BMW M GmbH:もっと凄いBMWを目指して

ドイツの自動車メーカーBMW(Bayerische Motoren Werke AG)の車たちは、運転する喜びを強く実感できる、スポーツ性能に優れたモデルが多い。中でも、特別な装備や機能を加えて高性能ぶりをアピールしているのが、「M」のアイコンを冠した車たちだ。その開発の中核となるのが、BMWグループのひとつ「BMW M GmbH」。「Motorsport」のMを頭文字に、40年以上に渡ってピュアなスポーツカーたちを生み出してきたBMW Mというブランドは、どんなきっかけから誕生したのだろうか。

●スペシャリストたちが作り出す、特別なモデルたち

世界の自動車メーカーの多くは、基本となる量産モデルとは別にスポーツ性能を高めた特別なブランドを用意している。とくに欧州系のメーカーは本体とは別に企業体を組織して、高性能なモデルの開発・製造に熱心に取り組んできた。

MERCEDES BENZの「AMG」、AUDIの「RS」、RENAULTの「RENAULT SPORT」、プジョーなら「PEUGEOT SPORT」、最新の例ではVOLVOが2017年から「POLESTER」というブランドを正式に立ち上げている。

そうした特別なスポーツブランドに共通しているのは、モータースポーツシーンで勝つことでブランドイメージを高める、というコンセプトだ。一方で、コストや製造設備の問題で基本のラインでは実現できないレベルに対応するための、メーカーなりの方便という一面も垣間見える。

どちらにしても、特別なブランドにふさわしい特別な職人集団が精魂込めて作り上げる車たちには、類い稀なオーラが宿る。ここでご紹介するグループ会社「BMW M GmbH」もまた、そのひとつ。

さまざまな意味で野心的で挑戦的で、なによりも走らせることが幸せになる車たちを数多く世に送り出してきた。

●モータースポーツでの勝利がブランドの高性能をアピールする

そもそも、どうして自動車メーカーは、モータースポーツというステージでの勝利にこだわっているのだろうか。

いわゆる四輪自動車の競技が広まり始めたのは、1890年代半ばのこと。その背景にあったのは、初めての自動車として誕生した蒸気機関に対して、より効率の良いガソリン自動車が台頭し始めたことだった。技術的には後発のガソリン自動車が、先達である蒸気自動車に挑戦する構図だ。

結果的には、自動車の世代交代がこの頃から一気に進むことになる。たとえば1895年にフランスのパリ−ボルドー間で開催されたレースでは、ガソリン車15台、蒸気自動車6台、電気自動車1台が参加。22台中完走したのは9台で、そのうち8台がガソリン車だったという。

モータースポーツは、ガソリン車が主流になり始める黎明期と言える時代に始まり、同時に自動車という工業製品の優位性を比較検討する場として広く知られることになった。その意義が120年を経て今なお、自動車作りに大きな影響を与えているのだ。

●自動車作りの重要なエレメントとしての取り組みをスタート

航空機製造に始まりエンジンメーカーとして活動を展開していったBMWが、本格的な4輪自動車の製造に取り組んだのは1928年のこと。30年代半ばにはすでにレース活動を開始、耐久レースなどでも勝利をおさめている。

戦後、BMWがモータースポーツ活動に本格的に取り組む契機となったスポーツサルーンが、1800/2000Tiだ。やがて2ドアスポーツの2002へと進化していく。このモデルをベースとするレーシングマシンが、欧州のレースシーンを席巻した時代があった。

当時、そうしたレース専用の車両を製造していたスペシャリスト集団が、いわゆるチューナーと呼ばれる存在だった。BMW公認のチューナーとして長い伝統を誇る「ALPINA」をはじめ、「SCHNITZER」「HAMANN」「HARTGE」など、現代も名を残す名門ブランドがレースに参戦し、活躍していた。

それに対して、BMW本体もまたモータースポーツに取り組む重要性に注目する。モータースポーツを自動車作りの重要な原動力のひとつと捉え、スペシャリストチームを結成、グループに属する子会社として独立した企業体「BMW Motorsport GmbH」を立ち上げることになった。それが1972年のことだ。

●精鋭たちを率いるのは、ポルシェの元ワークスドライバー

新会社が本格的な拠点を構えたのは、ドイツ・ミュンヘンのプロイセン通りだった。ほぼ同じ時期、1973年に建設された「フォーシリンダービル」と異名をとる本体のBMW社屋からは、車で5分ほど、徒歩でも20分圏内という極めて近い位置関係にある。

新会社設立当時の社員数は、35名だったという。決して多くはない。が、ひとりひとりが卓越した技術と経験を持つ、スペシャリストの集団だった。

チームを率いたのは、Jochen Neerpasch。技術者でありレースマネジメントの名手であり、自らもステアリングを握って過酷なレースを戦い抜いてきた、生え抜きの「アスリート」だ。

ドライバーとしては、ポルシェのワークスドライバーとして活躍してきた。中でも「マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」が、際立つエピソードのひとつだと思う。

ニュルブルクリンクで現在も開催されている24時間耐久レースは、世界有数の過酷なレースとして知られている。だがこの「マラソン・デ・ラ・ルート」は、その3倍以上もの長い時間を走る、文字どおりのマラソンレースで、1967年から1970年にかけて開催されていた記録が残っている。

Neerpaschは1967年、Vick Elford、Hans Herrmannらとともにポルシェ911Rを駆って参戦し、見事にトップでチェッカーを受けた。他にも908LMでル・マン24時間レースに参戦、1968年には総合3位、クラス優勝に輝いている。

●レース監督として、市販モデルに技術をフィードバック

そうした実績を持つNeerpaschは、レースチームの監督としても実績を残した。BMW Motorsport設立の直前までドイツ・フォードに所属、ETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)ではカプリRS2600で1971年と1972年のシリーズを戦い、圧倒的な強さを見せている。

直後に、BMW Motorsports設立に携わり、モータースポーツディレクターとして数々のレース活動を指揮するとともに、市販モデルへのモータースポーツスピリットのフィードバックにも貢献した。

余談だがNeerpaschは、人材発掘という意味でも非常に優れていた。BMW時代、彼は多数の優秀なワークス・ドライバーを見出し育てている。しかし圧巻は80年代末からのメルセデス・ベンツ時代のエピソードだろう。

89年のル・マン24時間レースで監督としてザウバー・メルセデスチームを優勝に導いたNeerpaschは、1990年シーズンの世界スポーツプロトタイプカーレースに3人のルーキーを実戦投入、シリーズ連覇を成し遂げている。

その3人の名は、Karl Wendlinger、Hainz-Harald Frentzen、そしてMichael Schumacher。Neerpaschはまさに、慧眼の持ち主だったと言えるかもしれない。なにしろ3人はのちに揃ってF1GPドライバーとして活躍、Schumacherに至っては「皇帝」の異名で呼ばれる伝説的存在になるのだから。

●世界でもっとも成功したツーリングカーの誕生

約8000㎡の敷地にレーシングワークショップのほか、エンジンテストベンチや組み立て部門などが揃ったBMW Motorsport GmbHの初仕事は、2002ターボの開発だった。市販モデルとしては世界初となるターボチャージャーを装着することで、直列4気筒2ℓの SOHCエンジンは当時としては驚異的な170psを発揮している。

続いて実戦投入されたのは、伸びやかで美しいスタイリングを持つ2ドアクーペ「3.0CS」を軽量化、高出力化した「3.0CSL」だった。2002はある意味、ターボチャージャーによるハイパワー志向を突き詰めたチューニングだが、CSLは軽量化に重点的に取り組んだことが画期的だろう。

CSの後につく「L」は、ドイツ語の「Leicht=軽さ」を意味する。ドアとエンジンフードにアルミ素材を用い、5速マニュアルギアボックスにはマグレネシウム・ハウジングが採用されていた。軽量化の具体的な数値は、公式発表によれば約300kgに達している。

エンジンの高出力化にも、もちろん注目したい。スタンダードな仕様も年々進化していたが、BMW Motorsportが手がけたCSLは3340ccの排気量から、最高出力を70〜80%ほど上乗せした360psを絞り出していた。

実戦デビュー以来、約10年に渡りル・マン24時間レースやETCでBMW Motorsportレーシングチームに数々の勝利をもたらした3.0CSLは、「当時もっとも成功したツーリングカー」と言われている。そのボディを彩った白地に青、紫、赤のストライプを配したカラーリングは、現代に至るまで「M」が最強である証として受け継がれているのだ。

●育まれた強さと誇り。「M」一文字がそのすべてを語る。

こののち、BMW Motorsport GmbHは1974年から生産がスタートした初代5シリーズの高性能モデル開発を手がけ、スポーツカー顔負けの速さを持つ4ドアサルーンという新たな価値観を提案してみせる。

一方で、よりピュアなスポーツ性を体現したオリジナルモデルの開発を進め、1978年にはついに、ミッドシップ2シータースポーツ「M1」を世に送り出した。これこそが、「M」のバッヂが特別なモデルとして世界に認められることになる、第一歩と言えるだろう。

この後、M1の血統を受け継ぐ「M5」と「M635CSi」が1984年に市販を開始。
1986年には3.0CSLと同様「世界でもっとも成功したツーリングカー」と呼ばれた「M3」が登場し、レース界を席巻するとともに市販モデルもカリスマ的人気を博した。

やがて1993年、BMW Motorsportが「BMW M」を名乗る時がやってくる。それほどBMWにとって、「M」のブランドイメージは重要で不可欠な存在に成長していた。

1995年には英国法人の「BMW Motorsport Ltd.」にモータースポーツ活動が受け継がれ、同時に市販モデルの「M化」はますます進化、多様化していくことになるのだった。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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