リオネル・メッシ:神の子と呼ばれる天才サッカー選手

リオネル・メッシは、アルゼンチンのサンタフェ州ロサリオ出身のサッカー選手である。世界最高の選手に送られるバロンドールを6回受賞している人物だ。FCバルセロナに所属しており、17歳でトップチームにデビューした。アルゼンチン代表としてもプレーしており、公式戦年間通算最多得点記録の保持者になっている。

<幼少期〜バルセロナへの移籍>

メッシは、アルゼンチンのロサリオで、1987年6月24日に生まれました。
父親はサッカーチームのコーチをしており、メッシも5歳から本格的にサッカーをするようになります。1995年になると、ニューウェルズ・オールドボーイズという地元のサッカーチームに入りました。そのころからメッシは類まれな才能を発揮しており、すぐに大活躍するようになりました。しかし、10歳になると成長ホルモンの分泌異常が発見され、他の子供のように成長できず低身長になってしまう確率が非常に高く、成長ホルモンを投与しなければ、身体の発達が止まってしまうことが判明しました。

13歳になったメッシはスペインの名門サッカーチーム、FCバルセロナの入団テストを受けて合格します。当時、監督をしていたカルロス・レシャックも、この入団テストを見ており、レシャックは、メッシのプレーを見てあまりの才能に驚愕し、その将来性に戦慄しました。
FCバルセロナは、即決でメッシの成長ホルモンの治療費を全額負担することを約束し、これを機にメッシだけでなく家族全員が移住することになりました。メッシとFCバルセロナは、2001年3月1日に正式に契約を結びます。このときのメッシの身長は、まだ143cmしかありませんでした。家族とともにスペインに移住したメッシは、アルゼンチンにいる友人と離れることになります。内向的だったメッシは、友人と離れることに大きなショックを受けましたが、家族やFCバルセロナのサポートにより、徐々にスペインに順応するようになっていきます。

<FCバルセロナのトップチームに定着>

メッシはFCバルセロナのユースチームでプレーする傍ら、成長ホルモンの治療を根気よく続けました。
その甲斐あって、身長は170cmまで伸び、さらにFCバルセロナで懸命に磨きをかけた才能も急速に飛躍し、一流のテクニックを身につけていきました。
3部リーグのバルセロナCでは、2003-2004のシーズンに10試合で5得点、2部リーグのバルセロナBでは、2004-2005のシーズンに22試合で6得点を記録しました。
2004年10月16日に行われた第7節エスパニョール戦で、メッシは17歳でトップチームにデビューします。2005年5月1日に行われた第34節アルバセテ・バロンピエ戦で、初得点を記録しました。メッシはこの得点を17歳と10ヶ月7日で決めて、当時のクラブ史上最年少得点記録を更新します。メッシはこのシーズンはレギュラーに定着こそできませんでしたが、才能を発揮してFCバルセロナのリーグ制覇に貢献しました。

<FCバルセロナのレギュラーに定着>

メッシはこのオフに前シーズンの貢献を評価され、2014年まで契約を延長し、さらにはスペインの市民権も得ることが叶います。
2005-06シーズンになると、フランス代表のリュドヴィク・ジュリと右ウィングのポジションを争います。メッシはポジション争を勝ち上がり、素晴らしい活躍を披露しました。メッシはウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドらを抑えて、イタリアの有名なスポーツ紙、Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)に選出されます。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのチェルシーFC戦でスーパープレーを見せるも、アクシデントで右足の筋肉を故障し、このシーズンを終えました。この故障により、メッシはリーグ戦で17試合、チャンピオンズリーグで6試合のみの出場となりました。FCバルセロナは、このシーズンにリーグ戦とチャンピオンズリーグで優勝を果たしています。
翌シーズンも故障で離脱することが多かったものの、印象的なプレーを多数見せます。FCバルセロナの宿敵であるレアル・マドリードとの試合ではハットトリックを記録するなど、人々にメッシの時代になることを見せ付けました。さらにスペイン国王杯のヘタフェ戦では、センターサークル辺りから相手選手5人をかわし、得点を決めました。これはメッシと同じアルゼンチン出身の伝説的なプレーヤー、マラドーナのプレーに似ており、マラドーナの後継者としてさらに注目を集めるようになりました。この2006-07シーズンは、リーグ戦とカップ合計で36試合に出場し17得点を記録しました。

<世界最優秀選手への道>

2007-08シーズンはチームが不振に陥り、批判にさらされるものの、メッシ自身は好調を維持して欧州最優秀選手を選ぶバロンドールで3位に選出されました。バロンドールは、欧州最優秀であるとともに、世界最優秀選手の称号でもあり、メッシが世界のトップに上り詰めるのも時間の問題と言われるようになります。
2008-09シーズンからはエースナンバーである10番をつけます。メッシはゴールを量産してチームも好調を維持しました。リーグ戦、カップ戦、チャンピオンズリーグの三冠を達成するなど、歴史的な快挙を遂げます。チームの年間得点王にもなり、このシーズンからエースに君臨するようになりました。
そしてついにメッシは2009年12月1日にアルゼンチン出身者として三人目となるバロンドールを受賞します。世界一のクラブチームを決めるクラブワールドカップでは、FCバルセロナは優勝を果たしました。メッシはこの大会で、MVPにあたるゴールデンボール賞を獲得します。FIFA年間最優秀選手でも、アルゼンチン出身のサッカー選手として初めて受賞しました。バロンドールを受賞し、チームも世界一になったため、メッシは名実ともに世界で最も優れたサッカー選手の一人と賞賛されるようになりました。
2010年1月16日に、メッシはFCバルセロナの史上最年少で通算100得点を決めました。メッシは2試合連続でハットトリックを決めたり、チャンピオンズリーグの通算得点がFCバルセロナでトップになったりするなど、このシーズンも驚異的な結果を残しました。チャンピオンズリーグのタイトルこそ逃したものの、リーグ戦は連覇し、得点王と欧州リーグで最もゴールを決めた人に贈られるヨーロッパ・ゴールデンシューも獲得しました。
この活躍が評価されて、2011年になるとFCバルセロナの同僚のイニエスタやシャビを抑えて、2年連続でバロンドールを受賞します。その後もバロンドールを獲得しつづけ、歴代最多の6回も、この賞を受賞しています。

リオネル・メッシについて紹介してきました。メッシは世界最高の選手の一人として、多くのサッカーファンから称賛されています。数多くのチームタイトルにも恵まれ、個人タイトルも獲得しました。メッシはベテランになりつつありますが、これからも魔法のようなプレーで、私たちを魅了してくれるでしょう。

参照:Wikipedia リオネル・メッシ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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