マルク・シャガール:妻への愛を描く画家

(Public Domain /‘Shagal Choumoff’by Pierre Choumoff. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

マルク・シャガール(1887年−1985年)は20世紀を代表するユダヤ人画家。妻ベラへの愛や結婚をテーマにした作品を多く残しているため「愛の画家」とも呼ばれています。絵画やステンドグラス、壁画などを手掛けました。

ロシア出身のユダヤ系フランス人画家であるマルク・シャガール。彼の作品は常に愛と祈りが主題となっており、幻想的な風景が色鮮やかに描かれています。色彩の魔術師と名高いシャガールはどんな人物だったのでしょうか?彼の生い立ちや作品を交えて紹介していきます。

【愛の画家】

シャガールは刑務所と精神病院の裏にあるロシアの貧しいユダヤ人街で、9人兄弟の長男として生まれ、周りを注意深く観察する少年でした。店を営む母親や床屋の父親、屠殺業の祖父などの家族はもちろん、鳥や犬、猫などの動物たちは彼の絵画に影響を与えています。芸術家になるきっかけは同級生のドローイングにありました。同級生の真似をして図書館に行き、好きな写真を模写し始めます。絵を描く人はわかると思うのですが、絵の上達方法のひとつに模写があります。続けているうちに模写が楽しくなり、芸術家になろうと決めたのです。

妻ベラと出会ったのは22歳のとき。裕福な商人の娘だった彼女と身分違いの結婚を果たしたのは、婚約してから5年後のことでした。多くの画家は名声を得るのが死後のこともありますが、彼は20代の頃から個展を開催し、この世代を代表する芸術家とみなされていました。そんな成功はベラの影響も多く、深い教養と洗練された目を持つベラはヨーロッパの古典絵画や劇、詩などをシャガールに教えました。その甲斐あってか、幻想的な作風は詩人たちの心も揺さぶるものとなります。
しかしナチス政権が台頭すると、“退廃芸術家”として迫害を受けるようになります。ユダヤ人だけでなく、芸術家たちはヨーロッパ各地からの亡命を余儀なくされてしまいました。悲惨な境遇ながらもアメリカで温かく迎えられ、絵画の展示をしつつもメキシコで舞台デザインを手掛けるなどして注目を集めました。
1944年、パリ解放のニュースに喜んだのも束の間、ベラはニューヨークで病に倒れ帰らぬ人となってしまいます。ショックのあまり、シャガールは9ヶ月間絵筆を手に取ることができませんでした。
「ベラの口元はいつになってもはじめてのキスの香をただよわせている」と、ベラの死後語っています。

【ベラ死後のシャガール】

戦時中に起きたユダヤ人虐殺や妻の死を乗り越え、活動の拠点をパリに置きます。パリは雰囲気だけでなく、街や建物、風景が自身に深く結びついていると気がついたからです。マティスやピカソと交流し、一緒に制作を行うこともありました。しかし彼は毒舌家として有名だったそう。画風が異なっていたため芸術的なライバル心が強く、関係が長続きすることはありませんでした。
この頃になると絵画制作より彫刻やセラミック、壁画などが中心となります。

晩年には、歴史的建造物であり、国の記念碑でもあるパリ・オペラ座の天井画「夢の花束」を制作。70代後半だったシャガールは見上げる者を魅了する作品を完成させました。金色の円のなかで踊っている人々は私たちをファンタジーの世界へ誘っているかのよう。

そして彼がこの世を去ったのは97歳のとき。最後に残ったモダニスト巨匠として惜しまれました。

【ロシア系ユダヤ人の芸術】

(Public Domain /‘Stamp of Belarus’by post of Belarus. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ユダヤ人文化とフォーヴィズムやキュビスムの技術を融合させたシャガール。当時のロシアにおけるユダヤ人芸術家たちはユダヤ人であることを隠すか、ユダヤ人というアイデンティティを大切にし、芸術で積極的に表現するかで分かれていましたが、彼は後者の人物でした。芸術とは自己主張するものであったからです。その後、パリへ拠点を移しますが、当時はキュビスムがトレンドであり、シャガールの詩的でユーモアのある絵画は、最初は画家たちからの評価を得られませんでした。フランス語を話せないということもあり都会で孤独な時間を過ごしていましたが、そういった環境が自然や故郷への哀愁を芽生えさせます。故郷ロシアに想いを馳せながら絵画制作に取り組み、彼の心にあるさまざまな感情を描きました。第二次世界大戦後、故郷であるヴィーツェプスクのユダヤ人は24万人からたったの118人と激減。そのような歴史が心にとどまり、作品へと影響を与えています。

【色彩の魔術師】

シャガールの作品は色使いがいきいきとしていることで有名です。ダイナミックな動きのある絵画は、芸術愛好家でなくても惹かれるものがあります。「マティス亡きあと、色を理解しているのはシャガールのみ」とピカソに言わしめたほど。また、絵はぶっとんだ構図ながらも、観る者をどこか懐かしい気持ちにさせてくれます。それは、幼少期の体験が絵画に影響を与えているせいかもしれません。現実をそのまま絵にするのではなく、ファンタジー的な要素を盛りこみ、彼の人生そのものを絵画で表現しているのです。
そんなシャガールの作品を、解説を交えながら紹介していきましょう。

「私と村」……シャガールがパリに移ったあとに描かれた作品。逆さまの女性やヤギの顔のなかにいるヤギなど、おとぎ話の世界のような幻想的な農村風景が描かれています。そのさまは彼の心にある故郷への哀愁のよう。ヤギと男は手を握って「生命の樹」を握っています。農民と動物がお互い助け合って生活している様子を表現しているそうです。

(Public Domain /‘Marc Chagall The Birthday 1915’by Marc Chagall. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

「誕生日」……多くの方が目にしたことがある作品ではないでしょうか。誕生日に花束を届けようとするベラに、宙に浮いて口づけしているシャガール。彼の心浮くほど嬉しい様子が伝わってきます。ベラとの結婚前に描かれた絵画で、一見幸せそうなカップルの一場面に見えますが、男性の顔色が悪いのです。裕福なベラの両親を芸術家であるシャガールが必死に説得した苦労や、第一次世界大戦が勃発し結婚式が延期されたことなどが反映されているのかもしれません。

「青いサーカス」……現代社会に翻弄される人類の象徴とし、ときには自分自身と重ねて描いています。「サーカスはもっとも悲しいドラマに見える」と彼自身語っており、愛想を振りまきながら理想を追い求めるピエロやサーカス団員の姿を一生涯描き続けました。

「パラソルと牛」……最愛の妻、ベラがこの世を去ったあとに描かれた作品。ベラはシャガールにとって愛する人というだけではなく、創作意欲を湧かせてくれる人物でした。そのことから、彼女亡きあとは悲しみに打ちひしがれていたそうです。心配した娘イダが家政婦としてヴァージニアを紹介。その後、2人の間に息子が誕生します。豊穣への幻想が見事に表現された作品であり、雄牛は幸福だったときに触れたメキシコの民芸品の思い出を表現しているとか。オレンジや赤を使っているということもあり、明るい印象を与えてくれます。

「平和」……青白い顔をした人たちが宙を飛んでいるのが描かれており、一見、何を描いている絵かわかりません。しかし、よく見てみると星や動物、愛をささやき合う恋人などが描かれているのが見てとれます。ユダヤ人として故郷を追われた彼が考える平和な世界。ニューヨークにある国際連合本部ビルのステンドグラスになっています。

宙を飛ぶ人々や動物、色鮮やかに描かれた恋人たち。絵画に精通していなくても、シャガールの絵は観る人を魅了します。愛する人や自らの故郷をテーマに、生涯に渡って制作を続けてきた画家です。その想いが込められた色彩豊かな世界に浸ってみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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