クロード・モネ:光に惚れ込み印象派を生んだ画家

(Public Domain /‘Portrait of French Impressionist painter Claude Monet by Nadal’ byNadar. Image via Wikimedia commons)

クロード・モネ(1840―1926)はフランスのパリに生まれ、幼少期に港町ル・アーヴルに移り住みました。10代の後半に画家の巨匠ブーダンから油絵を教わった後、パリに拠点を移し絵画で光を表現しようという試みのもと、様々なモチーフの光と影を時間の経過とともに描いてきました。革新的な作品を次々と発表しますが、世間がそれを理解するまでには長い年月がかかり、モネは50歳を過ぎてからようやく日の目を浴びました。

光と色彩の湾曲

パリのオランジュリー美術館に展示されているモネの代表作「大睡蓮」。この作品は、モネの86年の人生の集大成です。また、オランジュリー美術館では大きなこの絵を見やすいように、展示室自体が楕円形になっています。印象派の絵画は少し離れたところまたは、様々に角度を変えて鑑賞するものなので、このようなつくりになっている展示環境はとてもよいのです。

この美術館の屋根はガラス張りのため、館内に太陽の光がしっかりと行き届きます。自然光の中に作品が展示されている美術館は世界でも珍しく、とても感じのいい空間です。「大睡蓮」はモネが晩年に11年もの月日を費やして描き上げた8枚の連作で、光と色彩を追求した作品となりました。

「大睡蓮」のある楕円形の展示室は、まるで大きな窓のある部屋です。その大きな窓から睡蓮や水草や水面に触れている柳、そしてそこに射す光を眺めているような朗らかな気分になれるのです。繊細な光と影と曖昧な色合いの睡蓮が描かれ、それらの静寂と時間とともに変化する情景をモネは心静かに見つめ、描きました。しかし、モネはなぜ睡蓮に惹かれたのでしょうか。

晩年のモネは1883年にパリ郊外のジヴェルニーに館を構え、そこで暮らしていました。モネはこの館に池のある庭園をデザインし、睡蓮の花を育てました。そしてその池に浮かぶ睡蓮と、そこに差し込む光の色をいつまで見ていても飽きなかったそうです。見るたびに表情を変える光と色彩に、モネは心を掴まれてしまったのです。

この絵が描かれた当時は、同じモチーフを連作で描くということは非常に珍しいスタイルでした。しかしモネは連作を作ろうとして作ったのではなく、この庭の睡蓮を愛してやまないが故に何枚も同じモチーフを描かざるを得なかったのではないでしょうか。また、モネが池を見つめる視線は時間によって変化していく光とともに動いていたことが、湾曲した曲線から読み取ることができます。

(ジヴェルニー印象派美術館”モネの家”に飾られる浮世絵)

モネは、日本の浮世絵からもインスピレーションを得ていました。江戸時代に盛んだった浮世絵は大衆向けのメディアとしての役割を担っていて、江戸の庶民に愛されていました。モネは浮世絵に大きな衝撃を受け、その色彩の美しさに感化されます。

モネがこれまで描いてきた淡い色彩とは相対的に思える、パキッとした色みと輪郭線の力強さが魅力的で、欧州にはない文化でした。そして「エア・ジャポネーズ」という作品を描くに至ったのです。

水上のアトリエ

(Public Domain /‘Regatta at Argenteuil’ by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルジャントゥイユは、パリからセーヌ川を10キロメートルほど下ったところにある町です。1870年ごろにはアルジャントゥイユを新しい拠点にし、「水上のアトリエ」というボートのアトリエで「アルジャントゥイユのヨット・レース」を描き上げました。

春の終わりくらいの暖かい季節になると、ヨット遊びをして楽しむ人々で賑わうアルジャントゥイユ。この頃モネは川やヨットやボートなど水辺のモチーフをたくさん描きました。「アルジャントゥイユのヨット・レース」では、水面とそこに映る家やボートが実に鮮やかに描かれています。睡蓮で描いた池のような細かく揺れる水面とは打って変わって、大きな川らしく雄大で柔らかくうねる水面に、今すぐ触れたくなるような絵画です。

扇とブロンド娘

(Public Domain /‘La Japonaise’ by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

「ラ・ジャポネーズ」は2000フランという当時では異例の高値で取引されました。真っ赤な着物に身を包み扇子を仰ぐブロンズの女性が、こちらを見つめているこの絵。厚みのある真っ赤な着物に、金銀の糸で贅沢にあしらわれた刺繍が豪華に揺らめいています。モデルは友人の妻カミーユです。カミーユが自慢気にこちらにかざしている扇子の色は、フランス国旗の三色になっています。

しかしなにより目を引くのは、着物の真ん中に描かれた役者の男性ではないでしょうか。これは、モネが興味を注いだ浮世絵がモチーフになっています。モネのユーモアが溢れるこの作品は、現在アメリカのボストン美術館に貯蔵されています。

幻霧のビッグベン

(Public Domain /‘Houses of Parliament ’ by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

モネは何度もロンドンへ訪れ、ロンドンの街並みもたくさん描いています。モネにとってロンドンは魅惑の土地であり、ロンドンで描いた作品の出来栄えに納得がいかず自らの手で何十枚もの絵を破棄してしまうこともありました。

「ロンドンの国会議事堂」という作品は、濃霧に包まれ鬱蒼とした国会議事堂が描かれています。そして1904年の個展では、「ロンドンのテムズ川風景連作」を発表しています。
ロンドンを描いた作品はどれもグレーや白の濃い霧に包まれた鬱蒼とした様子のものばかりで、イギリスを代表するネオ・ゴシックの物々しい建造物でさえも、静寂の中に消えゆく存在かのように描かれています。

光と赤の印象派展

(Public Domain /‘Impression, Sunrise’ by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1874年の春にモネは画家仲間たちと展覧会を開きます。現在パリのマルモッタン美術館に飾られている「印象・日の出」という作品は、〝印象派〟を確立させた作品と言えるでしょう。水面には木造のボートが浮かび、港町に日が昇り真っ赤な太陽の光が海面を照らす様子が油彩で大胆に描かれています。光というものの正体を捉えて、絵の中に閉じ込めてしまったかのようなこの圧倒的な一枚は、後にモネの代表作となりました。この作品は、絵画史に名を残し「印象派」という名前の由来となりました。

この作品のもともとのタイトルは「日の出」でした。しかし信頼する画家仲間から、単調すぎるのではないかと言われ、「印象」という言葉を後からつけ加えたそうです。モネの情景を捉える熱い視線は、このあとも「光と影」「水面に映る色調」などで遺憾無く発揮され、この頃くらいから色が混ざり合った抽象画のような印象派の作品を生み出すようになりました。

絵画の世界でも新進気鋭の存在への風当たりは強いものでした。当時の絵画評論家や批評家はモネの荒々しいタッチに困惑し批判することも多く、印象派の展覧会は赤字続きでした。

「印象・日の出」には煙をあげる工場の煙突が描かれています。これは、産業革命によって登場した時代の様子が反映されていると言えるでしょう。時代の情景が読み取れるという部分に価値を見出す人も多くいて、このような批評が話題を呼び、印象派や印象主義が世に広く受け入れられるようになっていったのです。

モネといえば柔らかい色彩を用いた作品が有名です。しかし、日本の浮世絵に心を奪われたことや、事態背景を如実に反映した作品を描いたことなど、さまざまな側面を持っている画家だということがよくわかりました。

おわりに

晩年に蓮の花の連作に情熱を注ぐ姿は、あらゆる画家から理想郷だと崇められました。
時代を越えて心を動かされる彼の情熱的で美しい作品を、一度この目で見てみたいと感じませんか。

クロード・モネを題材とした映画
「私は、クロード・モネ」(2018) 予告編

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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