カール・レムリ:ユニバーサル映画の創設者

(Public Domain / Carl Laemmle by, UNKNOWN. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

カール・レムリ(1867-1939)ヴュルテンベルク王国ウルムのラウプハイムで生まれたドイツ系ユダヤ人。1884年、彼はアメリカ合衆国へ移住後、映画製作に携わります。ニッケルオデオンを買収し、映画配給会社であるレムリ・フィルム・サービスを設立。1919年までアメリカ中西部とカナダの主要な映画館に映画を配給しました。その後、1912年にはIMPなど数社を合併し、ユニバーサル映画を設立。生涯で400本を超える映画製作を行いました。

制作・配給・公開を一貫する新会社設立

1906年、ニッケルオデオンとって一つ目の映画館、ホワイト・フロント・シアターをシカゴにオープンします。
さらに1909年には、インディペンデント・ムービング・ピクチャー・カンパニー(IMP)を創立し、制作・配給・劇場公開の全てを一貫した仕組みを作りました。そこで、IMPの第一作目となる「ハイアワサの歌」を配給します。「ハイアワサの歌」は、ネイティブアメリカンの英雄の物語で、大自然の中、まるでアメリカ先住民族の暮らしに入り込んで撮影したかのような作品です。作品の中では、ネイティブアメリカンの人々がテントで暮らす様子、真冬の湖をカヌーで渡るシーンも描かれています。

『The Song of Hiawatha -Official Trailer』


1911年、ハリウッドのサンセット大通りとガウアー通りにある映画撮影所を買収し、翌年にはユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニーを設立しました。1913年には、ユニバーサル初のニュース映画「The Universal Animated Weekly」を配給します。また、白人奴隷や人身売買を描いた「Traffic in Souls」が好収益を上げ、ユニバーサル社初期の主要映画となりました。
1914年、テイラー牧場を買収し、翌年にはユニバーサル・シティをオープン。ここは、後に映画の中心地として名を轟かせるようになるのです。また、一般にも公開され、撮影中の映画セットや撮影の小道具、大道具の見学が出来るようにもなりました。その後、世界初の電化スタジオとして、トーマス・エジソンが除幕式に参加。ロイス・ウェーバーやシュトロハイム監督などは、ユニバーサル社で映画製作を行いました。
1925年、ユニバーサル社の株式は、ニューヨーク証券取引所で上場します。そして、後の版権論争のきっかけとなる「ウサギのオズワルド」や、「ウッディー・ウッドペッカー」の製作者ウォルター・ランツがアニメーターとして加わることになりました。彼は、その後フリーのプロデューサーとなりますが、2006年に「ウサギのオズワルド」は、ディズニーに返還されています。

カール・レムリ・ジュニア

ユニバーサル社には、カール・レムリの親族が70名以上も在籍していました。息子のカール・レムリ・ジュニアは、21歳の時にユニバーサル社の製作責任者に就任。ジュニアは、ユニバーサル社の方針を大きく変更するため、次々と有名映画を製作し、世に送り出していきます。これまでユニバーサル社が配給していた作品の多くは、B級映画と呼ばれる作品でしたが、長編大作も制作するようになりました。1928年、ミルドレッド・ハリスがフランス人のキャバレー歌手役、ウォルター・ピジョンが元作曲家の兵士役を演じたロマンス映画、「愛のメロディー」を初の音声付き映画として発表。そして1930年には、「西部戦線異状なし」がアカデミー作品賞などを受賞します。

『All Quiet on the Western Front Official Trailer #1 -Lew Ayres Movie (1930) HD』


1931年頃、エンパイア・ステート・ビルディングから試験的にテレビ放送が開始されました。ユニバーサル社では黒猫のキャラクターが活躍する「フィリックス・ザ・キャット」が放映されています。当時のユニバーサル社には、スター的なキャラクターが存在しなかったため、特殊メイクに力を注いでいきました。「魔神ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」などのホラー映画作品を発表し、大きく収益を伸ばします。狼男やモンスターなどのキャラクターの誕生によって、ホラー映画はユニバーサル社の代名詞となったのです。

『Frankenstein Official Trailer #1 -(1931) HD』


しかし、1936年にミュージカル映画「ショウボート」を製作していた中、資金繰りの圧迫により責任を追及され、カール・レムリ親子と親族はユニバーサル社から追放されてしまいます。親子共々、その後も映画界に復帰する事はありませんでした。
カール・レムリは1939年に72歳でこの世を去り、息子であるジュニアは1979年に71歳でこの世を去っています。


買収を繰り返すユニバーサル社

ユニバーサル社は、1912年にカール・レムリが創立し、1952年にデッカ社に買収されました。1962年にはMCA社がデッカ社を買収し、1995年に松下電器産業がMCA社をカナダの酒造企業シーグラムへ売却しています。2000年になると、シーグラムとフランスの複合企業であるヴィヴェンディ、カナルプリュスの3社で合併し、ヴィヴェンディ・ユニバーサル社として再生。2004年には、放送会社であるNBC(ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー)が合併し、NBCユニバーサルを設立しました。このNBCとの合併によって、「ウサギのオズワルド」がディズニーへ返還される事となります。また、ユニバーサル社は、テレビでも放映される映画の先駆けとなり、さらに映画の製作を進めていきました。
ここからユニバーサル映画は、1970年代のヒット黄金期を迎えます。ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグを起用し、「アメリカン・グラフィティ」や「ジョーズ」、以後の「E.T.」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ジュラシック・パーク」など、ヒットに次ぐヒットをとばしていきました。


『ET The Extra Terrestrial (1982) Official 20th Anniversary Trailer Movie HD』


ユニバーサル社はテレビ業界における映画の地位を確立する事で、映画を大きく普及させる事に成功します。しかし、先述したような外国企業の参入により、企業文化の違いにも悩まされ、企業体制は不安定な部分も多く持ち合せる結果となったのです。さらにユニバーサル社は、これまで映画部門のユナイテッド・シネマ・インターナショナル、ゲーム部門のユニバーサルインタラクティブスタジオ、音楽部門のユニバーサルミュージックグループなど、事業部門や子会社の設立も積極的に行ってきました。

挑戦を続けるユニバーサル社

1953年、カラーテレビの放送が開始すると、同年にユニバーサル社は3D映画も製作します。また、1915年にユニバーサル・シティをオープンし、1962年にミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカがユニバーサル・ピクチャージを買収。1964年には、路面電車を使用したスタジオツアーを開始します。

※ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド

ここからアトラクションやイベントなど、テーマパークとしての企画が始まりました。現在は、アメリカ(ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド、ユニバーサル・アイランズ・オブ・アドベンチャー)、日本、シンガポールに5つのテーマパークがあります。1964年にユニバーサル・スタジオ・ハリウッド、1990年にユニバーサル・スタジオ・フロリダ、1999年にはユニバーサル・オーランド・リゾート内にアイランズ・オブ・アドベンチャーを開業しました。また、2001年にユニバーサル・スタジオ・ジャパン、2010年にユニバーサル・スタジオ・シンガポールを開業し、世界の各所でユニバーサルフィルムが上映されています。

※現在のユニバーサル・シティ

カール・レムリは、自身が創設した会社が苦悩する中、この世を去りました。彼は、その後のカンパニーの変遷や成長をどのように見届けているのでしょうか。その歴史と会社の指針を読み解く事で、テーマパークやアニメーション、映画の世界をより一層深く楽しむ事が出来るはずです。

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