エアロスミスとジョー・ペリー:アメリカン・ロックの頂点

西のKISSに対し、東のエアロスミスと言われたほど当時人気を二分していたカリスマ的ロックグループです。解散、リユニオンなど成功までの軌跡は決して平坦ではありませんでしたが、モトリー・クルーやガンズ・アンド・ローゼスなど世界的な成功を収めたバンドもエアロスミスをリスペクトしていると公言しており、今や名実ともに世界有数のハードロックバンドに君臨しています。

エアロスミス誕生

エアロスミスの誕生は1970年まで遡らなければなりません。アメリカのニューハンプシャーで行われたジョー・ペリーとトム・ハミルトンが参加していたアマチュア・バンドの演奏をスティーヴン・タイラーが見かけたことからプロジェクトはスタートします。
当時のスティーヴン・タイラーは、すでにセミプロとして活動しており、ある程度名前を知られた存在でしたが、当時はボーカルではなくドラムを担当していました。
ジョー達との新しいバンドを結成するにあたり、スティーヴンはボーカルに徹するため、新しいドラムとしてジョーイ・クレイマーを迎え入れます。
サウンドに厚みをもたせるためにツインギターを採用しましたが、最初のギタリストであるレイモンド・タバーノはわずか半年で脱退。後任にはバークリー音楽大学を卒業したインテリ・ギタリスト、ブラッド・ウィットフォードに決定します。
この、ブラッドの加入こそがエアロスミスがただのロックバンドで終わらなかった一つの要因であったとも言われています。
ニューハンプシャーでの出会いから3年、ついにエアロスミスのデビューが決まります。バンド名をアルバム・タイトルにした「Aerosmith」は、アメリカ東海岸のラジオ局を中心にブレイクします。
同アルバムからシングルカットされた「Dream on」は、物悲しいギターの音色から始まる佳曲で全米チャートの59位を記録するスマッシュヒットとなったのです。

成功から低迷期へ

初期の名曲「Sweet Emotion」や「Walk this way」を含む3枚目のアルバム「Toys in the Attic」がプラチナ・アルバムを獲得してエアロスミスの人気は決定的なものになります。
しかし、この時期売れたバンドが全てそうだったように、エアロスミスも過酷なスケジュールに忙殺されていくことになるのです。
今より、移動手段もレコーディング施設も充実していなかった時代、数年にも及ぶワールドツアーとレコーディングを同時に行うことは、簡単ではありません。成功した多くのミュージシャンと同じように、彼らもまた疲れや眠気を遠ざけるためにドラッグに手を出し、高ぶった気持ちを抑えるためアルコールに溺れていきます。
壊れかけた精神状態でコミュニケーションがスムーズに行くわけもなく、メンバー間の軋轢は次第に大きくなっていきました。
特に、バンドの顔とも言えるスティーヴンとジョーの対立は激しく、最後には観客のいるステージの上でケンカを始めてしまうほど関係が悪化してしまいました。
最終的にジョーはエアロスミスを脱退し、ジョー・ペリー・プロジェクトを起ち上げます。しかし、バンドの不幸はこれだけでは済みませんでした。
ジョーがバンドを去った2年後、今度はもう一人のギタリストであるブラッドがバンドを脱退してしまいます。ブラッドの音楽的才能と知識が荒削りなエアロスミスの楽曲をまとめていたこともあり、ここに来てバンドは出口の見えない迷路にはまり込んでしまうのです。

復活のエアロスミス

ジョーとブラッドを失った中で発表された「Rock in a Hard Place」は全米チャートの最高32位で決して売れなかったわけではありません。しかし、デビューから6作品連続で獲得してきたプラチナ・アルバムに達することはなく、決して満足できるセールスではありませんでした。
「Rock in a Hard Place」から2年後、大きな転機が訪れます。ボストンでライブを行っていたエアロスミスをジョーとブラッドが揃って訪ねたのです。オリジナル・メンバーで話し合った結果、ドラッグ、アルコールから脱却すること、マネージメントを一新することを条件に2人が戻り、エアロスミスはリユニオンすることが決定したのです。
ジョーとブラッドの復帰はもちろんですが、ここで注目したいのがプロデューサーの存在です。
復帰1作目こそテッド・テンプルマンによるプロデユースでしたが、自作で起用したのがブルース・フェアバーンです。テッド・テンプルマンは初期のヴァン・ヘイレンのアルバムをヒットさせたことで有名でしたが、あまりハードロックに強いといった印象はありませんでした。
対して、ブルース・フェアバーンは3000万枚以上売り上げたと言われるボン・ジョヴィの3枚目のアルバム「Wild in the Streets」をはじめ、全米チャート2位を記録したAC/DCの「The Razors Edge」などヘヴィなサウンドのプロデュースに定評がある人物です。
新体制で発表された9枚目のアルバム「Permanent Vacation」は全米チャート11位を記録、シングルカットされた「Angel」は最高3位まで上昇し、エアロスミスの復活を決定づけたのです。

サウンドの要 ジョー・ペリー

エアロスミスにおいて、スティーヴンに並ぶ存在感を発揮しているのがジョー・ペリーです。レスポールを弾く姿をよく目にしますが、かなりのギターコレクターで600本をゆうに超えるギターを所持しており、ツアーにもヴィンテージを含めた数十本のギターを持ち込んでいます。
その中には、ギブソンのルシールに奥さんであるビリー夫人を描いたシグネイチャーモデルもあります。エアブラシで正確に描かれたビリー婦人を見ると、改めてジョーの愛妻家ぶりが伺えます。
その他にも、ギブソンのES-335やファイヤーバード、フェンダーのストラトキャスターやBCリッチなども使用します。
よく、KISSと比較されるエアロスミスですが両者はお互いをリスペクトしあっています。計算されたライブで飛び入りゲストなどありえないと言われるKISSですが、2003年に行われたロスでのステージでは、ジョーが飛び入り参加、過去のメンバー以外でKISSと共演したのは、後にも先にもジョーただ一人です。
また、ヤードバーズに代表されるブリティッシュ・ロックに傾倒しており、フェイバリット・ギタリストとしてジェフ・ベックの名前を挙げています。

エアロスミスのおすすめアルバム

スタジオアルバムだけで15枚。そのうちのほとんどの作品がプラチナ・アルバムを獲得しているエアロスミスの作品の中から1枚を選ぶことは不可能に近い作業と言えます。
それでもあえておすすめを選んでいくとすれば、まず初期の作品からは「Rocks」でしょうか。全米チャート3位を記録しリユニオン前の作品の中ではもっともセールス的に成功しました。
いまだにセットリストにあがる「Back in the Saddle」やシングルヒットした「Last Child」
などが収録されている名盤です。
エアロスミスを初めて聴くという人には「Live Bootleg」もおすすめです。1978年にリリースされたこのライブアルバムは初期のベスト盤とも言えるラインナップになっています。
中でも、タイニーブラッドショウ楽団のカヴァーである「Train Kept a-Rollin’」はエアロスミスのライブの定番曲で一聴の価値があります。
後期のエアロスミスでは、やはり復活の狼煙となった「Permanent Vacation」がおすすめです。シングルカットされた「Angel」「Dude」「Rag Dall」の3曲は全米3位、14位、17位とどれも大ヒットを記録しています。
1度はレコーディングした曲を全て破棄し、1から作り直したことで有名なアルバム「Get a Grip」ではついに念願である全米チャート1位を獲得しています。
熟考を重ねたアルバムだけに非常に完成度が高く、シングルカットされた「Livin’on the Edge」が第36回グラミー賞ベストロックパフォーマンス賞を、「Cryin’」が第37回グラミー賞ベストロックパフォーマンス賞をそれぞれ受賞しています。
また、ブルース・ウイルス主演で大ヒットを記録した映画「Armageddon」の主題歌「I Don’t Want to Miss a Thing」が収録された「Just Push Play」はファンならずとも聞いておきたい名盤です。
このアルバムには、スティーヴン・タイラーの娘であるリヴ・タイラーやジョー・ペリーの息子であるトニー・ペリーもレコーディングに参加しています。
とくに、リヴは映画の中でヒロインであるグレース・スタンパーを演じていて映画でもアルバムでも親子共演が実現しています。

現在のエアロスミス

スティーヴン・タイラーの70歳を始め、メンバーの平均年齢も65歳を越えてきたエアロスミスですが、レコーディング、ライブとも精力的に行ってきました。
ただ、年齢によるものなのかメンバーのトラブルも相次ぎ、ジョー・ペリーがライブ中に倒れ病院に緊急搬送されたり、スティーヴの体調の悪化からライブが見送られたりアクシデントが続いています。
なにより、オリジナルベーシストであるトム・ハミルトンが喉頭癌の治療のため長く活動できないなど問題は少なくありません。
しかし、エアロスミス結成50年にあたる2019年には大規模なツアーをアグレッシブに行っています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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