ナム・ジュン・パイク:ビデオアートの開拓者

ナム・ジュン・パイクはビデオアートを主な作品とするアーティストで、さまざまなパフォーマンス・アートを残しました。そんな彼の作品とはどんなものだったのでしょうか。

ナム・ジュン・パイクとは

ナム・ジュン・パイクは1932年、現在のソウルにあたる日本統治時代の京城に生まれました。1949年には朝鮮戦争の影響もあり、一家で香港に移住します。その後日本に移住すると東京大学で美学を学び、20世紀音楽に関する論文を執筆します。

1956年、ドイツのミュンヘン大学で音楽史を学び、ケルンの西部ドイツ放送協会の電子音楽スタジオで働きます。またこの頃「4分33秒」で有名なジョン・ケージとも出会い、大きな影響を受けました。音楽の仕事に就き、また現代音楽の巨匠と出会ったことにより、アーティストとしての活動を開始。1959年にはデュッセルドルフのギャラリー22でパフォーマンス・アートを多数発表。その後は現代美術家ジョージ・マチューナスと出会い、国際的な芸術運動フルクサスへ参加。前衛的な芸術の世界に身を投じていきます。

フルクサスのメンバーは多国籍で、扱うジャンルも美術や音楽、詩や舞踏とさまざま。パフォーマンス・アートやコンセプチュアル・アートなど、その表現の在り方も多様でした。フルクサスは芸術家が創作活動に没頭でき、自由に作品を発表できる「芸術共同体」を目指しており、ドイツ、アメリカ、日本、韓国など10ヶ国以上ものアーティストが参加していました。そうした表現が許されるフルクサスは、ビデオアートの先駆者であったナム・ジュン・パイクにとって活動しやすい場だったのでしょう。

その後アメリカに行き、生涯にわたる共演者となるチェリストのシャーロット・モーマンと出会い、《ロボット・オペラ》をはじめとしたさまざまなパフォーマンス・アートを制作していきます。再びドイツに渡るとデュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭をとり、ヨーゼフ・ボイスとの共演作品を制作するなどビデオ・アートの先駆者として表現の幅を広げていきました。

1987年「ドクメンタ8」に参加、1993年にヴェネツィア・ビエンナーレにドイツ代表として参加しています。その後精力的に制作活動を行っていたものの、1996年に脳梗塞で倒れ、車いす生活となってしまいます。2006年にはアメリカ、フロリダ州にあるマイアミの別荘で死去。73歳の生涯でした。

ビデオ・アートのはじまり

ナム・ジュン・パイクはビデオ・アートの先駆者として知られています。このビデオ・アートとはどんなものなのでしょうか。一般的にビデオ・アートとは映像と音声を用いるアートのことを指します。ビデオ・カメラを使い、ビデオ・テープやDVDなどを記録メディアとして用いるビデオ・アートは1960年代から始まり、徐々に機材の低価格化が実現したこともあって制作者は爆発的に増えていきました。

こうしたビデオ・アートの作品を初めて制作したのが彼であるといわれています。1963年、西ドイツのヴッパータールのパルナス画廊でインスタレーション作品を展示しました。

この作品は13台のテレビに改造を施し、画像をゆがめたり、白黒を反転させたりしたもの。1965年にはニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで個展「NJパイク—エレクトロニックTV実験、3台のロボット、2つの禅箱、1つの禅缶」を開き、ゆがんだ画像や模様を映し出す「磁石テレビ」を発表します。
このようにビデオ・アートを制作したとともに、新しい表現も開拓していきました。2006年に亡くなるまでビデオ・アート作品を制作し続け、後の実験映画やコンセプチュアル・アートなどのアーティストに大きな影響を与えました。

サテライト・アート

1984年、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」にちなんでアメリカ、フランス、西ドイツ、韓国で衛星中継される番組「グッドモーニング・ミスター・オーウェル」が制作されました。この作品は世界で同時多発的にパフォーマンスを行うことから「サテライト・アート」の先駆けといわれています。以後ビデオ・アートの作品と合わせてサテライト・アートを行うようになり、1986年にはニューヨーク、東京、ソウルを衛星中継した「バイバイ・キップリング」などを制作しました。

サテライト・アートの革新的な点は、何といっても同じ作品を離れた場所で同時に鑑賞できるという点。それまでアートというと美術館やギャラリーに展示されている作品を鑑賞するというものでした。しかし、ビデオ・アートの特長を生かすことによって、遠く離れた地においても同じ作品を鑑賞できるようになったのです。同じ時間に同じ作品を異なる土地で多くの人が観賞できるというナム・ジュン・パイクのビデオ・アートは、その後のアート・シーンに大きな影響を与えていきました。

ナム・ジュン・パイクの作品

ここまでナム・ジュン・パイクの生涯について確認してきました。ビデオ・アートでアート・シーンに革命を起こした彼の作品とはどのようなものだったのでしょうか。

《TVフィッシュ》1975年

熱帯魚が泳ぐ水槽の裏にテレビが置かれたインスタレーション作品。テレビにはアメリカ人ダンサーのマース・カニングハムの踊りや航空ショーといった多種多様な映像が映し出されます。

水槽の中で泳ぐ金魚は「現在」を生きており、その後ろで再生されているビデオテープは録画された「過去」を表しています。そうした観点で見ると、《TVフィッシュ》は現在と過去が交差しあう作品であることがわかります。

《ケージの森/森の啓示》1993年

1984年に制作された「グッドモーニング・ミスター・オーウェル」で放送された作品。《ケージの森/森の啓示》は、植物とモニター20台を用いた大きなインスタレーション作品で、まるでモニターが木にとまる鳥のようです。モニターに映されている男性は現代音楽家ジョン・ケージであり、本作品はケージにインスピレーションを受けた作品と考えられています。

おわりに

ナム・ジュン・パイクは現在のソウルに生まれ、香港、日本と住む国を次々と変えながら、さまざまな文化を学んでいきました。ドイツに渡るとジョン・ケージやジョージ・マチューナスと出会い、フルクサスに参加。以後はビデオ・アートを主とした国際的な制作活動を行っていきます。

ビデオ・アートの革新的な点は、世界各地で同時に一つの作品を鑑賞できるということ。インターネットが普及する前であり、いまだアートが美術館やギャラリーで鑑賞するものという固定概念が強かった時代において、テレビのネットワークを用いて作品を発表するというのは当時の人々を驚かせたに違いありません。

彼は音楽や美学を中心に学びましたが、禅や道教なども学び、作品を通して「諧謔精神」「テクノロジーとエレクトロニック・メディアの人間化」「東洋と西洋の融合」を目指そうとしていました。幼い頃に朝鮮戦争を経験し香港に逃れた彼にとって、アートを通して世界中の人々が同じ経験をするというのは、目標へ向かう一つのステップだったのかもしれません。

参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナム・ジュン・パイク
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビデオ・アート

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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