モトリー・クルー:不良集団が一夜でヒーロー?アメリカンドリームの申し子

1980年代にアメリカを中心に起こった世界的ヘヴィ・メタル・ムーブメントによって大成功を収めたバンドの一つがモトリー・クルーです。デビューから37年で全世界8000万枚を売り上げたスーパーバンドの素顔に迫ります。

ドラッグ、アルコール、ロックンロール

モトリー・クルーは1981年ベースのニッキー・シックスによって産声を上げます。ドラムのトミー・リー、ギターのミック・マーズはすぐに決まったのですが、バンドに合うボーカルだけが中々見つからない状態が続きました。
ヘルプのボーカルを入れ替えてライブをこなしている状態にあっても、ニッキーとトミーのルックスのおかげでバンドの人気は徐々に上がっていったそうです。
その後、新聞のメンバー募集広告を見てオーディションを受けに来たヴィンス・ニールを正式なメンバーとして迎え入れ1982年「Too Fast For Love」で正式にデビューすることになります。
バンドはこの頃からアルコールやドラッグの乱用が目立ち始め、メンバーは同時期にデビューしたヴァン・ヘイレンのデイヴ・リー・ロスやラットのスティーヴン・パーシーなどと連日連夜パーティーを行っていました。
1983年にはKISSのサポートアクトに大抜擢されますが、あまりにひどいドラッグとアルコールの過剰摂取を理由に、2,3公演で契約を打ち切られてしまいます。
彼らの自堕落なドラッグ習慣は6年後に発売される5枚目のアルバム「Dr. Feelgood」まで続くことになります。

度重なる不祥事

ロックスターとして数々の名曲を生み出し、プレスリリースに多くの話題を提供してきたモトリー・クルーですが、同じくらいゴシップ記事も数多く提供し続けてきました。
もっとも有名な事件は、1984年の暮れに起きたヴィンスの飲酒運転でしょう。当時、若手有望株としてメジャーデビューを目前に控えていたハノイ・ロックスのメンバーとパーティーをしていたヴィンスは、途中で切れたビールを買いに行くために車で出かけます。
この時、同乗していたのがハノイ・ロックスのドラマーであるラズルでした。泥酔状態のヴィンスは猛スピードでハイウェイを突っ走り、歩いていたカップルを避けようとして事故を起こしてしまいます。幸い、カップルの方は軽症で済みましたが、助手席にのっていたラズルは死亡、ハノイ・ロックスは、なんとかメジャーデビューは果たしたものの後任のドラムが見つからず翌年に解散することになってしまいました。
ヴィンスは、その他にも1989年のMTVミュージックアワードの会場でガンズアンドローゼスのギタリストであるイジー・ストラドリンに、2002年には当時のプロデューサーだったマイケル・シューマンに暴行を働き、2003年には売春婦を殴り罰金刑を課せられます。その後も、素行が落ち着くことはなく、2016年にはサインを求めにきた女性ファンを地面に押し倒し怪我を負わせるなど老いてなお血気盛んな一面を見せ続けているのです。
リーダーでもあるニッキー・シックスこそ、1987年にヘロインの過剰摂取で心肺停止を経験してからおとなしくなったものの、ドラムスのトミー・リーはヴィンスを上回るゴシックネタを提供し続けてきました。
全身にタトゥーを入れたトミーも他のメンバーと同様、アルコールとドラッグに溺れる毎日を繰り返してきましたが、1994年にはドラッグの過剰摂取で緊急搬送されることになりました。
さらに同年末には、当時付き合っていたモデルのボビー・ブラウンに対する暴力行為で逮捕されてしまいます。
翌年に女優のパメラ・アンダーソンと結婚しますが、1998年にまたしても暴行容疑で逮捕、収監されることになります。ちょうど、バンドは全米ツアーの真只中で、ツアー終了後、収監されると同時にモトリー・クルーからの脱退を発表します。
その後、バンドはオジー・オズボーンバンドなどでも活躍したランディ・カステロを後任に迎えますが病で急逝、ホールで活躍していたサマンサ・マロニーをサポートメンバーに起用するもバンドはまとまらず、2003年、リーダーであるニッキーが新バンドを結成したことを契機に解散することになります。

復活のモトリー・クルー

モトリー・クルーの再結成はバンドのメンバーによる意思ではありませんでした。ハリウッドのプロモーター会社がモトリー・クルーのリユニオンは大きな利益を生むと考え、メンバー抜きで計画が進められたのです。
当時、ギターのミックは30代の頃から患っている血清反応陰性関節炎の治療のため療養しており関係者はおろかメンバー達も行方を知りませんでした。
重いギターを肩から掛けているだけで病状が悪化すると言われており、前年のツアーを終えたころには背中から首まで硬直し首を曲げることもできないほど深刻な状態だったそうです。
なんとか、オリジナルメンバー全員の了承を得て開始されたリユニオン・ワールド・ツアーは大盛況で再びロック界の頂点に返り咲いたのです。

モトリー・クルーの特徴

若い頃は、メンバーのルックスと反社会的とも言える言動がティーンエージャーを中心に受け入れられ、反逆のロックンローラーなどとも呼ばれていました。その後、トミー・リーの個性的なドラムワークを中心に徐々に演奏スタイルや楽曲も注目されるようになったのです。
中でも、ライブでの「Wild Side」の時に披露されるドラムセットごと浮き上がり観客席にせり出し、縦方向に360度回転するド派手なギミックは大いに話題となりました。
それまでも、ドラムセットが上昇したり移動したりするセットはキッスのピーター・クリスなどが行っていましたが、ドラムを叩きながら360度回転する仕掛けは初めてだったのです。
ギターのミックは、カスタマイズされたフェンダー・ストラトキャスターを愛用しています。ピックアップはハムバッキング、シングルコイル、ハムバッキングの組み合わせで、トレモロユニットにはフロイドローズがマウントされています。
ステージ上では主に白いストラトを使用していますが、その他にも、同じカスタマイズでタバコサンバーストとブラックにペイントされた2本も確認できます。

モトリー・クルーのおすすめアルバム

37年のキャリアの中で発表されたスタジオ・アルバムは9枚と決して多くはありません。その中でおすすめしたいアルバムと言えば、セールス的にもっとも成功した5枚目のアルバム「Dr. Feelgood」が挙げられます。
ゲスト・ミュージシャンにエアロスミスのボーカル、スティーヴン・タイラー、チープトリックのボーカル、ロビン・ザンダー、同じくギタリストのリック・ニールセン、ナイト・レンジャーのベースボーカル、ジャック・ブレイズなど、そうそうたるメンバーを迎えて作られたこのアルバムは、全米アルバムチャートの1位を獲得します。
ゲスト・ミュージシャンの話題性もさることながら、このアルバムの特筆すべき点は、メンバー全員がドラッグを一切断った状態でレコーディングが行われたという点です。
実は、このアルバムが制作される前の年に、ニッキーがヘロインの過剰摂取で生死の境をさまよったという出来事がありました。その事件を教訓としてはじめてシラフでアルバム制作に望んだというわけなのですが、結果としては全米1位、モトリー・クルーの歴史の中でもっとも成功したアルバムとなったのです。
その他には、トミー・リーの弾くピアノのメロディが美しい「Home Sweet home」や「ドラムのダブルアクションが新鮮な「Smokin in the Boys Room」が収録された「Theater of Pain」も評価の高いアルバムです。
3枚目のアルバムとして発売された「Theater of Pain」は、前の年にヴィンスが起こした自動車事故で急逝したハノイ・ロックスのラズルに捧げられたものですが、モトリー・クルーらしく全体的にポップでキャッチーな曲を中心に構成されています。
荒削りな印象は拭えませんが、彼らのデビューアルバムである「Too Fast For Love」も根強い人気を持っています。
最後までセットリストの中心だった「Live Wire」や初期の名バラード「Merry-Go-Round」などが収録されていますが、このアルバムはデビュー前に彼らが作成した自主制作アルバムをリミックスしたものになっているのです。
そう考えるとかなりのキャパシティを持っていたバンドだったことが分かりますね。

現在のモトリー・クルー
2004年に復活し活動してきたモトリー・クルーですが、2015年に彼らの地元であるロサンゼルスでのライブを持って再び休止期間に入りました。翌年にはドキュメンタリー映画である「The End」を公開しています。
そして、2019年11月にはツアー停止契約を破棄し再び活動を再開しました。
Netflixでも自伝映画が公開されるなど、今後もモトリー・クルーの動向からは目が離せません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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