イヴ・クライン:神秘的な「青」の表現を用いた画家

イヴ・クラインは1928年にフランス、ニースで生まれた画家。「青」を好んで作品に用いたアーティストとして知られており、自分だけの青「インターナショナル・クライン・ブルー」を生み出したことでも知られています。そんなイヴ・クラインの生涯と作品とはどんなものだったのでしょうか。

■イヴ・クラインとは

イヴ・クラインは1928年フランスのニースで生まれました。国立商船学校や国立東洋学校で学び、ここで詩人クロード・パスカルや彫刻家アルマン・フェルナンデスと出会っています。クラインはまた、この頃柔道を習い始め、最終的にはスペインにある柔道チームの指導者になりました。

そんな、クライン、パスカル、フェルナンデスの3人でニースのビーチに出かけた際、彼ら自身で「世界を三分割する」という途方もない話をし、アルマンは大地を、パスカルは空気を、クラインは空を手に入れるという話になりました。彼のアーティストとしての原点はここにあり、空の持つ無限性を作品のテーマにすることで、アーティストとしての道を切り拓いていきます

(画像はイメージです)

その後はロンドンの額装屋でアシスタントとして働き、日本に旅行し黒帯を取得するなどしながら作品制作に没頭していきます。1948年からは単色のみのオレンジや金、ピンク、そして青を画面全体に塗るという作品を制作するようになりました。こうした作品をもとにパリで展覧会を行いますが、観客からの反応はほとんどがネガティヴなものでした。

しかし、批評家ピエール・レスタニ―がクラインのモノクローム絵画を評価したことから、自信を持って色の研究に没頭します。そうして生み出されたのが「インターナショナル・クライン・ブルー」。この青を発表後、特許登録を行っています。

(画像はイメージです)

■インターナショナル・クライン・ブルー

さて、なぜ彼は青にこだわったのでしょうか。青と聞いて思い浮かぶのは、きっと空や海といった漠然としたものでしょう。こういった抽象的なイメージから、彼にとって青は次元から外れた、特別な色でした。無限を表す色は、クラインにとって大変魅力的な色だったのです。

1957年にはミラノのギャラリーで、インターナショナル・クライン・ブルーを使って制作した絵画11点を展示、作品はすべて十分な距離を取って展示されました。ギャラリーは比較的小さかったため、まるでインターナショナル・クライン・ブルーに飲み込まれるような空間ができあがったのです。

■クラインのその後

その後クラインは、ギャラリーになにも展示しない「空虚展」を行ったり、裸の女性のモデルにインターナショナル・クライン・ブルーを塗り付け、「生きたブラシ」として作品を制作するパフォーマンスを行ったりするなど、これまでのアーティストが思いもつかなかったような展示を行いました。火や水、風といった自然物を使い精力的に制作を行いましたが、1962年には心臓麻痺をおこし、わずか34歳で生涯の幕を下ろすことになります。

■イヴ・クラインの作品

彼の作品はインターナショナル・クライン・ブルーを基調として、さまざまな手法に適用させることでユニークな作品を作り上げていきました。以下ではそんな作品のうち主要なものをご紹介します。

・《宇宙進化》

インターナショナル・クライン・ブルーをキャンバスに塗り、そのキャンバスを風にさらすことで大気の変化を記録した作品。インターナショナル・クライン・ブルーのにじみや流れ落ちた跡を見ることで、観客はその時の自然の様子を感じ取ることができます。自然の作用によってその時の様子や時間をもキャンバスに残そうとする、きわめて実験的な作品です。

・《人体測定》

1960年から始まった作品で、クラインのパフォーマンス・アートの一つです。作品を公開で制作する旨をゲストに伝え、ゲストも自分も正装し制作に臨みました。自作曲である「モノトーン・シンフォニー」をオーケストラに演奏させ、インターナショナル・クライン・ブルーを体に塗ったヌードモデルたちにキャンバスに横たわらせたり、横たわったモデルの周りにインターナショナル・クライン・ブルーを吹きかけたりします。こうしたパフォーマンスの結果、人間の動きがキャンバスに残り、このパフォーマンスで制作した一連の作品を《人体測定》と名付けました。

《人体測定》のアイデアを思い付いたきっかけとしては、日本滞在時に知った原爆投下時に放射熱で壁に残った人影の跡や力士の手形、魚拓などがあげられています。また18歳の時に薔薇十字団に入っていますが、その際の神秘思想の影響ではないかとも言われています。

・《火の絵画》

自然のエレメントに興味を持っていた彼が「火」を作品に取り入れて制作した作品。火炎放射器で木材のキャンバスを燃やしながら同時に水をかけ、燃え方を記録し、火をドローイングツールとして用いたこれまでにない作品でした。

■その後の影響

《宇宙進化》や《人体測定》など色としてはインターナショナル・クライン・ブルーのみを用いているものの、さまざまな手法を用いることでこれまでにない作品を制作していきました。しかし、1962年に結婚し、子どもの誕生を楽しみにしていたのにもかかわらず、同年34歳で亡くなってしまいます。

亡くなる数日前、グアルティエロ・ヤコペッティ監督による映画『世界残酷物語』で《人体測定》のパフォーマンスの撮影に応じますが、そもそもこの映画は世界の野蛮で残酷な風俗を描いたドキュメンタリー映画であり、やらせシーンも含まれていました。《人体測定》はそんななかでヨーロッパの堕落を表すシーンとして恣意的に編集されており、それを見たクラインは憤り、それがもとで心臓麻痺を起こしたとも言われています。

奇天烈なパフォーマンスとして紹介されてしまったクラインの作品ですが、フランスにおいてはヌーヴォー・レアリスムの作家として評価され、後にカジミール・マレーヴィチやアレクサンドル・ロトチェンコらに影響を与えていきました。クラインの作品は戦後花開く抽象表現主義への道筋を作り、現代のアートシーンへとつながっているのです。

■おわりに

イヴ・クラインはフランス、ニースで生まれ、神秘思想や東洋思想に影響を受けてユニークな作品を作り上げました。キャンバス一面を単色で塗るモノクローム絵画は観客の批判を浴びたものの、批評家ピエール・レスタニ―の評価を受けインターナショナル・クライン・ブルーを創作。
その後はインターナショナル・クライン・ブルーをもとにモデルの動きをキャンバスに記録する《人体測定》や雨風の動きをキャンバスに残す《宇宙進化》、ガスバーナーでキャンバスを燃やしながら制作する《火の絵画》など彼の作品は色彩的にはシンプルでありながらも、これまでにない表現方法で一躍有名になったのです。

インターナショナル・クライン・ブルーの一色のみの制作であっても、これほどまでに作品にバリエーションがあるというのは他のアーティストたちと比べても類を見ないこと。もしクラインが心臓麻痺を起こすことなく、長生きしていたとしたらどのような作品を残していたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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