スティーブ・ジョブズ:世界を変えた起業家

スティーブ・ジョブズは、Apple Inc.の共同設立者の一人である。アメリカ合衆国の出身で、アメリカ国家技術賞を受賞している人物だ。起業家や実業家としてだけでなく、作家、教育者として活躍した。2011年10月5日に、56歳で死去している。

<誕生〜学生生活>

スティーブ・ジョブズは、シリアから留学してきた大学院生の父親と大学院に通うアメリカ人の母親のもとに、1955年2月24日に生まれました。誕生以前より養子に出すことが決められていたため、生後はジョブズ夫妻に引き取られることになります。
ジョブズは、子どもの頃から手がかかると言われていました。
6歳の頃には、ヘアピンに電気が通るのか確かめるためにコンセントに差し込んだため感電してしまうなど、トラブルを起こしてしまう子どもだと言われていました。
しかし知能面で非凡な能力を発揮しはじめ、11歳のときには知能検査で高校2年生クラスの結果を出したことで、1年飛び級して中学校に入学しています。飛び級したものの校風に嫌気がさしたことで、登校拒否をして別の学校に転校しました。
13歳のときにはヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかけ、周波数カウンタの部品をもらい、夏休みにアルバイトをしないかと誘われるなど、非凡な面を見せはじめるのです。

高校生になりヒューレット・パッカードの夏季インターンシップに参加していると、後にApple Inc.を一緒に設立するスティーブ・ウォズニアックに出会います。二人はすぐに意気投合して、無料で長距離電話をかけることができる不正装置を知ると、一緒にこの装置を作り上げてしまうのです。ジョブズはこの装置をウォズニアックが通っていたカリフォルニア大学で売りさばき、儲けを出しました。高校卒業前にはLSDを試したことで幻覚を体験して、麦畑がバッハの曲を奏でる経験をしています。後にジョブズは、この体験を人生で重要な出来事の一つだったと語りました。

高校を卒業すると、リード大学に進学します。大学ではヒッピー文化に心酔したことで構内を裸足で歩いて風呂にも入らない時期もありました。興味のない授業のために、両親が貯めた貯金を使うことに嫌気が差したジョブズは大学を中退します。中退後も大学に残り興味のある授業にだけ潜り込んで、もぐりの学生として過ごしていました。

<アタリで勤務〜Appleでの実験消失>

大学で過ごしているときにインドを旅したいと考えたジョブズは、旅費を稼がなければいけなくなったため、アタリで働くことになります。

時給5ドルの下級エンジニアになることはできましたが、相変わらず風呂に入らず誰に対しても尊大な態度だったため、社内での評判は最悪でした。ジョブズはミュンヘンでゲーム修理を命じられたことで、ドイツ経由でインドに行く目処を立てます。仕事を済ませるとアタリを退社して、友人とともにインドを訪れました。しかし、インドでは病気になり想像と違う現地の姿に失望してしまいます。その後はサンフランシスコで日本人の導師から禅を学び、スタンフォード大学で聴講をしてから、アタリに再就職しました。
アタリ復職後に新製品の部品減らしを命じられたジョブズは、ウォズニアックを頼ります。ジョブズはウォズニアックに報酬の折半を提案して、会社から受け取った700ドルのうち350ドルを渡しますが、実際は5,000ドル受け取っており残りの金額を共同農場に投資しました。
ウォズニアックは簡易コンピュータを作成してデモを行うと、称賛を集めます。ウォズニアックが勤めていたヒューレット・パッカードやジョブズの勤めていたアタリに製品化を提案しますが、あしらわれてしまうのでした。自分たちで資金を集めることにした二人は、自身の物を売り払い、完成したコンピュータにはApple Computer Iと名付けました。これが最初のApple製品になります。

ジョブズは8,000ドル近い利益を手に入れたため、インテルの社員だったマイク・マークラに起業の話を持ちかけます。マークラは個人資産で92,000ドルを投資し、ジョブズとウォズニアックとともに起業しました。1977年6月に発売されたApple IIは爆発的な人気となり、1984年までに200万台以上を売り上げています。Appleは莫大な利益を上げたことで、株式公開をしてジョブズは2億ドルを超える資産を手にしました。ジョブズは、ゼロックスから新たな出資を受け入れる交換条件としてパロアルト研究所を見学したこともあります。このときに見たマウスに衝撃を受けて、Appleマウスを開発するなどジョブズは製品に大きな影響を与えていたのです。
Appleはマーケティングで優れた人物を探しており、ジョブズの希望によりペプシコーラのジョン・スカリーを引き抜きます。ジョブズはMacintoshを発売するものの、需要予測を誤ったことで在庫を抱えてしまい、赤字になります。スカリーはAppleの不審はジョブズに原因があると考え、政治的な攻防の結果ジョブズは会長職以外の全ての仕事を剥奪されるのでした。

<NeXTの立ち上げ〜アップルへの復帰>

Appleで仕事ができなくなったジョブズは、高等教育に必要なコンピュータに関心を持ち、新しい会社NeXTを立ち上げます。このタイミングで辞表を提出して、決算書を見るために必要な1株以外の全てのApple株を売りました。NeXTは当初から評価が高かったものの販売成績は著しくなく、ソフトウェア会社に転身します。

ジョブズはNeXTの事業を進めつつもルーカスフィルムからコンピュータ関連部門を買収して、ピクサーを立ち上げます。ディズニーと映画契約をして、全編コンピュータ・グラフィックスで作られたトイ・ストーリーを製作しました。トイ・ストーリーは大成功を収め、ピクサーも株式公開をしたことでジョブズは再び多額の資産を手に入れるのです。
AppleにNeXTを買収させ、ジョブズは非常勤顧問として復帰します。その後ジョブズは影響力を強めて役員たちに辞任を迫ると、自分に縁のある人物を取締役にするのでした。1998年にiMacを発売すると大ヒットを記録し、Appleの復活を印象付けました。

<CEO復帰〜死去>

2000年になると、ついにジョブズはAppleのCEOに復帰します。パソコンだけでなく音楽業界にも参入し、iPadとiTunesを発表しました。数千曲の音楽を持ち歩ける製品ということもあり、多くの人を魅了したのです。2007年にはiPhoneを発表し、スマートフォンに革命を起こすことになります。その後、iPhoneはAppleの主力事業に成長し、ジョブズの最も大きな功績の一つになりました。

2003年に膵臓癌と診断されると、治療可能だったもののジョブズは拒否しました。癌が大きくなったときに、ついにジョブズは治療を決め手術をしています。2008年には癌が全身に転移して、健康面の不安がメディアで取り沙汰されるようになりました。一時は体調が回復するものの2011年に癌が再発したことで、休職することになります。同年ついに仕事を務めることが困難になったことでCEOを辞任して、後任にCOOだったティム・クックを推薦しました。
2011年10月5日に親族に見守られながら、ジョブズは56歳でこの世を去っています。

ここまで、スティーブ・ジョブズについて紹介してきました。ジョブズは多くの功績が讃えられていますが、今日誰もが持っているスマートフォンに革命を起こしたことで、私たちにも大きな影響を与えた人物と言えるでしょう。ジョブズのストーリーを知ることで、非凡な面を改めて確認できたのではないでしょうか?

スティーブ・ジョブズを題材にした映画
「Steve Jobs」(2015) 予告編

出典(Wikipedia):スティーブ・ジョブズ

関連記事一覧