ラリー・ペイジ:Googleの生みの親

ラリー・ペイジは、アメリカ合衆国ミシガン州出身の起業家。Googleの共同創業者であり、前最高経営責任者を務めた人物である。世界で最も資産を持つ人物の一人として有名だ。現在はアルファベット社CEOを務めている。

<幼少期〜スタンフォード大学>

ラリー・ペイジは、アメリカ合衆国ミシガン州で生まれました。父親はミシガン州立大学で計算機科学・人工知能を教える教授、母親も同じミシガン州立大学でコンピュータプログラミングを教える教師をしていました。
両親の影響もあり、ペイジは6歳頃よりコンピュータに触れながら育ちます。
ミシガン大学に入学すると計算機工学を専攻し、1995年には、学士号を取得しました。
大学を卒業後は、スタンフォード大学院に進学を果たします。スタンフォード大学では計算機科学の博士課程に進みました。
ペイジは、テリー・ウィノグラードから指導を受けて人間とコンピュータの相互作用や情報アクセスインタフェースの拡張性、そして個人的なデータのデータマイニング手法などを学び、自らの方向性を確立していきます。なにより、後々に大きな影響を与えるWebのリンク構造や検索エンジンについても熱心に研究を進めています。
そしてペイジは、スタンフォード大学在学中に同じ履修科目を取っていたセルゲイ・ブリンに出会います。ペイジとブリンは、「大規模なハイパーテキスト的なウェブ検索エンジンに関する分析」という論文を共同で作成しました。ペイジとブリンは、修士号を取得した後にスタンフォード大学を休学しました。

<Google>

ペイジはブリンとともに、1996年にGoogleを設立します。当初のGoogleは、研究プロジェクトとしてはじまりました。彼らはWebサイトの関係を分析し、検索結果をランク付けするような検索エンジン理論を提唱します。ペイジとブリンが提唱した新しい検索エンジンは、「サイトに貼られているリンクページ数」と「Webページの品質」を評価するように作られ、この技術をペイジの名前にちなんで「ページランク」と名付けました。
1998年9月4日に、Googleは法人格を取得します。法人化したGoogleは、エンジェル投資家などから出資を受けました。1999年にはペイジとブリンはGoogleをExciteに売却することを望むようになります。ペイジとブリンはExciteのCEOに会い100万ドルで買収可能なオファーを出しました。しかし、オファーは拒絶されてGoogleを売ることはできませんでした。
ペイジとブリンは広告収入により収益を上げることに否定的な姿勢でしたが、2000年になると検索キーワードと関連のある広告を表示するサービスを提供します。
2001年になると、ペイジらが開発した新技術、ページランクの特許申請がおりました。ページランクはスタンフォード大学に特許が帰属され、ペイジは発明者として名前が記載されました。
ペイジらが創業したGoogleは爆発的に広がり続け、オックスフォード英語辞典やメリアム=ウェブスター大学辞典にも載るほどになるのです。
2004年になると、Googleは株式公開を行います。株式公開の前に、CEOを務めていたエリック・シュミットとペイジとブリンは三人で話し合い、2024年までの20年間をGoogleで働くことをお互いに合意しました。Googleが株式公開するときには、企業文化が変わってしまうのではないかという懸念がありました。これには利益優先になるため福利厚生が削られることや幹部が億万長者になることが根拠として挙げられています。ペイジはブリンとともにGoogleの企業体質は変えないと投資家に向けて保証したのです。ペイジなどが先導してGoogleのユニークな社風を変えないためにチーフ・カルチャー・オフィサーという役職を設けるなど、企業文化に対して注力します。
Googleは年々成長を加速させていき、ワシントン・ポストはGoogleの2005年度第3四半期に集計した利益数値が、対前年比で700%の増加と報じました。この要因として大企業の広告戦略がテレビをはじめ新聞や雑誌からインターネットにシフトしているからと解説しています。Googleはペイジをはじめとした幹部の努力により、企業体質を変えることなく爆発的な成長を遂げていきました。

2011年になると月間のユニークユーザーは10億人を超えるようになります。2012年には年間収益が500億ドルを超えるなど、好調を維持し続けました。

Googleは2013年に新会社Calicoを立ち上げます。ペイジは公式声明を発信し、Calicoのテーマは健康と幸福であり、老化とそれに関連する疾患についての研究に力を入れていくと表明しています。ペイジのこの発表からは、Googleのヘルスケア部門への関心の高さがわかると言われました。

2013年には、GoogleをはじめFacebookやマイクロソフト、インテルなど主要なIT企業が参加した連合体、Alliance for Affordable Internetを発足させます。開発途上国のインターネット普及率は31%しかなく、この数値の向上を目指す活動にも積極的に注力していくことになります。
2015年になると、Googleは大規模な組織編成を行います。Alphabetという親会社を作り、Googleも含めて多数の企業がその下に付くという改革に着手しました。GoogleでCEOを務めていたペイジはAlphabetのCEOになります。GoogleのCEOにはサンダー・ピチャイが後任になり、ペイジはより幅広い視点で組織全体を見るポジションに移りました。

<Google以外の活動>

ペイジは、GoogleやAlphabet以外でも、さまざまな活動をしています。2002年には世界経済フォーラムで、Global Leader for Tomorrowに指名され、未来のグローバルリーダーとしての立ち位置が明確になりました。2003年、スペインのIE ビジネススクールからは、名誉MBAを授与されます。2004年は、全米技術アカデミーの会員に選出されるなど、若いうちから世間にも実力を評価されました。2005年には、エックスプライズ財団の理事も務めます。ペイジはミシガン大学工学部で国家諮問委員も務めており、多方面で活躍しているのです。

ラリー・ペイジについて紹介してきました。ペイジがここまでのキャリアを築いたのは、両親の仕事の影響で小さい頃からコンピュータに触れてきたのが大きいのではないでしょうか。Googleという世界的な企業を一から作り上げ、世界のリーダーの一人として大きな影響力を発揮しています。まだまだ成長を続けるGoogle、そしてAlphabetをどのように引っ張っていくのか、今後のペイジから目が離せません。

参考:Wikipedia
ラリー・ペイジ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Google
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※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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