チャールズ・イームズ:20世紀アメリカを代表する建築家のものがたり

チャールズ・イームズ(1907-1978)は20世紀アメリカを代表する建築家であり、工業デザイナー&映画監督としてマルチに活躍した人物である。建築では「イームズ邸 ケーススタディハウスNo.8」インテリアでは「イームズ チェア」映画では「パワー・オブ・テン」など数々の名作を発表し、後世に多大な影響を与えている。妻のレイ・イームズと共にイームズ夫妻としても活躍した人物である。

生い立ち

1907年アメリカのセントルイスで生まれたチャールズ・イームズ(以下イームズ)は長男として生まれたものの、5番目の子どもということもあり女系の家庭で育ちました。12歳の頃に写真が趣味だった父親が亡くなり、そのカメラを使いイームズは写真を撮ることに熱中します。写真を通じて見えてくる世界の有り様にこの当時から気づいていたのです。

そして14歳の頃になると週末に製図の仕事に就くこととなり、これが建築の道へ進むきっかけとなりました。建築そのものへの興味を次第に強めていき、1925年には地元セントルイス・ワシントン大学の建築学科へ進学します。在学中、イームズは当時近代建築の分野で活躍していた建築家フランク・ロイド・ライトに夢中になり大学の授業でも取り上げるように要望していたものの、まだ時代が早すぎたのかあろうことか退学の憂き目にあってしまうのです。才能があったがために考え方も先鋭的で大学教育と折り合いがつかなかったことが原因といわれています。

退学後、大学在学中に知り合ったキャサリン・ウーマンと結婚し、当時ヨーロッパで全盛を極めていたモダニズム建築を巡り自身の建築の考え方が間違っていないことを再認識して自信を深めていきます。アメリカに帰国後、1930年にイームズはチャールズ・グレイ、ウォルター・ポーリーと共に建築事務所を地元セントルイスで開きます。ここからイームズの建築人生が本格的に始まったのです。

建築家人生のはじまり

いざ独立したものの当時は世界恐慌のため、どんなに優秀であろうとも仕事の依頼はほとんどない状況でした。そんな厳しいなかでもいくつかの建築作品を残し建築雑誌に掲載されます。それが縁となり、後に仕事のパートナーとなるエーロ・サーリネンの父、エリエル・サーリネンと交流を持つようになります。エリエルはフィンランド人独特のデザイン感覚と、ヨーロッパ各国の様式を巧みに取り入れ、特に高層ビルデザインにおいてイームズはエリエルの建築哲学に多大な影響を受けています。

そこから月日を経て1940年には息子のエーロと共に「オーガニック家具デザイン」というMOMA(ニューヨーク近代美術館)主催のコンペに出品し、優秀賞を受賞しています。翌年の1941年はイームズにとって変化の年でした。妻のキャサリンと離婚し、永遠のパートナーとなるレイ・カイザーと再婚します。ここからイームズ夫妻の活動が始まっていきます。また同年、医者からの依頼で「レッグスプリント」という足を固定する添え木の開発に着手します。それと同時にイームズ夫妻は「プライフォームド・ウッド」という会社を設立します。当時は第二次世界大戦中であり海軍からの大量注文もありましたが、注文から入金までの支払いの時間が長く、常に資金繰りに苦しんでいました。

1943年にエヴァンスプロダクツ社に会社の製造・販売権を買ってもらうことでこの窮地を乗り切り、レッグスプリントは最終的に15万個以上生産され、イームズ作品ではじめて大量生産されたものとなりました。

家具の発表とハーマンミラー社

1945年、第二次世界大戦が終わると、イームズはそれまでにデザインしていたプライウッドチェアを発表します。その軽量で洗練されたデザインは好評で、職場と自宅のどちらにも適応された新しいイスの提案だったのです。翌1946年にはMOMA (ニューヨーク近代美術館)にてイームズ展を開催。これがきっかけでイームズのエヴァンスプロダクツ社とハーマンミラー社は契約を結びます。1949年にはハーマンミラー社が買収したことにより、イームズとの結びつきはより強固になっていきます。

ケース・スタディ・ハウス

ケース・スタディ・ハウスで作られた「イームズ邸 ケーススタディハウス No.8」はイームズにとって代表作となる建築作品です。これは建築雑誌「アーツ・アーキテクチュア」が1945年から65年にかけてロサンゼルスで計画した36の住宅を指します。雑誌社がそれぞれ建築家を選び、これからの若い世代に向けた「ローコストでモダンで開放的なライフスタイルの住宅提案」をテーマに建設されたものです。さらに住宅の設計・生産・流通・住まいに関わる住宅理論を机上のままにせず実行されたこのプロジェクトは、世界中の建築家に影響を与えることになり、それに伴いイームズも知名度を上げていきます。

特にアメリカの住宅の考え方を変えたという評価をされ、それまで内装は同じでも外観だけが様々な建築様式となってしまう折衷様式が主流だったので、鉄とガラスで構成された住宅提案がいかに新しく先鋭的な企画であったか、21世紀の今でも現代の建築とは何か問い直す手がかりの一つとして、イームズのケース・スタディ・ハウスは今も輝き続けているのです。

Powers of Ten パワーオブテン

1968年に制作された映像作品「Powers of Ten」 はイームズの最高傑作の一つです。イームズ自身の強いこだわりもあり、パイロット版からカラー版まで技術の進歩とともにブラッシュアップを図っているほどです。今のようにPCの発達もなく、ましてやドローンもない時代にこの映像作品を創り上げたことを考えると、どれだけ膨大な時間をかけていたのか、その熱量に驚かされます。

タイトルの「Powers of Ten」は10の力ではなく、10の累乗という意味です。実際映像を見てみるとわかるのですが、始まりはシカゴの公園の芝生でピクニックをしている男性のシーンからはじまり、正方形の枠(1m×1m)で映像が区切られていきます。そこから10秒ごとにカメラがまっすぐ上空へと上がっていきます。画面の枠も1mから10m、100mへと拡大していき、やがて地球を超え宇宙まで遠ざかっていきます。そこからまたピクニックの男性のところへ場面が戻り、今度は体内のミクロな世界に入っていき最終的には陽子や中性子まで続く映像作品となっています。

アート・デザイン・科学とあらゆる要素で構成されており、学校教育などの分野でも教材として使われています。また建築家としてのイームズの視点から考察すると「スケール」を絶えず意識した作品となっています。そのスケールで何が見えるのか、スケールとスケールの関係性や思考の流れについて一見分断されているように見える出来事も、全て繋がっていることを鮮やかに視覚化してくれているのです。

多彩な才能こそイームズの真髄

21世紀に入っても愛され続けているイームズ作品。もはや普遍的ともいわれるそのデザインは、実に多岐に渡っています。例えば「イームズチェア」だけでもイームズの名は十分に有名になったはずです。その他にも「ケース・スタディ・ハウス」でも建築史に名を残し「Powers of Ten」だけでも映像作家として世界的な作家になったはずです。多様性という意味でイームズほど多彩な人物はいないでしょう。

他にも「ハウスオブカード」という現在も続く玩具を発表しています。これはカードを好きなように組み立てることが可能で、どのように使うか、どんなスケールのものを作ろうが個人の自由なのです。最良の子ども向け作品は大人も夢中になることを証明しています。またこのカードデザインはアレキサンダー・ジラルドが担当しています。

アレキサンダー・ジラルド…テキスタイル・家具デザイナー。ブラニフ航空のデザインをしたことでも有名。フォークアートの収集家としても有名。

何か物を作るだけでなく、イームズは展示会のプロデューサーとしても貢献しています。特に、数学をテーマにした教育的展示にも携わり、IBMの依頼でプロデュースした「マスマティカ:数の世界…そしてその行方」展では数学を子どもから大人まで楽しめる美しい展示に仕上げています。ニューヨーク万博のIBM館を担当するなどと実に多様な活動を晩年まで続けていきました。

おわりに

イームズと聞いて思い浮かぶものはなんでしょうか?おそらく人物よりも作品をイメージする人が多いはずです。それだけ多くの作品が浸透している証とも言えるでしょう。
実に多様な功績を残したイームズですが、近年その蒐集した民芸品が再注目されています。フォークアートに分類されるその品々は、どれもこれもミニマムで洗練されているのに愛くるしく、あたたかい作品ばかりです。世界各地でイームズの審美眼によって選び集められているのです。その感覚の豊かさこそ、様々な分野で活躍したイームズの才能そのものではないでしょうか。

イームズと聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?
これを読んで、少しでもイームズ自身について興味を持って頂けたら嬉しいです。
最後までお読み頂きありがとうございました。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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