クリスチャン・ディオール:パリに憧れるアメリカ人女性の心を掴み、ファッションの産業化に最も貢献した男

クリスチャン・ディオール(1905-1957)フランスのファッションデザイナーで、ファッションブランド「クリスチャン・ディオール」の創設者。
彼は1905年、フランスの北西部に位置するノルマンディー地方に生まれます。父モーリス・ディオールは肥料生産事業を営んでいたため、幼少期は母マドレーヌと共に草花を育てました。その後の1946年、41歳にしてパリ8区にクチュールメゾンを立ち上げます。くびれを意識した女性らしいラインのデザインと、贅沢に布を使用した豪華なスタイルを提案しました。

Public Domain / Christian Dior by, UNKNOWN. Image via WIKIMEDIA COMMONS

※フランス・ノルマンディー地方グランヴィルの街並み

大好きな芸術を捨てられず

クリスチャン・ディオールはフランスの中流階級(ブルジョワ階級)の裕福な家庭で育ちます。父は肥料生産の実業家で、伯父は大臣という家系でした。5人兄弟の第2子でしたが、父から政治や外交の道へ進んでほしいと期待されていました。しかし、本人はアートの魅力に惹きつけられていたのです。美術学校への進学を夢見ましたが、両親はそれに反対。彼は、政治の専門学校であるパリ政治学院へ進学する事になりました。進学したものの、政治の授業に面白さを感じる事が出来ず、これまでに出会った芸術仲間や、友人と語らう事に時間を費やします。次第に、自身のギャラリーを開きたいとさえ思うようになりました。

当時のフランス中流階級は、芸術や美術について二流の職業という考えを持っていました。ブルジョワ階級であり、親戚が大臣でもある父モーリスにとっては、息子が芸術(絵画やファッション)で生計を立てていけるという確信が得られず、安易に容認する事は出来なかったのです。
その頃のディオール一家の状況というと、長男レイモンはビジネスと向き合わず、三男ベルナールは精神を病んで入院。末の妹カトリーヌ・ディオールは、庭師として花々の香りを楽しむ優雅な生活を送っていました。母マドレーヌは、理想通りにいかない子育てに頭を抱えます。そんな両親の姿を見ていた彼は、自身の夢(絵画やファッション)と、“親戚に恥じない我が子”として政治の道を望む両親の間で揺れ動いていました。そこで、芸術仲間と共に芸術家の手助けをする仕事がしたいと提案します。

父モーリスはこの提案を了承し、資金を援助しました。そして、1928年に自身がプロデュースした画廊「ジャック・ボンシャン画廊」をオープン。この画廊を友人の名前にしたのは、父の援助金と母の依頼で、自身の名前を使わずにこの画廊を運営していく事になったからです。両親の想いも汲み取りつつ、自身の夢を叶えるため、彼は非常に賢い交渉と選択をした事が伺えます。

このジャック・ボンシャン画廊は、友人ジャック・ボンシャンとの共同経営でした。洗練された芸術を展示し、季節ごとに新作を発表する事が出来る場として、ギャラリー往訪者から好評を得ます。しかし、そのまま順風満帆には進まず、1930年代に起こった世界恐慌の影響で、ギャラリーに訪れる人は途絶えてしまいました。1931年、この事がきっかけでジャック・ボンシャン画廊は休業を余儀なくされたのです。

画廊経営が成り立たなくなった事で、これまで何不自由なく生活してきたクリスチャン・ディオールの人生は一変し、ホームレス状態に。しかし、多くの友人に恵まれた彼は、友人たちと共同生活を送る事になりました。そんな彼でしたが、お金の無い生活が続いた事で栄養失調になり、さらに結核も患ってしまいます。当時、フランスよりも物価の安かったスペインのイビサ島へ移り、1年間の療養生活を送りました。

※世界恐慌のフランス

彼は、療養生活を終えてパリに戻りましたが、世界恐慌の煽りは大きく、職を探す人で溢れかえっていたのです。また、父モーリスの事業も例外ではありませんでした。そんな時、彼に手を差し伸べてくれたのが友人クリスチャン・ベラールの従兄弟、ジャン・オセンヌです。デッサン画家であるジャン・オセンヌは、クリスチャン・ディオールに小さなアパートを提供し、デッサン業の修行をさせました。

ジャン・オセンヌは、後の有名ブランドにデッサンを提供しており、洋服デザインで稼ぐためのノウハウを彼に教えています。一方のクリスチャン・ディオールは、幼少期から夢見ていた大好きなファッションについて、目を輝かせて学びました。この時、彼のデッサンの買い手だったのがバレンシアガやスキャパレリ、ジャン・パトゥだったのです。少しずつ収入を得るようになった事で、自身で生計を立てられるようになりました。

※パリにあるクリスチャン・ディオール本店

ファッションを産業に

現在、世界各国で目にする「クリスチャン・ディオール」は、パリ発信のブランドです。ヨーロッパよりも前にアメリカで大きな発展を遂げた事で、成功に至りました。なぜなら、クリスチャン・ディオールがアメリカ人女性の理想を形にし、提供したからです。アメリカ人女性は、モードでエレガンスなフランスのライフスタイルやファッションに憧れを抱いていました。そんなアメリカ人女性にとって、パリの女性らしいラインを生かした「クリスチャン・ディオール」のデザインは刺さり、ユーザーの約半数をアメリカ人が占める事となります。

『Christian Dior: A Complete Timeline』

そして彼は、これからも多くの女性に喜んでもらうため、このデザインを資産として反映させるにはどうすれば良いのかと考え、ライセンス事業に注目しました。他のデザイナー同様、自身のデザインが流行する事は大変有難いですが、商品やデザインを真似されるのは許せなかったのです。彼は、ブランドの商品価値を守るために、再び経営を学び、特許権使用料の制度化に力を入れました。努力の甲斐もあり、「クリスチャン・ディオール」は数々のブランドとのコラボレーション、ファッションの産業化に貢献しています。

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