マルセル・デュシャン:「芸術の概念」を根本的に変えた革命家

マルセル・デュシャンは1887年7月28日フランス生まれの芸術家。その革新的な作品は芸術の概念そのものをくつがえし、20世紀と今世紀の芸術にあらたなともし火をともす。そのため「現代アートの父」とも呼ばれている。作品スタイルはキュビズム、フォーヴィズム、ダダ、シュルレアリスム。チェスの名人でもあった。1955年にアメリカの市民権を得る。1968年10月2日フランスのヌイイのアトリエで死去。享年81歳。

天才マルセル・デュシャンが「芸術の革命家」と呼ばれる理由

マルセル・デュシャンは、機械がもつ「機能美」をじゅうぶんに感じさせる作品『Coffee Mill』や『Chocolate Grinder』などを20代後半で制作しています。その後デュシャンは、おそらく人間の日常生活において、いちばん身近な既製品であるトイレの「便器」をも作品にしてしまいます。

デュシャンはすべての概念をとりはらったときに見えてくる、そのものの本当の姿や美を、何もフィルターを通さないピュアな目でみつめ、便器に「泉」と名づけました。便器という製品が「便器」という名前ではなく、最初から「泉」という名前の製品で売り出されていたら、デュシャンの作品に疑問を持つ人はおそらくいないでしょう。

そのネーミングにはデュシャンの独特のユーモアセンスが感じられると同時に、納得させられるロジックがあります。「言葉」が人々にあたえる印象を繊細に感じ、それを作品の一部として提示できたデュシャンだからこそ、成しえたことといえるでしょう。

結果的に、この作品は汚いイメージの「便器」の概念を美しいイメージのある「泉」にとりかえてしまったことで、その正反対もありうること、つまりは美術に含まれるはずの「美」が崩壊する可能性をも提示しました。

これこそが、まさに天才デュシャンのなしえた「芸術の革命」といえるでしょう。

マルセル・デュシャンが影響を受けたアートスタイル

デュシャンはフォーヴィズムやポール・セザンヌのようなキュビズムの前身となるアートに感化され、数多くの作品を残しています。その後、ピカソやブラックといったキュビズムの黄金期になると、かれらのスタイルに影響を受けた作品も何点かのこしています。また、フランシス・ピカビアとも親交があり、少なからずピカビアの影響も受けたと考えられています。

また、デュシャンの作品は20世紀初頭にイタリアでおきた前衛運動「未来派」の影響も受けたといえるでしょう。そのことは、代表作である『The Large Glass』にも色濃く反映しています。

マルセル・デュシャンの生い立ちや経歴

デュシャンは1887年7月28日、フランスのブランヴィル-クレヴォンで生まれました。デュシャン一家は、芸術に対する深い理解があり、とても裕福でした。そのため、兄たちもみな芸術家になっており、デュシャンは芸術的にめぐまれた環境で10代を過ごします。また、母親の影響もあって、成長期のデュシャンにとって造形芸術は身近なものだったといわれています。

1904年、17歳になったデュシャンはパリにあるアートの専門学校Académie Julianに入学し絵画を学びます。Académie Julianはパリの芸術の最高学府であるÉcole des Beaux-Artsに入りたい学生の予備校として機能していましたが、それだけにとどまらず、絵を真剣に学び画家として独立したい生徒の専門学校としても有名でした。

1906年、デュシャンは19歳でパリのアーティストの街モンマルトルに引っ越します。そこで兄たちとともに生活をし、風刺雑誌に寄稿する漫画を制作するようになります。

1908年、兄たちの協力もあり、Salon d’Automneにデュシャンの作品が展示されます。

デュシャンは1910年頃から、当時一世を風靡していた印象主義、フォーヴィズム、そしてキュビズムの前身であるポール・セザンヌのアートスタイルなどから影響を受け、作品『Portrait of Chess Players』、『Coffee Mill』などを制作するようになります。また、キュビズムの研究をはじめたのもその頃でした。

デュシャンは1912年、のちに彼の代表作となった『Nude Descending a Staircase, No. 2』をアンデパンダン展に出品しますが拒否されてしまいます。アンデンパンダン展は19世紀後半から保守的なサロンが名声をほしいままにしていた中で、無審査、自由出品などのオープンなスタイルではじまった展示会でした。そのため、そのアンデパンダン展に出品を拒否されたことは、デュシャンにとって大きな衝撃であったことは容易に想像できます。

しかし、これらの伝統を重んじる芸術界、そして社会的な規範を守らせようとする圧力はデュシャンの柔軟で斬新的な想像力をより一層刺激することとなり、この頃からデュシャンの独特の個性が発揮されるようになっていったといわれています。

デュシャンはパリのサント・ジュヌヴィエーヴ図書館で司書として働き始め、遠近法の研究に没頭します。

1913年、ニューヨークのアーモリー ・ショーで発表されたデュシャンの作品『Nude Descending a Staircase, No. 2』がニューヨークのアート界に旋風を巻き起こし、デュシャンは一躍評判になります。この頃より、既製品や他の芸術家の作品を独自のユーモアセンスでアレンジする「レディ・メイド」とよばれるスタイルの作品を制作するようになります。

1914年、代表作『Chocolate Grinder』を制作。

1915年、未完成の傑作『The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even』(通称:『The Large Glass』)の制作を開始。

1917年、30歳になったデュシャンは、一度は出品を拒否されたアンデパンダン協会のメンバーに加わり、会長に任命されます。

ところがデュシャンは、トイレの便器にR.Muttという偽名を署名した作品『Fountain』をアンデパンダン展にひそかに出品し、再度拒否されるとアンデパンダン協会会長を退任してしまいます。

この作品こそが、のちに芸術の概念を根本からくつがえし、20世紀から21世紀のアートに多大な影響をあたえた『Fountain』でした。この作品は、画家スティーグリッツによって撮影されたのを最後に行方不明となります。

1919年、デュシャンはパリのダダ・グループに参加します。このとき、シュルレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンなどと知り合いになり、以降ダダの活動もはじめるようになります。同じ頃、デュシャンはレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』が印刷されたカードに「髭」を描きくわえたレディ・メイド作品『L.H.O.O.Q.』を制作します。この作品はのちに、デュシャンの代表作になります。

1920年、ニューヨークに移住。

1924年、37歳になったデュシャンはアート制作をほとんどやめてしまい、趣味のチェスに没頭するようになります。

1925年、両親が死去。

1926年、ニューヨークのブルックリン美術館でデュシャンの話題作『The Large Glass』が初めて公開されますが、展示会終了後、作品をトラックで運送中にひびが入ってしまいます。そのひびをデュシャンはのちに「偶然の幸運」として作品の一部ととらえ、修復作業を開始します。

その後1928年、チェスの名人だったデュシャンは、チェス・オリンピックの大会にフランス代表チームのメンバーとして参戦します。

1934年、ニューヨークとパリなどを行き来していたデュシャンは再度パリへ戻り、本格的に『The Large Glass』などの制作活動を再開します。

1935年、チェス・オリンピックのフランス代表の主将に任命される。

1937年、シカゴ・アーツクラブにて、50歳にして初めての個展を開催。

1943年、修復された『The Large Glass』がニューヨーク近代美術館で一般公開される。

1955年、アメリカ合衆国の市民権を取得。

1963年頃から、世界中でデュシャンの回顧展が開催されるようになります。

1966年、デュシャンの回顧展がロンドンの「テート・モダン」にて開催。

1968年、81歳になったデュシャンは、カナダ・トロントでジョン・ケージが演出するコンサート『Reunion』に出演し、観客の前でチェスをプレイします。同年10月に、フランスのヌイイのアトリエで心不全により急死。

マルセル・デュシャンの代表作品(年代順)

『Man sitting beside a window』(1907)
55.6cm x 38.7cm

この作品はデュシャンの初期の油彩画のひとつです。絵画に描かれているのは、西洋風の出窓に坐っている男性。パイプをくわえ新聞らしきものを読んでいる男性の背景には、美しいフランス風の庭が描かれています。室内は色の魔術師といわれたボナール(1867年-1947年)の絵のように、複雑で透明感があり、全体的にはセザンヌ的な空間のゆらぎを感じさせます。

まるで空間のゆらぎは時間の流れをも創り出し、その絵の中だけで男性が今でも生きているかのような、不思議な印象をあたえています。

『二人の裸婦』(1910)(フランス名: deux nus)
71cm x 91cm

デュシャンは1910年に2枚の『deux nus』を仕上げています。1枚はあきらかにポール・セザンヌ(1839-1906年)から影響を受けたであろうセザンヌ的キュビズムの(表面をすべて立法体のように面を強調して表現する手法を採用している)絵画で、裸婦の素肌はまるで陶器のように白く透き通っています。

シャイで頑固だったセザンヌは、生涯一度も裸婦を描きませんでした。もしセザンヌが裸婦を描けていたら、おそらくこのように描いていたのではないだろうか?と思わせる貴重な1枚です。

2枚目はおなじくセザンヌ的キュビズムの面のとりかたをしていますが、色使いにフォーヴィズムを感じさせる荒々しさがあり、筆のタッチはまるでゴッホやセザンヌのように「空気のゆらぎ」を感じさせます。

『Portrait of Chess Players』(1911年)
108cm x 101cm

デュシャンがキュビズムの絵画スタイルに影響されて制作した油彩画の作品です。ちょうどパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックといった画家が、そのキュビズム作品で世間を驚かせていた頃に制作されました。彼らのスタイルがそのまま作品にあらわれています。

『Coffee Mill』(1911年)
33cm x 12.5cm

ボール紙に描かれた油彩画。デュシャンの初めての機械的な作品です。この頃からデュシャンがすでに「機械的な美」に興味をもっており、観察していたことを証明する作品といえるでしょう。

『Sad Young Man on a Train』(1911年)
100cm x 73 cm

キュビズム的なポートレイト作品。デュシャンはこの作品でふたつの動きを表現しており、ひとつはタバコを吸っている男性が乗っている電車の動き、もうひとつはその男性そのものの動きであるといわれています。

『Nude Descending a Staircase, No. 2』(1912年)
146cm x 89cm

ニューヨークのアーモリー ・ショーで一躍有名になった油彩画の作品です。この作品は『Sad Young Man on a Train』(1911年)とおなじく、キュビズム的なポートレイト作品ですが、よりダイナミックな構図で「機械的な動き」が鮮明に描写されており、見る者を圧倒します。この作品は、当初パリのSalon des Indépendantsで展示されました。

『Chocolate Grinder No.2』(1914)
65cm x 54cm

1911年に制作された『Coffee Mill』につぐ、デュシャンの機械的な作品の2作目。キャンバスに描かれた油彩画ではそのほかに糸、リードペンシルなども使用されています。この絵はのちに、デュシャンの代表作『The Large Glass』の一部にも使用されています。

『Fountain』(1917年)

デュシャンがアンデパンダン協会の会長をつとめていたときに、その名前を隠し偽名R.Muttの署名で出品した作品です。この作品はアンデパンダン展で出品を拒否されたため、その直後にデュシャンはアンデパンダン展の会長を辞任しています。この作品は撮影されたのちに行方不明となり、いまだに見つかっていません。

当時はまったく見向きもされなかった作品ですが、のちに多くの歴史家やアヴァンギャルドの芸術家によって評価されるようになります。デュシャンのユーモアセンスがつまったこの作品は、芸術の概念を根本から変え、まさに20世紀と今世紀の芸術家たちに多大な影響を及ぼし続けているといえるでしょう。

1950年代にはいると、デュシャンはこの作品のレプリカを数多く制作しています。その頃から、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズといった次世代のアーティストたちから注目されるようになります。

『The Large Glass』(1912-1923)
272.5 x 175.8cm

デュシャンの代表作の中でも、もっとも有名な作品のひとつです。スチール枠と木枠に2枚のひび割れたガラスがはめられており、そこに油彩、ワニス、鉛の板、ほこりなどで、機械化されたなんらかの装置が描かれています。

メインとなるモチーフは1914年に制作された『Chocolate Grinder No.2』が使用されており、中央に描かれています。デュシャンはこの作品の解釈をまとめたノート『The Green Box』を出版しており、その中で「この作品は花嫁と9人の独身男性が直面するエロティシズムを描写している」と述べています。

この作品は、20世紀初頭イタリアで発生したアート運動「未来派」の作品の影響を強く受けているとされています。未来派は、産業化され機械化された社会において、すべてがテクノロジーの恩恵を受けてスピーディにとりおこなわれ、そのことが人間関係、若さと暴力、などと結びついていることを強調しているといわれています。

『L.H.O.O.Q.』(1919年)
19.7cm x 12.4cm

デュシャンのレディ・メイド作品を代表する作品。カードにはレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』が印刷され、モナリザの顔に髭が描きくわえられています。モナリザの下の空白部分には「L.H.O.O.Q.」と手書きで表記されており、右下にはデュシャンの署名がされています。

【参考文献】
・『MARCEL DUCHAMP』Gloria Moure著 野中 邦子訳|美術出版社
・『Marcel Duchamp』|Wikipedia
・『Marcel Duchamp 観念の芸術』|Artpedia

【マルセル・デュシャンに関する動画】

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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