デヴィッド・イェーツ:「ハリー・ポッター」シリーズを支える男

デヴィッド・イェーツ(1963年−)は、イギリスのテレビ・映画監督。「ハリー・ポッター」シリーズの第5作目以降の監督を務め、引き続き「ファンタスティック・ビースト」のメガホンもとった。他の作品に、「ターザン」「セックス・トラフィック」などの作品があります。
デヴィッド・イェーツ監督と聞いて、ピンとくる作品があるでしょうか?

世界中の多くの監督が、大人気作品の監督に抜擢されるまで着々とキャリアを積み重ねてきていたにも関わらず、彼はいきなり世界中の人々が待ちわびている「ハリー・ポッター」シリーズの監督に大抜擢されたのです。それどころか、続編である「ファンタスティック・ビースト」シリーズも担当します。一体、どのようないきさつがあったのでしょう?
そんなイェーツ監督の人物像や監督自身の物語も含め、彼がメガホンをとった作品を紹介していきたいと思います。

【監督としての転機】

イギリスのマージーサイド州出身であるイェーツ監督。15歳のとき「ジョーズ」を観てハマってしまった彼は、それから27回も同じ作品を観返しました。10回目以降は劇場の一番後ろに座り、スピルバーグ監督がどうやって観客を驚かせ、楽しませるか観察していたとか。この「ジョーズ」の影響で映画監督になろうと決めたそうです。
映画監督にまつわるエピソードに映画関連の学校に通っていたという話はよくありますが、彼はイギリスのエセックス大学とアメリカのワシントンDCのジョージタウン大学で政治学も専攻しています。短編で脚本も兼ねた初監督作品「When I Was a Girl」が高く評価され、イギリスの国立映画TV学院に入学。TVドラマの演出をするなか、「The Tichborne Claimant」で長編デビューを果たします。その後、社会派ドラマである「セックス・トラフィック」で注目を浴びました。ヨーロッパのセックス産業における女性の人身売買を扱った作品です。

そんな生々しいドラマを撮ったイェーツ監督に、なんと「ハリー・ポッター」シリーズの第5作目「不死鳥の騎士団」の依頼が!政治色の強い回のため、彼が大抜擢されたのです。それまで彼は「ハリー・ポッター」を読んだことがなかったとか。慌てて原作を読み、その世界に惹かれたそうです。
前作までの「子どもらしさ」が覗く「ハリー・ポッター」作品を、ダークなものに変えました。主人公ハリーは前作「炎のゴブレット」で友人セドリックの死を間近で体験。ヴォルデモート復活を語っても政府や友人から「嘘つき」呼ばわりされ、孤独を感じます。そんななかでも寄り添ってくれる友人たちと手を取り、秘密の組織を結成。頼りにならない大人たち顔負けのパフォーマンスを見せてくれます。ファースト・キスや失恋、大切な人の死を経験し、ハリー含むおなじみのキャラクターたちが大人になっていくさまが描かれているのです。きっと製作陣も、「子ども向け」ではない「大人の」ハリーを撮りたかったのでしょうね。

特撮を使うのはこの作品が初めてだったというイェーツ監督。しかし、スピルバーグの大ファンだった彼は、見事に使いこなしてみせました。嫌な感じの先生アンブリッジを花火で撃退したり、「守護霊」を登場させたり。特に魔法省でのダンブルドアとヴォルデモート卿との戦いは圧巻、の一言。
現場でのイェーツ監督はリーダーとなりスタッフを引っ張っていきました。彼のおかげで主演のダニエル・ラドクリフやルパート・グリント、エマ・ワトソンの演技にも磨きがかかったといいます。そのかいあってか、次回作「謎のプリンス」にも続投が決まりました。

【物語は「ファンタスティック・ビースト」シリーズへ】

「不死鳥の騎士団」以降、「ハリー・ポッター」シリーズの後半作品の監督を見事に務めあげたイェーツ監督。彼は巨大なセットや特殊効果があっても、人間的なストーリーを見せてくれました。近年のCG技術は進歩しており、わたしたち観客は常に驚かされますが、その一方でストーリーの面白さには欠けてしまい、薄っぺらな心に残らない映画も多数存在します。しかし、彼は「ハリー・ポッター」の魔法で溢れた世界観だけではなく、ハリーや登場人物たちの苦悩などを丁寧に描いたのです。

そして彼は、「ファンタスティック・ビースト」シリーズを担当します!原作のない映画の製作に向けたJ.K.ローリングの脚本とイェーツ監督とのタッグにより、再びわたしたちを魔法界へと誘ってくれるのです。今作は主人公が大人とあってか政治色が強く、ファンタジーはもちろん、現代社会へ向けてのメッセージに溢れています。大学で政治学を専攻し、社会派ドラマ「セックス・トラフィック」を撮ったかれだからこそ務められたのかもしれません。
さきほども書きましたが、原作がないぶん、監督たちのアイデアも活かされています。例えば第1作目「魔法使いの旅」冒頭で、ハリーの世界でおなじみの「日刊預言者新聞」のアメリカ版が登場するシーン。この場面があることで観客は一気に魔法界へ戻ってこられるのです。この冒頭を付け足したのはローリングでなく、イェーツ監督。映画ならではの手法を見せてくれました。

魔法世界はもちろん、人間味溢れる登場人物にも惹きつけられます。最新の技術で作られた映像にも関わらず、画面から物語の温かさが伝わってくるのです。一瞬たりとも無駄なシーンがなく、物語から目が離せません。それは登場する人間たちだけではなく、本当には存在しないはずの魔法生物たちにも当てはまります。
第2作目では「ハリー・ポッター」シリーズのアイテムが続々と登場。長年のファンを喜ばせてくれました。闇の魔法使いグリンデンバルドが暗躍し、一気に政治色が強くなります。監督だけではなく、原作者のローリングも社会派の作家ということもあり、観客に問いかけてくるような内容となっているのです。
ただのファンタジーでは終わらせない、大人向けの作品となっています。

【彼の物語もまだまだ続く】

「ファンタスティック・ビースト」シリーズは5部作であると決定しています。イェーツ監督はその全作品を担当。まだまだ目が離せません。

彼のお気に入りのキャラクターは、主人公ニュート・スキャマンダーだとか。監督自身、幼少期は恥ずかしがり屋で、社会のどこかに自分の居場所がないか探していたそう。そして見つけたのが映画製作とストーリーテリング、音楽でした。わたしも創作をする人間なのでよくわかるのですが、なにかを作っていると自分の世界に没頭でき、その作品を通じて他者とコミュニケーションがとれるのです。そうした活動をしていると、同じ方向を見ている仲間と出会うことができます。ニュートも人間とのコミュニケーションは苦手ですが、魔法動物を保護し、彼らと触れ合っているときにはとてもいきいきとしています。また、魔法生物を追う旅をしているうちに信頼できる仲間たちと巡り会えるのです。そんな主人公を理解できるイェーツ監督だからこそ、この作品を魅力的に撮ることができるのではないでしょうか。
ニュートと冒険をともにするノーマジのジェイコブや、魔法使いティナ、読心術を使えるクイニーも魅力的。彼らに惹きつけられるのは、どこか欠点を抱えていて、完璧ではないながらもお互いを支え合い、目的のために奮闘しているからでしょう。まるで、複雑な現代を生きるわたしたちを描いているかのようです。
また、2作目で登場する若き日のダンブルドアと、かつての友人グリンデンバルドの抗争からも目が離せません。「ハリー・ポッター」シリーズでは完璧だったダンブルドアですが、「ファンタスティック・ビースト」シリーズでは苦悩を抱える彼の若き日を見せてくれます。ヴォルデモート卿と違い、「ただの悪」ではない弁の立つグリンデンバルドにも、悪者とわかっていながらも心惹かれてしまうのです。

「ハリー・ポッター」シリーズ1作目「賢者の石」で、心の奥底に秘めた想いを映す「みぞの鏡」をハリーが覗くシーンがあるのを覚えていますか?ダンブルドアは「望むものすべてを持っている人が鏡の前に立っても、ただの自分がそのまま映るだけ」と教えてくれます。ハリーはそこに亡き両親の姿を、若き日のダンブルドアは、今は敵対するグリンデンバルドの姿を映しだしました。この映画を観にきて面白いと感じる人は、なにかしら「みぞの鏡」に映る秘めた想いを抱えている人たちなのではないでしょうか。イェーツ監督をはじめ、製作陣みんながそんな想いを抱えながら、このシリーズを作り上げているのかもしれませんね。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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