ジネディーヌ・ジダン:フランスサッカー界の将軍

ジネディーヌ・ジダンは、フランスのマルセイユで生まれたサッカー選手である。バロンドールをはじめ、数々の個人タイトルを獲得している人物だ。多くのチームタイトルを獲得しており、監督としてもタイトルを獲り成功を収めている。

<幼少期〜プロデビュー>

ジダンは、フランスのマルセイユで生まれました。父親は倉庫番とデパートの夜間警備員をしており、母親は主婦という家庭で育ちます。ジダンは5歳の頃、兄や友達と一緒に近所でサッカーをはじめました。9歳になると、ASフォレスタという地元のチームに入ります。ジダンはすぐにチームで力を見せて、キャプテンに任命されました。14歳のときにエクス=アン=プロヴァンスでキャンプに参加すると、ASカンヌのスカウトの目に止まります。ジダンの父親は、ジダンがマルセイユを離れてカンヌでホームステイをすることに反対します。しかし、母親はジダンがこれまで以上の教育を受けられると考えました。ジダンはマルセイユを離れて、カンヌへ向かうことになります。

<フランスリーグ>

カンヌのユースに加入した後は、順調に成長しました。1988年に、トップチームとプロ契約をします。このシーズンにデビューするものの、翌年からは4部リーグでのプレーを命じられました。
プロとして3年目になると、ジダンの才能は花開きます。ディビジョン1で最も才能に恵まれた選手と言われるほどの活躍を見せ、シーズン終了後にFCジロンダン・ボルドーに移籍しました。ボルドーでは、左の守備的MFとしてプレーします。35試合で10得点して、リーグ・アンの最優秀若手選手に選ばれました。ジダンはUEFAカップで活躍を見せ、ユベントスの首脳陣が注目しはじめます。

<イタリアリーグ>

1996年7月に、ジダンはユベントスに移籍します。ジダンはユベントスに加入後、徹底したフィジカルトレーニングを行い、強靭な肉体を手に入れました。移籍当初は目立った活躍ができなかったものの、トップ下で継続的に出場するようになると、チームに順応するようになります。このシーズン、ユベントスはリーグ戦とインターコンチネンタルカップ優勝し、ジダンにとっても初めてのメジャータイトルを獲得しました。ジダンは着実にミッドフィルダーとして経験を積み、世界最高の選手の一人として認知されるようになります。ユベントスには5シーズン在籍して、2度のリーグ制覇を成し遂げました。しかし、チャンピオンズリーグでは2度決勝に進んだものの敗れ、タイトルは獲得できなかったのです。ジダンは、よりテクニカルなスペインリーグでのプレーを望むようになります。また、ジダンの結婚相手がスペイン人だったこともあり、スペインへの移籍を模索するようになりました。

<スペインリーグ>

2001年7月に、ジダンは当時の世界最高金額の移籍金でレアル・マドリードに移籍します。ジダンはレアル・マドリードでは5番を着けて、プレーするようになりました。当時のチームには、キャプテンを務めるフェルナンド・イエロや天才と言われていたラウル・ゴンサレス、バロンドール受賞者のルイス・フィーゴなどが在籍しており、ジダンは攻撃の中心選手としてプレーするようになります。このチームは、銀河系軍団と言われるほど豪華でした。移籍当初は、マスコミからの凄まじいプレッシャーがあり、ジダンは引退してしまいたいというほど、追い詰められていました。しかし、次第にスペインでの生活にも慣れて、徐々に本稜を発揮しはじめます。とくに、攻撃的左サイドバックのロベルト・カルロスとの連携は見事で、魅力的なサッカープレイを見せるようになりました。
2001-02シーズンのチャンピオンズリーグでは、決勝に進みます。ジダンはこの試合で、決勝点となるボレーシュートを決めており、それはサッカー史上最も美しいゴールの一つと称されるほどでした。ジダンは自身のゴールにより、念願のチャンピオンズリーグを果たしたのです。2003年には、自身3度目となるFIFA最優秀選手賞を受賞します。2003-04シーズンには、レアル・マドリードはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝しましたが、ジダンにとってクラブチームでの最後のタイトルになりました。
ジダンは2005-06シーズンの途中で、2006 FIFAワールドカップで引退することを表明します。しかし、最後のシーズンでもチーム2位の得点を決め、チームトップタイのアシストを記録しました。

<フランス代表>

1994年8月17日にA代表デビューをします。ジダンはフランス代表でもデビュー戦から活躍し、ポジションを確保しました。EURO1996の出場権確保に貢献し、本大会でもフランス代表はベスト4進出を果たします。1998年に開催されたフランスワールドカップでは、決勝戦で2得点するなど地元開催での優勝に貢献しました。この活躍があったことで、バロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞します。EURO 2000でも優勝を果たし、メジャータイトルを連続で獲得しました。
EURO2004は、ベスト8で終わったことにより、代表引退を宣言します。2005年にはワールドカップ・ドイツ大会出場危機にあったフランス代表からの復帰打診があり、ジダンは復帰を発表しました。2006年のドイツ大会に出場が決まり、それだけでなく決勝にまで進みます。しかし、この試合の延長戦で相手DFに頭突きをして退場してしまいました。この大会後の引退を表明していたジダンは、このまま現役を終えたのです。

<監督時代>

引退後のジダンは、レアル・マドリードでクラブアドバイザーやスポーツディレクターに就任します。レアル・マドリードで監督をしていたジョゼ・モウリーニョの要請で、チームに帯同する機会も増えました。2013年からアシスタントコーチになり、2013-14シーズンからはトップチームの助監督に就任します。
下部組織のチームを指揮して、監督としての経験を積みます。2016年1月には、レアル・マドリードのトップチーム監督に急遽就任しました。勝てない時期が続いたものの、次第にチームは調子を戻します。チャンピオンズリーグで優勝を果たし、レアル・マドリードにとって久しぶりにこのタイトルを獲得しました。ジダンは選手としても監督としてもこのタイトルを獲得し、史上7人目となる快挙を遂げます。さらに無敗記録を40試合まで伸ばし、レアル・マドリードのクラブ記録だけでなく、スペイン記録も樹立しました。
2016-2017シーズンは、ローテーションを採用してリーグ戦とチャンピオンズリーグで選手を使い分けます。このローテーションが功を奏して、5年ぶりにリーグ戦を制しました。さらにチャンピオンズリーグも2連覇します。チャンピオンズリーグという名称に変わって以降、2連覇したチームは初めてであり、ジダンは歴史に名前を残す監督になりました。
2017-18シーズンには、リーグ戦での優勝を逃すものの、スーペルコパ・デ・エスパーニャを制し、さらにチャンピオンズリーグを3連覇します。大会最多優勝回数を更新し、このシーズンで監督を退任しました。

ジネディーヌ・ジダンについて紹介してきました。ジダンは選手としてバロンドールを獲るなど、サッカー史に残るサッカープレイヤーと評価されています。さらに監督としてもチャンピオンズリーグを3連覇するなど、史上初めて達成するなど名監督にもなりました。レアル・マドリードの監督を退任したものの、今後のキャリアにも注目です。

出典:Wikipedia ジネディーヌ・ジダン

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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