トニー・アイオミ:奇跡のレフティ!

のちに、ヘヴィ・メタルの帝王とまで言われたオジー・オズボーンが結成したハードロック・バンドがブラック・サバスです。イタリアン・ホラーの巨匠マリオ・バーヴァが作った映画のタイトルから取ったバンド名は、やがて世界中にその名を轟かせることになるのです。

ブラック・サバス結成

ブラック・サバスの誕生は、オジーが出した小さな求人広告がきっかけでした。15歳で学校を退学しバンド結成を考えたオジーは、手書きのメンバー募集の広告を街中に貼り出したのです。
広告を見て集まったのはベースのギーザー・バトラー、ドラムのビル・ウォード、そしてギターのトニー・アイオミでした。
ブラック・サバスといえば、今でこそビッグ・ネームですが、なんとファースト・アルバムは自費制作でした。1970年2月13日の金曜日、13日の金曜日にあやかってリリースされた「Black Sabbath」はわずか2日で制作され、ほとんどの楽曲がボーカルまで同時に録音されたスタジオライブとも言える内容でした。
このアルバムはビルボードに1年もの間チャートインし、100万枚の売上を記録しますが、当時の専門家からは酷評されてしまいます。
デビュー・アルバムから半年後には、異例の速さでセカンド・アルバムがリリース。「Paranoid」と名付けられたこのアルバムは、当時イギリスでも人気の高かったサイモンとガーファンクルの「Bridge over Troubled Water」をチャートから追い落とし、イギリスでNo.1、アメリカでも12位を記録するスマッシュ・ヒットを記録し、辛口の批評家たちを黙らせることに成功するのです。
1976年の「Technical Ecstasy」まで、リリースされたアルバムはいずれもスマッシュ・ヒット。バンドは押しも押されもせぬハードロック・バンドに成長します。
ところが、1970年台後半になると、音楽の世界にも新しいムーヴメントが起こります。
「エレクトロ・ポップ」「シンセ・ポップ」と呼ばれる新しい音楽ジャンルは、ゲイリー・ニューマンやヒューマン・リーグ、クラフト・ワークといったスターを生み出し、同時にハード・ロック・シーンに翳りが見え始めるのです。
ブラック・サバスの8枚目のアルバム「Never Say Die」もその影響を受け、全米チャート69位とふるいませんでした。その結果、オジーは2度目の脱退を決意し、ソロ・プロジェクトへと向かうことになるのです。

オジーからディオ、そして…

オジーの後任に選ばれたボーカルは、レインボーで活躍したロニー・ジェイムス・ディオでした。
実力派ボーカル、ロニーの加入はメディアからも歓迎され、アルバム「Heaven and Hell」はロング・セラーとなりプラチナ・アルバムを獲得することになります。
ディオは結局2枚のアルバムを発表して脱退、後任には元ディープ・パープルのイアン・ギランが加入することになります。
時代を代表するハードロック・バンド、ディープ・パープルとブラック・サバスの融合は賛否両論あり、こちらも1枚のスタジオ・アルバムを残しただけで消滅してしまいます。
その後も、元ディープ・パープルのグレン・ヒューズ、スティーラーのロン・キール、ブルー・マーダーのトニー・マーティン、ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードとビッグ・ネームをボーカルに迎えますが長続きせず、途中オリジナル・メンバーの1人、ギーザーの脱退もあり試行錯誤の時代を迎えてしまいます。

リユニオンから頂点へ

1997年、トニーの提唱によりオジー、ギーザー、ビルのオリジナル・メンバーによるツアーがスタート。ただし、ソロ活動が順調だったオジーが多忙であったこともありアルバムは発表されませんでした。
その後、2007年、今度はロニー時代のメンバーにより再結成がなされ、バンド名をヘヴン・アンド・ヘルと改め活動します。
アルバム「Dehumanizer」を発表するも病のためロニーが他界、バンドは自然消滅してしまいます。
2011年には、再びオジーを迎え再始動もするも今度はドラムのビルが契約上の問題から不参加を表明。しかし、前作「Forbidden」から8年ぶり、オジー参加としては37年ぶりとなるアルバム「13」は初の全米No1を獲得することになるのです。

トニー・アイオミのプレイ・スタイル

トニーがギターを始めたのは少年時代、誕生日にギターをプレゼントされたことがきっかけでした。ギターを手にしたトニーは、ブルースやジャズに傾倒し、さまざまな音楽を吸収していきました。
しかし、そんなトニーを不幸な事故が襲います。当時、バンドだけでは食べて行けず金型工場でアルバイトをしていましたが、ある時、プレス工が休んだためトニーが作業を変わることになったのです。
不慣れな作業に加えてバンドの活動も並行していたトニーは、あやまって機械に右手を挟んでしまい、中指と薬指の先端を失ってしまったのです。
レフティであったトニーにとって、右手の指は弦を抑える大切な役割があり、ギタリストとしては致命的とも言える事故でした。
激しく落ち込むトニーに、工場の上司は1枚のレコードをプレゼントします。そのレコードはヨーロッパではじめての偉大なジャズ・ギタリストと言われたジャンゴ・ラインハルトのものでした。
ジャンゴもトニーと同じように事故で弦を抑える方の指が2本不自由でしたが、独特のプレイ・スタイルによって克服しトップ・ギタリストとして名声を得ていたのです。
トニーは、まず、自分で洗剤のプラスチック容器を溶かしオリジナルの義指を作ります。次に不自由な指でもベンドがしやすいように、弦のテンションを下げるためにダウン・チューニングを取り入れます。キーボードのいないブラック・サバスではダウン・チューニングを取り入れることはそれほど難しいことではありませんでしたが、あえてギターのチューニングを半音下げること自体画期的なことだったのです。
そして、現在のハード・ロックでは当たり前のルート+5度によるパワー・コードによるバッキング。これもトニーが最初であったと言われています。
自らを襲ったアクシデントを努力と工夫でプラスに変えたトニーの才能は、その後のハード・ロックギタリスト達に大きな影響を与えることになるのです。

トニー・アイオミのおすすめアルバム

トニーの歴史はブラック・サバスと共にあり続けたと言っても過言ではありません。そんなブラック・サバスのアルバムの中から、まずおすすめしたいのが彼らのセカンド・アルバム「Paranoid」です。

ファースト・アルバムからほとんど日を開けずにレコーディングされたこのアルバムには、その後のセット・リストの中心となる「Paranoid」や「Iron Man」といった初期のブラック・サバスを代表する名曲が収録されています。
ロニー・ジェイムス・ディオが加入した9枚目のアルバム「Heaven and Hell」も様式美あふれる壮大な作風でファンの多い1枚です。

美しいアルペジオの音色から重いリフが始まる「Children of the Sea」、ブラック・サバスにしてはメジャーな雰囲気はあるものの多くのバンドがカヴァーした名曲「Neon Knight」など中期を代表するアルバムとなっています。
そして、おそらく最後のスタジオ・アルバムにして、結成以来45年の歴史の中で初の全米No.1を獲得した「13」も外せない1枚です。
とても37年ぶりにオリジナル・メンバーが揃ったとは思えないほど、しっくりとまとまったアルバムで、一気にデビュー当時のブラック・サバスのおどろおどろしさに引き込まれてしまいます。
それでいて、トミーのギターもギーザーのベースもしっかりと時代を反映して古臭くはありません。音楽シーンに突如現れた黒い衝撃を再現するかのように、不気味で重々しいリフが続く「End of the Beginning」で始まるこのアルバムには「Loner」、「Live Forever」、「Dear Father」など、これぞブラック・サバスと言えるほどの名曲がひしめきあっています。
平均年齢64歳のベテラン・ロック・バンドにこれほどの余力があったこと自体おどろきですが、その後のツアーで見せた高いパフォーマンスにはさらに驚かされました。

現在のトニー・アイオミ

2013年、アルバム「13」を発表した後、2016年からは最後のワールド・ツアーと銘打たれた「The End」を敢行します。そして、2017年2月には、ブラック・サバス生誕の地でもあるバーミンガムにおいて約50年におよぶ活動に終止符を打ったのです。
その後、オジーは自らのバンドに戻ったものの、ベースのギーザーとギターのトニーは、さらなるブラック・サバスのニュー・アルバムに対して否定はしていません。
ギーザーは、バンドの原点とも言えるよりブルース色の強いアルバムの制作をほのめかしていますし、トニーも年齢的なこともありツアーは無理でも、新しいアルバムに関しては可能性があると言っています。
ブラック・サバスの歴史が、このあとも続くか否かは、オジーの気持ち次第と言っても過言ではないようです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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