クリスティアーノ・ロナウド:世界最高のゴールマシン

クリスティアーノ・ロナウドは、ポルトガルのフンシャル出身のサッカー選手である。2018年時点、UEFAチャンピオンズリーグの通算最多得点記録など、数々の記録を打ち立てている人物だ。クラブチームや代表で多くのタイトルを獲得しており、世界最高のサッカー選手の一人と言われている。

<幼少期〜プロデビュー>

ロナウドは、1985年2月5日にポルトガルにあるマデイラ島のフンシャルで生まれます。父親は庭師をしており、母親は調理師をしている家庭で育ちました。ロナウドは兄弟が多く、三男二女の末子として育てられます。父親は庭師の公務員として働きながら、地元のサッカークラブを手伝っていました。このCFアンドリーニャでは従兄弟もプレーしていたため、ロナウドも6歳になるとこのサッカークラブに入ります。ロナウドはサッカーをはじめた頃、センターバックとしてプレーをしていました。年齢が上がるに連れてポジションを上げて、フォワードとしてプレーするようになります。ロナウドは、サッカーをはじめた頃から、類まれな才能を発揮していました。しかし、試合に負けると悔しさからよく泣いていたため、泣き虫というあだ名を付けられます。
サッカーをはじめて4年後には、CDナシオナルというサッカーチームに入りました。1997年になると、休みを利用して祖父とともにスポルティングCPを訪れて、入団テストを受けます。ロナウドはスポルティングCPのライバルであるSLベンフィカのファンでした。しかし、スポルティングCP のファンだった母親に説得されて、入団を決めます。ユースに入団することになるため、母親とともにリスボンへ引っ越しました。スポルティングCPは、ロナウドがユースに入団するにあたり、CDナシオナルに対し2万5千ユーロを支払います。
スポルティングCPのユースに入団すると、ロナウドは急激な成長を見せます。ロナウドは、スポルティングCPの歴史上はじめて、U-16、U-17、U-18、Bチーム、トップチームに1シーズンで出場した選手になりました。ロナウドは2002年10月7日に行われたモレイレンセ戦で初めて先発出場を果たします。スポルティングCPのクラブ史上最年少でゴールを決め、さらに2点目も決めました。ロナウドはスポルティングCPの歴史に名前を残すような選手になります。

<マンチェスター・ユナイテッド>

スポルティングCPとイギリスの名門マンチェスター・ユナイテッドとの親善試合が開催されたとき、監督のアレックス・ファーガソンがロナウドのプレーに関心をもつようになります。試合後、ロナウドとファーガソンは雑談を交わしました。ファーガソンはロンドンに帰るフライトでマンチェスター・ユナイテッドの所属選手にロナウドの獲得についてどう思うかと聞いたところ、キャプテンのロイ・キーンやエースストライカーのルート・ファン・ニステルローイが獲得を勧めます。また、マンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチだったカルロス・ケイロスは、ロナウドがデビューした頃から注目していたため、ファーガソンに獲得を進言しました。2003−2004シーズンの開幕前に、1224万ポンドの移籍金で5年契約をしてマンチェスター・ユナイテッドに移籍します。
マンチェスター・ユナイテッドのスター選手、デビッド・ベッカムが移籍したことにより、ロナウドの背番号は7番になりました。ロナウドは開幕戦で途中出場を果たして、マンチェスター・ユナイテッドでデビューします。シーズン中は途中出場と先発出場を交互に繰り返して、徐々にチームに慣れていきました。2005年10月29日に開催されたリーグ戦では、プレミアリーグのチーム通算1000点目を決めます。
06-07シーズンになると、ロナウドは17ゴール14アシストを記録し、自己最高の結果を残しました。FWA年間最優秀選手賞とPFA年間最優秀選手賞をダブル受賞します。これは1977年にアンディ・グレイが達成して以来で、30年ぶり史上2人目の快挙でした。ファンの投票で選ばれる年間最優秀選手賞も獲得し、史上初めて個人賞3冠を達成します。欧州最高の選手に送られるバロンドールでは2位になり、世界最高のサッカー選手の一人として認められるようになりました。07-08シーズンになると、ロナウドはさらに驚異的なシーズンを過ごします。
リーグ戦では31得点を決めて得点王に輝き、シーズン通算42得点という記録的なパフォーマンスを見せました。2年連続でFWA年間最優秀選手賞とPFA年間最優秀選手賞をダブル受賞します。チャンピオンズリーグでも8得点を上げる活躍をしました。ロナウドの活躍もあり、マンチェスター・ユナイテッドは9シーズンぶり3回目の優勝を果たします。この活躍が認められて、バロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞し、世界最高のサッカー選手になりました。
2008年の夏にはレアル・マドリードへの移籍が噂されます。しかし、残留宣言をしてマンチェスター・ユナイテッドに残り、新しいシーズンを過ごしました。2009年4月15日に決めたゴールは、シーズンで最も美しいゴールに贈られるプスカシュ賞を受賞するなど、引き続き活躍を見せます。

<レアル・マドリード>

ロナウドは、子どもの頃から憧れていたレアル・マドリードに、2009年夏に移籍します。移籍金はサッカー界史上で最高額の8000万ポンドという巨額でした。入団発表には10万人のファンが集まるなど、関心の高さが浮き彫りになります。ロナウドのユニフォームは、マドリード市内だけで120万枚を売り、移籍金を全てこの売上だけで回収しました。
レアル・マドリードでの最初のシーズンは怪我などがあったものの、リーグ3位の26得点を決めます。翌シーズンには、キャプテンでありレアル・マドリードの象徴だったラウール・ゴンサレスが移籍したため、ロナウドはマンチェスター・ユナイテッド時代に着けていた7番を贈られました。10月22日には自身初の1試合4ゴールを決めます。その後もハイペースでゴールを決め続け、シーズンの総得点数は47得点となり、クラブ記録を更新します。さらにリーグ戦のシーズン最多得点記録を更新して、リーガ・エスパニョーラの得点王になりました。2012年には、ロナウドはリーグ戦92試合目の出場で、リーガ・エスパニョーラ100得点を決めます。これまでの記録を大幅に更新して、歴史に名前を残しました。
2013年には、永遠のライバルと言われているリオネル・メッシを抑えて、再びバロンドールを獲得します。2013-14シーズンも活躍を維持して、チャンピオンズリーグを制覇します。翌年のチャンピオンズリーグでは準決勝で敗れるものの、これまで連覇したチームがいなかったこのトーナメントにおいて、2015-16シーズン〜2017-18シーズンまでチャンピオンズリーグを3連覇する原動力になりました。ロナウドはこの活躍により、サッカー史に名前を残す存在になったのです。

クリスティアーノ・ロナウドについて紹介してきました。彼は恵まれた才能を活かし、数々のゴールを決めてきました。現在はイタリアの名門ユベントスに移籍し、ゴールを量産しています。今後のロナウドのゴールシーンにも注目してみましょう。

出典:Wikipedia クリスティアーノ・ロナウド

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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