ジャスパー・ジョーンズ:《旗》のイメージ

ジャスパー・ジョーンズは、1930年ジョージア州オーガスタに生まれたネオダダやポップアートの代表的な画家です。そんなジョーンズの作品としては《旗》が知られています。この一見してアメリカの国旗にしか見えない作品にはどんな意図が込められているのでしょうか。

■ジャスパー・ジョーンズとは

ジャスパー・ジョーンズは1930年、アメリカ合衆国ジョージア州、オーガスタに生まれました。幼いころ両親が離婚したため、幼少期は祖父母と共にサウスカロライナ州で暮らしています。その後サウスカロライナ州コロンビアで母親と1年ほど過ごすと、その後は叔母と共に暮らし、1947年にはエドモンド高校を卒業します。1947年から1948年にかけてはサウスカロライナ大学で学び、1949年にはニューヨークに移りパーソンズ美術大学に入学。徴兵されて陸軍に入り、1952年から1953年の間には朝鮮戦争のため日本の仙台に駐留していました。

1952年に兵役を終えて帰国、1954年ごろから国旗や数字、ダーツの的などを題材にした作品を発表するようになります。同じくネオダダのアーティストとしてロバート・ラウシェンバーグが知られていますが、ふたりはたまたま同じビルに入居していたこともあり、友人関係にありました。また同時期にはマース・カニンガムやジョン・ケージと知り合い強く影響を受け、現代美術のアーティストとして活躍するようになります。

そんなジョーンズが広く知られるようになったのは、美術商のレオ・カステリがラウシェンバーグのアトリエを訪れ、その作品を目にしたことがきっかけでした。カステリはジョーンズの才能を見出し、初個展を企画します。個展ではニューヨーク近代美術館の館長であるアルフレド・バルが4点の作品を購入し、新しいアートシーンを担うアーティストとして一躍有名になっていきました。

■《旗》

そんなジョーンズの作品の中でもっとも有名なのが《旗》です。《旗》は陸軍の兵役を終えた1954年から55年にかけて制作された作品です。

ジョーンズはこの作品を制作するきっかけとして、次のように発言しています。


「ある夜、私は大きなアメリカの旗を描く夢を見た。翌朝、起床したらすぐに出かけて素材を買いに出て作り始めた。制作には長い時間がかかった」

One night I dreamed that I painted a large American flag, 
引用:MOMA

ジョーンズはほかにもアメリカの地図を描いた《地図》やダーツの的を描いた《4つの顔のある標的》を描いていますが、これらは「いずれも一般的に誰もが知っているイメージ」でした。ジョーンズはこうしたイメージを主題とすることで新しいデザインを作り出すことなく、新しいアートのスタイルを作り出すことに成功します。
通常画家はモデルや風景を描き、作品とします。しかしジョーンズは広く知られたイメージを主題とすることで「旗を描く」そして「旗そのもの」の二つのイメージを一つの作品に込めることに成功しているのです。

作品の細部に目を向けてみましょう。《旗》は1912年から1959年までのアメリカの国旗を表しており、アラスカ州とハワイ州の数だけ星は少なく描かれています。13の赤と白のストライプが描かれていますが、その下に注目してみると新聞がコラージュされていることに気が付きます。この新聞は特に政治的な意味のあるものではなく、単にジョーンズが適当に選んだものでした。
また《旗》にはエンコースティックといって蜜蝋を用いる技法が用いられていますが、画面にある程度の立体感が生み出されていることで「もの」としても強調されるようになっています。

ここで問題になるのはジョーンズがこうした作品を通して、何を提起しようとしていたのかということです。このころアメリカ、ニューヨークを中心として抽象表現主義が盛んになっており、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらが活躍していました。ジョーンズをはじめとしたネオダダの画家たちはこうした抽象表現主義のありかたに疑問を抱き、日常的にありふれたイメージを作品に取り入れることで、アートとは崇高なものではなくより具象的なものであるのではないかという問題提起を行ったのです。

■ジョーンズの他の作品

《旗》はジョーンズの作品のなかでももっとも有名な作品ですが、そのほかにもジョーンズは精力的に制作活動を行い、数々の作品を残しました。以下ではそんなジョーンズの作品を数点ご紹介します。

《4つの顔のある標的》 1954-55年

ジョーンズは1954年から55年にかけて《4つの顔のある標的》という作品を制作します。これは合板に布と新聞紙を張り付け、その上にダーツの的が描かれた作品です。赤い下地の上に青と黄色の円で構成されたダーツの的が描かれており、その上には顔の鼻から下部分が4つ描かれています。

ダーツもまた《旗》と同じく日常的な遊戯の一つとしてありふれたイメージでした。そのダーツを描くことで「これはダーツなのか、それともダーツを描いたもので何か意図があるのか」という疑問を鑑賞者は抱くことになります。こうして日常的なイメージはオブジェ化されていき、それでもなお絵画としてあり続けられるという絵画の新しい可能性をジョーンズは示したのです。

《地図》 1961年

《地図》は1961年に制作された作品です。赤や青、黄色などを用いてアメリカの地図が描かれており、土地名を表すために文字がステンシルで描かれています。これまでジョーンズが作品でテーマとしてきたように、「アメリカの地図」というありふれたイメージが用いられており、その粗雑なタッチがなければ「これは地図なのか、それとも描かれた地図なのか」と迷ってしまうところです。

ジョーンズは「アメリカの地図」を主題とした作品を複数制作しており、中にはほぼ黒一色に塗られた《地図》も存在しています。こちらは暗い画面ながらもうっすらと州名を読み取ることができますが、右下の部分は油彩で塗りつぶされてしまっているところもあります。
この右下の部分は人種差別が根深い地域であり、そこにはジョーンズの出身地でもあるジョージア州も含まれていました。60年代は公民権運動が高まり、ケネディ大統領やキング牧師の暗殺、ベトナム戦争などアメリカは重苦しい時代の中にありました。このように日常にあふれたイメージであってもその表現方法によっては、社会のありようを表現できるということをジョーンズは示したのかもしれません。

■ポップアートへ

マルセル・デュシャンの《泉》によりはじまった「芸術とはなんなのか」という問いは、「芸術とは才能のある芸術家が1点1点手作業で創作するもの」「既製品はアートではない」といったこれまでのアートに関する固定概念を破壊しました。
その後アーティストたちは新しい芸術の在り方を模索するようになり、アートシーンの中心がヨーロッパから大量生産・大量消費社会であるニューヨークに移ったこともあり、既製品や大衆的な図像を作品に用いるようになります。そうした手法をとってアートの世界に大きな影響を及ぼしたのが、ジャスパー・ジョーンズでした。

このようにありふれたイメージを作品に用いるという手法は、のちにポップアートに引き継がれることになり、1960年代には漫画の一コマを拡大してキャンバスに描いたロイ・リキテンスタインやキャンベルのスープ缶やマリリン・モンローをシルクスクリーンで描いたアンディ・ウォーホルらが活躍しました。

今一度これまでの芸術の在り方に立ち戻ってみると、アートは画家がモデルや風景を描く1点もの、とされてきました。しかしその芸術のコンセプトに疑問が投げかけられたことで、アートのイメージは大きく広がり、「旗」や「地図」といった日常的なイメージにまで広まっていったのです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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