ウォルト・ディズニー:一匹のウサギから始まった

ウォルター・イライアス・ディズニー(1901-1966)アメリカ合衆国イリノイ州のシカゴで生まれた、アニメーター兼プロデューサー。他にも映画監督、脚本家、声優、実業家、そしてエンターテイナーなど様々な顔を持っています。ミッキー・マウスの生みの親でもある彼は、ディズニーリゾートを創立。また、兄のロイ・O・ディズニーと共にウォルト・ディズニー・カンパニーを創立し、国際的な大企業に発展させました。

永遠に未完成

ウォルト・ディズニーは、5人兄弟の下から2番目の子供として育ちます。幼少期から鉄道に興味があり、近所の畑を走るサンタ・フェ・パシフィック鉄道の走行音が好きでした。彼は、列車内でポップコーンを売るアルバイトをしたり、自宅の庭に1/8のミニチュア鉄道を走らせて遊んだりもしています。

※アートのイメージ

また、彼は絵を描く事やアートにも興味がありました。7歳の頃、自身が描いた小さなスケッチを近所の人たちに売り、10歳になると絵画教室で本格的に絵画を学ぶようになります。その後、高校入学後に第一次世界大戦が始まったため、高校と美術学校を退学しました。1918年、17歳の時に赤十字へ志願。占領軍と共にフランスへ向かい、衛生兵として治療に従事します。そんな中、彼の絵は仲間の兵士たちから人気を集める事となり、帰国後は漫画家か画家になろうと決意しました。

そして、アニメーターとして漫画からアニメーションへの興味が高まった彼は、1920年頃に個人事務所を設立し、製作に没頭するようになります。資金繰りや版権の問題によって何度も倒産に追い込まれますが、「ミッキー・マウス」の誕生により、事業は拡大していくのです。

私生活の彼は、ヘビースモーカーだったため、医者に禁煙を勧められていました。しかし、晩年は朝食のドーナッツをスコッチ・ウイスキーに浸けて食べるなど、酒やたばこに溺れた生活を送ります。そんな生活が災いし、最期は肺癌による肺炎で亡くなりました。(享年65歳)残念ながら、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの完成を見る事は叶わなかったのです。彼は最期に「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、ディズニーランドは成長し続けるだろう。」という言葉を残しました。

オズワルドは誰のもの?

幼い頃からアートの才能を発揮していたウォルト・ディズニーは、19歳の頃に初めてのアニメーション作品「ニューマン劇場のお笑い漫画」を完成させます。また22歳になると、兄のロイ・O・ディズニーと共にディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオ(現在のウォルト・ディズニー・カンパニー)を立ち上げ、アニメーション「アリス・コメディー」や「しあわせウサギのオズワルド」などの作品を製作しました。

『From the Office of Walt Disney: Oswald the Lucky Rabbit』

「オズワルド」というウサギのキャラクターは、ミッキー・マウスよりも前に誕生します。1927年から1928年にかけて、オズワルドの短編アニメーションが26本製作されており、アメリカ中で大人気のキャラクターとなりました。しかし、オズワルド作品の配給元であるユニバーサル・ピクチャーズと、オズワルドの所有権を巡って対立してしまいます。彼はオズワルドの生みの親でしたが、法律上は版権を所有しておらず、両社の間で下請けをしていたチャールズ・ミンツ社が版権を所有していたのです。

この対立によりユニバーサル・ピクチャーズは、ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオのスタッフたちを大量に引き抜きました。しかも、この事件を企てたのはチャールズ・ミンツ社だったのです。そして、ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオは、オズワルドの版権を手にする事が出来ず、ユニバーサル・ピクチャーズへ渡る事となりました。これを受けてディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオは、倒産の危機に陥ります。このような背景から、ディズニーは現在でも著作権や版権に厳しい会社となったのです。

その後、新しいキャラクターを生み出すべく構想を練り、ついにミッキー・マウスが誕生します。当初はモーティマー・マウスという名前でしたが、妻リリアン・ディズニーの意見を受け、ミッキー・マウスという名前になりました。後にモーティマー・マウスは、ミニー・マウスの叔父(牧場を所有している牧畜業者)として、1930年の「コミック・ストリップ」の中に登場。また、1936年には「ミッキーのライバル大騒動」という短編映画で、ミニー・マウスを巡るミッキーの恋敵としても登場しています。ミッキー・マウスの初代アニメーション作品は、1928年11月18日に公開された「蒸気船ウィリー」です。(そのため、この日はミッキー・マウスの誕生日として設定されています。)「蒸気船ウィリー」では、ウォルト・ディズニー自身がミッキーの声を担当しています。

『Walt Disney Animation Studios’ Steamboat Willie』

なぜ遊園地で大人はベンチに座るのか

ウォルト・ディズニーは、2人の娘を持つ父親でした。娘たちを連れて動物園や遊園地へ遊びに行く機会は多かったのですが、娘たちが回転木馬で遊んでいる時、ベンチに座ってボーッとしている自分に気が付きます。子供たちが楽しんでいる中、なぜ大人たちは一緒に楽しめないのだろうか。彼は子供と大人が一緒に楽しめる場所を作れないものかと思い、ディズニーランドをつくる計画を練り始めます。

ディズニーランドを開発するまでに要した時間は、実に15年でした。彼は「私たちの一番大きな資源は、子供の心である。」と語り、夢を叶える秘訣として「好奇心」「自信」「勇気」「継続」を挙げています。また、これまで経験した全ての逆境やトラブルなどは、自身を強くしてくれたという言葉も残しました。

※手を繋ぐ親子(イメージ)

世界中の子供と大人が一緒に楽しめる場所を

現在、ディズニー作品やディズニーランドは夢の国と呼ばれ、世界で一番有名なテーマパークと言っても過言ではないでしょう。アメリカのフロリダ州には、約122平方キロメートルもの敷地面積を誇るウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートがあります。ここは、4つのディズニーパーク(マジック・キングダム、エプコット、ディズニー・ハリウッド・スタジオ、ディズニー・アニマル・キングダム)と2つのディズニーウォーターパーク(ディズニー・タイフーン・ラグーン、ディズニー・ブリザード・ビーチ)、ゴルフコース、20以上のリゾートホテルや商業施設が隣接しているアミューズメントリゾートです。

※ディズニークルーズライン

1955年、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイム南西部に、最初のディズニーリゾート(カリフォルニア・ディズニーリゾート)がオープンしました。他にも、東京ディズニーリゾート(日本)、香港ディズニーランド(中国)、上海ディズニーランド(中国)、ディズニーランド・パリ(フランス)、テーマパーク以外では、ハワイのアウラニ・ディズニー・リゾート&スパ、カリブ海・アラスカ・地中海を結ぶディズニークルーズラインがあります。(2021年6月現在)

「永遠に未完成」と語ったウォルト・ディズニーの言葉通り、今後もディズニーグループは映画やミュージカルなどのエンターテイメントを通じて、多くの人々を夢と希望で満たすでしょう。

彼は“お金ではワクワクしない。アイディアが私を興奮させる”と語っています。そんな彼だからこそ、子供だけを対象にしたテーマパークではなく、大人を喜ばせるテーマパークを作るべきだと考えたのでしょう。このアイディアこそが長年に渡って人々を魅了し続ける理由なのかもしれません。

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