ケヴィン ・ オークイン:ビューティー業界の伝説と軌跡

ケヴィン・オークインはVOGUEにて何度も表紙を担当するほどのメーキャップアーティスト。1980年代後半から1990年代にかけて、ビューティー業界で細眉ブームなど様々な流行を作り出し、有名人のメイクを手掛ける。2002年に脳腫瘍のため死去。ケヴィン・オークインがクリエイターをつとめたこともある資生堂ブランド、インウイでは現在販売されている商品が少ないものの、その人気は健在で熱心なコレクターもいるほど。

ケヴィン・オークインをご存知でしょうか。世界的有名なメーキャップアーティストであり、カメラマンでした。1980年代後半から目覚ましい活動を続けてきた彼ですが、2002年脳腫瘍のため亡き人となりました。そんな彼がビューティー業界でどのような影響を残したのかご紹介します。

※画像はイメージです。

ケヴィン ・ オークインが作った伝説

●ケヴィン・オークインはアメリカ合衆国・ルイジアナ州の北西端に位置するシュリーブポートで生まれました。彼は幼少時、カトリックの慈善団体を通じて両親のもとに養子になりました。
彼は子どものころから化粧品に興味があり、同時期に養子になった姉妹にメイクをしてポライドカメラで写真を撮る遊びをよくしていました。
彼が6歳の時、自身が同性愛者であることに気が付き、学校でいじめられることが増え、それは高校まで続きました。そしてついに退学してしまいます。
その後ケヴィン・オークインは美容学校に入学しメイクアップについて勉強しましたが、メイクアップについてもっと学びたいと思う一方、なかなか望み通りにいかない日々を送っていました。ケヴィン・オークインが18歳の時、彼は女性専用の化粧品店の小さな一角で働きはじめました。しかし男性にメイクされることをあまりよく思わない女性も多かったようです。
1982年恋人でありマネージャーも務めていたジェッド・ルート(Jet Root)とともにニューヨークに移住し、メーキャップアーティストとしてのキャリアをスタートさせました。ジェッド・ルートは現在でも世界的に有名なエージェントとして第一線で活躍し、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、東京、マニラなどにオフィスを持っています。

●彼が初めてニューヨークについた時、彼の能力をアピールするためのポートフォリオを作成するため、テストモデルに無料でメイクを施しました。次の年、世界的ファッション雑誌「VOGUE」の写真家スティーブン・マイゼル(Steven Meisel)と一年半の間一緒に働き、その後の3年間でVOGUEの撮影を18回以上経験しました。
1986年にスーパーモデルシンディ・クロフォード(Cindy Crawford)の撮影により彼は新たなキャリアを積むこととなりました。1987年から1989年にかけて、ケヴィン・オークインは9つのVOGUEの表紙の撮影を担当、国際的な女性ファッション雑誌「コスモポリタン(COSMOPOLITAN)」の表紙を7つ担当するという超売れっ子のメーキャップアーティストになりました。
彼のモットーは女性自身が美しいと感じることが重要で、メイクは女性自身がそのことに気がつくための手助けに過ぎない、ということです。
全ての女性が美しい、という哲学を持ち歴史上もっとも有名なメイクアップアーティストの一人でした。

●ケヴィン・オークインという名前を知らない人でも、おしゃれに、メイクに興味がある人なら知らないうちに彼の影響を受けている可能性があります。ケヴィン・オークインは美容業界で現代のメイクアップトレンドの影のブレーンといえるでしょう。例えば、1990年代流行した「細眉」は彼が生み出したものでした。
また、InstagramなどのSNSで流行したコントゥアリングもケヴィン・オークインが、ずっと前に著書でその写真を掲載していることから、彼が生み出したと言えるでしょう。コントゥアリングとはシェーディングやコンシーラー、色味の違うファンネーションを使用して顔に光と影をかき、メリハリのあるメイクアップ方法です(時にはデコルテにもコントゥアリングメイクを施すことがあります)。

●1980年代後半から1990年代にかけ、人気を博した有名人のほとんどがケヴィン・オークインにメイクを手掛けてもらったといっても過言ではないかもしれません。彼の死後から15年以上経った今でも、ケヴィン・オークインと交流のあった著名人たちにインタビューをするドキュメンタリーが公開されるなど、彼への信頼の厚さがうかがえます。
それにより、面白いエピソードも聞くことができます。

●例えば、ジェニファー・アストンがまだデビューして芸歴も短かったころ世界的ファッション雑誌『COSMOPOLITAN』誌の表紙を飾ることとなりました。その時メイクを担当したのがケヴィン・オークインでした。当時は細眉が流行しており、眉を脱色するためブリーチ剤を付けたそうです。ジェニファー・アストン自身は抵抗があったりましたが、ケヴィン・オークインにNOとは言えず、その後数か月間眉にブラン系のシャドウで色を付けて生活した、ということです。

●2018年に公開されたドキュメンタリーではナオミ・キャンベルやケイト・モスなど多くの有名人がケヴィン・オークインとの思い出を語っています。この中でも眉に関してのエピソードがケイト・モスによって語られています。ケヴィン・オークインは歯医者のような椅子を持っており、ケイト・モスを寝かせ動かないようにして、眉をすべて抜いてしまったというのです。

●ビューティー業界に数々の流行と伝説を築いてきたケヴィン・オークインですが、2001年9月、頭痛が増えたケヴィン・オークインは病院で検査した結果下垂体腫瘍と診断されました。診断から1年もたっていない2002年5月、40歳の若さで亡くなりました。

死後もなお、思いが受け継がれる化粧品ブランド

ケヴィン・オークインと同名の化粧品ブランド「Kevyn Aucoin Beauty」は2001年に設立され、今も世の女性たちに美しくなるためのツールを提供し続けています。Kevyn Aucoin Beautyの化粧品の数々は人々に美しいことは勇敢であるという力強いメッセージが込められています。またケヴィン・オークインの著書もメイクアップアーティストにとってのバイブルとして今も、美しくなるためのテクニックを教えてくれます。

彼がクリエイターをつとめたことがあるインウイって?

ケヴィン・オークインは資生堂の化粧品ブランドINOUI(インウイ)にてクリエイターをしていたことがありました。
INOUI(インウイ)とはフランス語で「驚くべき、前代未聞の」という意味です。インウイは1976年に「彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。」という鮮烈なキャッチコピーで登場しました。洗礼された美しいデザインと機能性は、キャリアウーマンにふさわしいものでした。日本・アメリカ・イタリアの資生堂スタッフが共同で研究し、国際的に売りだすことを意識して珍しく資生堂のマークである椿が入っていません。
初代パッケージカラーは赤い木目調で大文字の「INOUI」が入っています。メイクをする女性であれば思わず手に取ってしまうような、うっとりとする美しいデザインです。
また、1985年資生堂INOUIのリニューアルを担い、セルジュ・ルタンスがCMを手がけ、カンヌ映画祭で金賞受賞したことでも話題となりました。
2002年には事実上後継のブランドであるINOUI IDが登場し、インウイは完全にINOUI IDに移行するかと思われましたが、2007年3月に撤廃しました。
現在インウイでは廃盤してしまった商品も多く、品数は少ないもののアイライナーやアイブローライナーなど人気のある一部の商品は販売され続けています。1999年以来、インウイとしての新しい商品は発売されていません。

インウイのコスメよ、永遠に

インウイ人気は非常に根強く、次々とアイテムが廃盤になっていくことに嘆く女性も多かったようです。廃盤したアイテムは見た目のデザインも美しいため、今もなお収集している女性も少なくありません。また、フレグランスの人気も高かったため廃盤になったインウイの香りを求めて、高値で取引されることも多いようです。

まとめ

数々の流行を作り、ビューティー業界で伝説となったケヴィン・オークインですが、その人生は決してやさしいものではなかったはずです。現在でも生前メイクを施してもらった多くの有名人が当時を思い出し、語るのは彼の女性の美に対する情熱と信頼が厚かったからではないでしょうか。よろしければぜひ一度、彼の著書を手に取ってみてください。あなたが美しくなるためのバイブルとなることは間違いないでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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