の生活を続けてしまえば、窮するのは当然のことと言えるでしょう。幼いころからツアーを繰り返し、刺激的な世界で生きてきたモーツァルト。

この借金のエピソードに紐づけられて「平民出身の彼はお金の使い方を知らなった」と言われることがありますが、彼が残した言葉の中には貴族や裕福な層に批判的な言葉が多数見受けられ、それは出自に対するコンプレックスの表れともいえるのではないでしょうか。

彼にとって大きな浪費をすることは、そんな自分の生まれに対するコンプレックスを解消するための手段だった、そんな側面もあるのかもしれません。

■『手紙』に表れる彼の人となり

モーツァルトが生前に借金をしていたことが『手紙』からわかったように、モーツァルトは非常に多くの手紙を書いています。妻であるコンスタンツェに愛をつづった手紙を多く送っていたことでも有名です。

思ったことを何でも手紙にしてしまっていたのか、モーツァルトの手紙の内容はかなりストレートなものも多かったようです。例えば「あの楽器の為に音楽を作るのが腹立たしい」といった作曲の愚痴や、気に入らなかった相手を「髪を掴んで振り回してやろうかと思った」などの日常のエピソードまで、様々なことを手紙にしたためています。

手紙の内容を見ていくとわかるように、全体的にモーツァルトは自分の作る音楽やその才能に自信を持っていましたが、そしてそれと同時に、やや周りの人を下に見る傾向がありました。

それはある種、天才であるが故に常人には理解してもらえないことも多かったジレンマ故かもしれません。だからこそ、肉親である父親にこれほどまで多くの手紙を書き、話を聞いてほしかったのでしょう。

ちなみに、父親からの返事は大体いつも「行動が短絡的すぎる。お前の才能は神様からお借りしているものなんだ。だから大事に、謙虚に生きなさい」と、過激な文言や浪費癖も多かったモーツァルトを諫めるような内容でした。父は父で、そんなモーツァルトのことが、心配でたまらなかったのでしょう。

■すべてが「早すぎた」のかもしれなかった人生

「3歳でピアノをはじめ、5歳で初めて曲を作る」音楽に携わったことのない人ですら、この事実からモーツァルトがどれだけの才能の持ち主だったかがうかがえます。

しかしその一方でこれだけの才能を持ち、父・レオポルドが必死に大旅行を敢行した甲斐なくなかなかいいパトロンが見つからなかったのは余りに若すぎたがために「早熟の天才だろう」と考える人が多かったためと言われています。

また、モーツァルトが35歳という若さで亡くなった原因として考えられるのが、幼少期からの大旅行の移動中にリウマチを患い、その病状が悪化したため。当時道の舗装や馬車の技術が未発達ななかで、年齢的に成長期にあったモーツァルトが各地を旅するのは身体的に負担が大きく、しばしば病気にかかっていたという記録も残っています。

しかし、こういった要因がありながらもわずか35年の生涯の間に900以上もの楽曲を創り上げたモーツァルト。早熟の天才などではなく、やはりその才能は本物だったと数百年経った今なら、誰しもが自信をもっていえるだけの偉人でしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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