河原温:コンセプチュアルアートと「日付絵画」

河原温は1932年日本の愛知県に生まれたコンセプチュアルアートを代表するアーティストです。特に1966年から制作している「日付絵画」は有名で、国際的にもきわめて高い評価を受けています。そんな河原温の生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■河原温とは

河原温は1932年、あるいは1933年に日本の愛知県刈谷市に生まれました。地元の刈谷高校を卒業後、上京しアーティストとしての活動をはじめます。少年時代のことも含め正規の美術教育を受けた記録は残っておらず、1952年新宿の「ブラック」というコーヒー店で個展を開催したことのみが分かっています。同年には東京都美術館で開催された読売アンデパンダン展や日本アンデパンダン展に作品を出品しています。当時の作品は一貫して具象画で、この頃の作品からはコンセプチュアルアートの兆しを見て取ることはできません。

1959年には日本を離れ、メキシコに滞在します。メキシコを滞在先に選んだのはメキシコ美術に興味があったからというわけではなく、エンジニアとしてメキシコに滞在していた父親の存在があったからではないかといわれています。その後アメリカに8か月滞在したのち、パリ滞在を経て1965年からはニューヨークを拠点として活動するようになります。

この頃から文字や記号による作品に取り組むようになり、キャンバス上に白抜きの文字を活字で描く作品を制作し始めます。そうした作品の一つである《Title》は、1965年東京国立近代美術館で開催された「在外日本作家展」に出品されていますが、マゼンタ色の3枚のキャンバスからなる作品で中央には「1964」、左のキャンバスには「ONE THING」、右のキャンバスには「VIET-NAM」と描かれていました。同じようなスタイルで制作された「Location」は黒字のキャンバスに白の文字で「LAT. 31°25′ N LONG84°1’E」と描いた作品で、サハラ砂漠のある一地点の緯度と経度を描いたものです。

1966年以降こうしたスタイルをさらに推し進め「日付絵画」の作品を描くようになります。日付絵画のシリーズは国際的にも高い評価を受けましたが、河原は一貫して表舞台に出ることはなく、展覧会カタログに掲載する経歴にも誕生から展覧会開催当日まで生きた日数を記録するのみでした。

■コンセプチュアルアート

彼はコンセプチュアルアートの第一人者といわれていますが、そもそもどんなアートを指すのでしょうか。コンセプチュアルアートとは、コンセプトを作品の主要なテーマとする作品のことを指します。芸術作品はどうしてもどのようなものが描かれているのか、何で描かれているのかなど物質的側面に目が向きがちですが、コンセプチュアルアートは観念性や思想性を重視しており、記号や文字、パフォーマンスなどで表現するアートなのです。

はじめて言及されたのは1961年ヘンリー・フリントによって「コンセプト・アート」として紹介された際の事でした。その後「アート・フォーラム」に掲載されたソル・ルウィットのエッセイ「コンセプチュアルアートに関する断章」でも詳しく言及されています。

アメリカにおいてミニマルアートの次のアートとして大きな注目を集めていきましたが、文書による指示のみで作品とするため、画廊や美術館などによるコントロールから外れ、純粋にアートとして存在できるという側面も秘めたものでした。

■日付絵画

そんなコンセプチュアルアートの作品としてもっとも有名な作品の一つが「日付絵画」です。正式には「Today」シリーズといい、単色に塗られたキャンバスに制作した日付を白抜きの数字とアルファベットで描くという作品。

日付絵画の制作は画面に描かれた日付のうちに終了しなければならないというルールがあり、「June 9, 1991」のように描かれます。もし当日中に作品が完成しなかった場合は破棄しなくてはならないため、日付が二つ描かれることはありません。また月名は制作当日に河原が滞在している国の言語で表記されることになっており、パリに滞在していた場合は「20 FEV. 1993」として表記されます。日本で描かれた場合はエスペラント語で描かれるため、72年までは自身が制作した厚紙の箱に制作地で発行した新聞の切り抜きが合わせて納められていました。このように厳格なルールのもと描かれた日付絵画は98年の時点で2000点以上。コンセプチュアルアートの代表的な作品として世界中に知られることとなりました。

この日付絵画を目の前にしてみると、画家の存在やその日の様子に関するイメージが沸き起こってきます。作品には彼の姿や滞在地の様子などはなにも描かれていませんが、ただ文字のみで画家は鑑賞者にその日、その時間をイメージさせることに成功しているのです。そうした意味では美術史上において大変画期的な作品であり、絵画の新しい形を作り上げたとも言えるでしょう。

■日付絵画以外の作品

日付絵画以外にもコンセプチュアルアートの作品を多数制作しました。以下ではそんな河原の作品をいくつかご紹介します。

・《I READ》

1966年10月2日に制作を始めたシリーズ。日付絵画を制作した日の新聞記事の切り抜きを貼ったルーズリーフのファイルのことを指します。

・《I MET》

1968年5月10日に制作を開始したシリーズ。その日に出会った人物の名前をタイプ打ちし、ルーズリーフにファイルした作品です。タイプされているのは名前のみ、その人物がどのような人物なのかどんな会話をしたのかはなにも描かれていません。

・《I WENT》

1968年に制作を開始したシリーズ。その日に滞在した街の地図のコピーがルーズリーフにファイリングされている作品です。地図には彼が通った道筋が赤い線で描きこまれています。

・《One Million Years》

こちらもルーズリーフによる作品で「百万年過去」と「百万年未来」の二種類尾があります。1ページに「998030 BC 998029BC 998028 BC」のように500年分の年数がタイプされ、最後の2001ページ目は「1969 AD」で終わっています。過去編は「これまで生き、死んだ全ての人へ」とタイプされ、未来編は「最後のひとりへ」とタイプされています。百万年の時をタイプされた文字をただ辿ることで感じ取れる作品で、男女が交互に年号を読み上げるCDバージョンも制作されました。

■おわりに

河原温は当初具象画を描いていたものの、コンセプチュアルアートの作品を制作するようになり「日付絵画」をはじめとした世界的にも高く評価される作品を残しました。鑑賞者は彼の作品に触れることで、悠久の時間を感じ取ることができます。

河原の作品はキャンバスに文字を描くのみで構成されており、一見すると誰にでも描ける作品に思えるかもしれません。しかしそのアイデアは彼にしか生み出せなかったものであり、制作していた24時間はもとより、100万年前から100万年後までを想像できるように導く作品はこれまでになかった作品といえるでしょう。

そうした一連の作品は厳格な制作ルールや表舞台に決して現れないというミステリアスなイメージにより、魅力的になったといえるかもしれません。河原は2014年に亡くなっていますが、彼が残した日付絵画や一連のコンセプチュアルアートはその後を生きる人々にどのようなクリエイティビティをもたらすのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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