マヤ・アンジェロウ:自分を愛し、人を許し続けた未婚の母

マヤ・アンジェロウ(1928-2014)
アメリカ合衆国の活動家で、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと共に公民権運動に参加しました。1993年、ビル・クリントン大統領の就任式で自作の詩を朗読し、2011年に大統領自由勲章を受章。貧困や虐待、シングルマザーや売春婦など、彼女の壮絶な人生を綴った「歌え、翔べない鳥たちよ」は、ベストセラーとなりました。

『Maya Angelou -Civil Rights Activist & Author | Mini Bio | BIO』

<ありのまま>

マヤは1928年、ミズーリ州セントルイスで誕生。両親が離婚した後、アメリカ南部のアーカンソー州スタンプスという小さな町(偏見や差別の多い町)へ移り、祖母に育てられます。祖母が経営する雑貨店は、彼女にとって発見が多く、大好きな場所でした。黒人でありながらも誇り高い祖母の生き方に共感し、彼女は差別に屈しない強い心を育てていきます。8歳の時、兄と一緒に母の元で暮らす事になりますが、母の交際相手から性的暴行を受け、わずか8歳の彼女は、裁判で証言台に立つ事になりました。ほどなくして、母の兄がその交際相手を殺害。自分のために家族が人を殺してしまったという事にひどく心を痛め、彼女は5年間言葉を発しなくなったのです。

その後、サンフランシスコの労働学校へ通うようになり、音楽やダンス、演技を学びました。成績優秀だった彼女は、在学中に黒人女性として初めて路面電車の車掌として働き始めます。学校を卒業した後、17歳で同世代の少年との子供を出産。その後の彼女は、息子のガイ・ジョンソンを育てながら3度の結婚を経験し、全て離婚しています。

彼女が23歳の時にギリシャ人電気技師と結婚しますが、3年後に離婚。歌手やダンサーとして、サンフランシスコのナイトクラブで働き始めます。その後、31歳で小説家のジョン・オリバー・キレンズと出会った彼女は、ニューヨークへ移り、執筆活動に専念するようになりました。

そして、32歳でキング牧師と出会い、公民権運動に参加。41歳で自伝「歌え、翔べない鳥たちよ」を出版し、ベストセラー作家となりました。自身も黒人である彼女は、そのルーツを探し求めてガーナへ渡り、ジャーナリストとして活躍。その後、映画の脚本や詩なども手掛けます。
また、オペラ「ポーギーとベス」で主演を務め、約1年に及ぶ公演(世界22か国)をこなしました。その後、彼女はブロードウェイの舞台にも立っています。作家として、また演技者としても地道な活動を積み重ね、彼女は名声を得る事が出来たのです。

※アメリカ、ワシントンD.C.にあるキング牧師の記念碑

<親友マーティン・ルーサー・キング・ジュニア>

マヤの親友マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1968年4月4日に暗殺されます。(この日は、マヤの誕生日です。)
彼は、アメリカにおける人種差別撤廃を求める非暴力闘争に対して、全精力を注ぎました。現在でも、1月の第3月曜日はキング牧師を讃えるアメリカの祝日として、市民に地域の奉仕活動に携わるよう勧める日となっています。

キング牧師は、黒人労働者によるストライキの支援を行うため、メンフィスに滞在していました。そして、1968年4月4日に滞在中のレイン・モーテルホテルのロビーで暗殺。すぐ近くのアパートの屋上から白人男性に狙い撃ちされ、39歳という若さでこの世を去りました。

※マルコムXの蝋人形(アメリカ、ニューヨークの蝋人形館に展示)

<マルコムXへの期待>

マルコムXとマヤは、ニューヨークのハーレムにあるムスリムレストランで出会います。友人と企画した市民権運動や黒人女性組織による国連へのデモ支援を依頼しますが、「ムスリムはデモをしない」という理由で、彼の協力を得る事は出来ませんでした。その後、ガーナを訪問した彼女は南アフリカの解放運動家と知り合い、結婚。エジプトへ渡りましたが、この結婚生活も長くは続きませんでした。さらに、破局後に移住したガーナで、息子のガイが交通事故に遭ってしまうのです。長期の入院が必要なため、しばらくガーナに留まる事となりました。

同じ頃、ガーナを訪問していたマルコムXは、自身を支持する現地の黒人団体の一員であるマヤと接触し、空港まで送迎していたようです。彼は、ガーナに住むアフリカ系アメリカ人からも高い支持を受けていたため、彼女は大きな期待を抱きます。しかし、親交を深めて共に活動したものの、期待するような成果を上げるには時間がかかり過ぎました。

※ビル・クリントン大統領の就任式でスピーチを披露するマヤ・アンジェロウ

彼女には、作家、詩人、ダンサー、女優、歌手、脚本家など、様々な肩書があります。また、黒人女性であり、母でもあるのです。そんな彼女は、世界から差別がなくなるよう、いつも簡潔で力強い言葉を世界へ訴え続けました。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧