レブロン・ジェームズ:NBAが生んだ最強の”キング”彼を突き動かすものとは

NBAが誇る”キング”レブロン・ジェームズ。高校時代から注目を集め、鳴り物入りでプロへ。高卒ルーキーでは異例のNBAドラフト全体1位指名でキャバリアーズ入団しました。史上最年少新人王を皮切りに、オールスターゲーム史上最年少MVP、史上最年少通算20000得点達成、NBA史上2人目となる2シーズン連続のシーズンMVPとファイナルMVP同時受賞など、数々の記録を塗り替え、”ネクスト・ジョーダン”の異名を持ちます。

レブロン・レイモン・ジェームズは、NBA(北米プロバスケットボールリーグ)においてトップレベルを誇るプロバスケットボール選手。常に移籍を繰り返し、そのたびに注目を集めてきました。

”キング”の名の通り、高校時代からプロデビュー後現在に至るまで、次々と史上最年少記録を打ち立て、チームを優勝に導き第一線をひた走っています。

本記事では、デビュー18年目の今に至るまでトップ選手で居続ける”ネクスト・ジョーダン”、レブロン・ジェームズの歴史を改めて振り返ります。

1.バスケットボール選手、レブロン・ジェームズの人となり

1-1.異例尽くしのキャリアの持ち主

彼の愛称である”キング”は、プロデビュー前の高校時代からの異名。セント・ビンセント=セント・メアリー高校でプレイしていた時代から、その名に恥じぬ活躍を見せていました。その話題性は彼が出場する高校オールスターゲームが異例の全米中継がされ、高視聴率を記録するほど。また、バスケットボールのみならずアメリカンフットボールでもプレイしていたことや、在学中にナイキと契約を結ぶなど、常に話題を提供する存在でした。2003年、高卒ルーキーとしては異例のNBAドラフト全体1位で指名され、クリーブランド・キャバリアーズの選手として、18歳の若さでNBA入りを果たすこととなりました。

ルーキー時代から史上3人目となる20得点・5アシスト・5リバウンド以上を達成し、新人王を獲得。翌年には史上最年少でトリプル・ダブル(1試合で1人の選手が、得点・アシストなど成績5項目のうち3つに関して、2桁以上を記録すること)を達成、NBAオールスターゲームにも出場を果たしました。

その後も快進撃はとどまることを知らず、史上最年少となる19歳での通算2000得点、史上最年少でのオールスターMVPなど次々と記録を塗り替え、2007-08シーズンにおいては史上最年少での通算10000得点を達成。これまでの記録を大幅に更新し、1988年のマジック・ジョンソン以来の快挙となる2試合連続でのトリプル・ダブル2回を達成するなど、輝かしい成績を数多く積み上げていきます。

マイアミ・ヒート移籍後もハイレベルのスタッツを維持しつづけ、数々の記録を打ち立てます。なかでも2シーズン連続でのシーズンMVPとファイナルMVP同時受賞は、マイケル・ジョーダンに次ぐNBA史上2人目の快挙となりました。また、シーズンMVP、ファイナルMVP、NBA優勝、オリンピック金メダルを全て同じ年に獲得した選手も、マイケル・ジョーダンとレブロン・ジェームズの2人だけとなっています。

1-2. 真面目な勉強家、オールラウンドなプレースタイル

ルーキー時代はポジションガードとして起用されますが、現在のメインポジションはスモールフォワード。しかし、チームで必要な役割が生じると自ら買って出たり、殿堂入りを果たした元プロ選手から真摯に教えを乞うたりするなど、常に勉強を続けながらさまざまなプレースタイルを吸収しています。実質的なオールラウンダーです。長身の選手ながら、得点力やパス回しの能力のみならず、ポイントからセンターまで幅広くガードできる守備力をもった選手でもあります。これはレブロンの絶対的なゲーム支配力へと繋がっていき、右に出るもののいない圧倒的な存在へと押し上げられました。

背番号はNBA史上最強の名選手であり、レブロン自身の憧れでもあるマイケル・ジョーダンと同じ「23番」。永久欠番によりその番号を纏えない時期もありましたが、デビュー以来歴代の数多の記録を塗り替えてきた彼に、最もふさわしい番号といえるでしょう。

1-3. 高額な年棒、SNSでの人気、熱心な社会的取り組みも話題に

2014年6月に経済誌フォーブスが発表した世界のアスリート年収によると、彼の年収は世界のアスリートで3位、プロバスケットボール選手では1位となりました。その年収には高額の年棒も含まれていますが、大半はテレビやCMへの出演で得た副業収入となっています。

SNSも熱心に更新しており、ネットの世界でも大きな人気を集めています。彼のインスタグラムのフォロワー数は、2018年12月時点で4,500万人を突破しています。

また、彼は既婚者であり、3人の子供を持つ父親でもあります。レブロン・ジェームズ・ファミリー財団を立ち上げ、チャリティー活動にも熱心に取り組み、生まれ故郷であるオハイオ州アクロンに、『I Promise School』という授業料無料の学校を設立。この学校を卒業後アクロン大学へ進学すると、大学の授業料までもが保障されるシステムとなっています。子供のみならず、親に対しても高卒同等の資格取得の支援や仕事の斡旋などを行っており、大きな話題となりました。

2. レブロン・ジェームスの移籍の歴史

レブロン・ジェームズは移籍を繰り返すことでも有名な選手。これまで計3回の移籍をしています。

2-1. クリーブランド・キャバリアーズ

NBAドラフトにおいて全体1位指名でレブロン・ジェームズを獲得したクリーブランド・キャバリアーズでは、2003年のデビュー後2010年までの7年間プレイしました。当初は勝負強さが足りないと評されてきたものの、やがてチームを勝利に導く選手として大きく成長を遂げます。2006-07シーズンでは、自身およびチームの史上初となるNBAファイナルへ進出を果たしました。また2008-09シーズンでは、チームをカンファレンス1位へ導き、自らもシーズンMVPを獲得しました。

2-2. マイアミ・ヒート

その後フリーエージェントとなり、キャバリアーズやシカゴ・ブルズとの契約交渉も行っていましたが、マイアミ・ヒートと契約し、移籍。新天地での1年目となる2010-11シーズンから新たなエースとして存在感を見せます。オールNBAファーストチームにも選出され、プレーオフでも活躍しました。

しかしプレーオフファイナルで得点成績を大幅に落とし、大きなバッシングにさらされることとなります。オフシーズンに元プロバスケットボール選手のアキーム・オラジュワンよりポストムーブを学び、ゲームでの支配力を大幅に強化。翌シーズンでは通算3回目のシーズンMVPを獲得するなど、トップ選手に返り咲き、2012-13シーズンには悲願の優勝を果たしました。

2-3. 古巣キャバリアーズに復帰

ヒートからフリーエージェントとなった後、古巣クリーブランド・キャバリアーズに復帰します。

復帰後、史上最年少で通算25000得点を達成。2016年のオールスター戦では、歴代トップのオールスター通算得点を記録しました。また2016年のNBAファイナルにおいてはキャバリアーズ史上初の優勝を果たし、故郷に錦を飾りました。

このNBAファイナルにおいてレブロンは、得点・リバウンド・アシスト・スティール・ブロックでトップの成績を納め、NBAファイナル史上初の快挙を獲得。キャバリアーズと再契約し、2017年に史上最年少の通算29000得点、2018年にも史上最年少の通算30000得点を達成しました。

2-4. ロサンゼルス・レイカーズへ

再び所属した古巣でも華々しい活躍をみせた彼ですが、キャバリアーズとの契約3年目において選手側から契約を破棄できるオプション契約となっていたことから、2018年6月、レブロンは契約破棄を選択。フリーエージェントとなり、7月からは新たにロサンゼルス・レイカーズとの4年契約を結びました。

3. 物議を醸すレブロン・ジェームスの発言

社会貢献にも熱心に取り組み、数々の名言で知られるレブロン・ジェームズ。しかし、物議を醸す発言や行動でも話題を呼んでいます。

例えば、ヒート移籍前のキャバリアーズ所属時代において、オーランド・マジックとのカンファレンス決勝戦で2勝4敗を喫し勝利を逃した際、相手の健闘を称えることなく無言のままコートを後にし、試合後の記者会見までも放棄。「負けた後に誰かを祝福するなんて難しい。俺は勝者だ」という発言を残し、批判を呼びました。

2010年のヒートへの移籍時には「The Decision」と銘打ったESPNでの1時間枠の生中継にて移籍の発表を行ったことが問題視されます。かつ、マイアミ・ヒートに3人のスター選手が集中すること(スリーキングス)、これにより1度もファイナル制覇をしていないレブロン・ジェームズがおこぼれに与るような楽な方法でファイナルの栄誉を得ようとしていると見られ、総スカンを食らう状態となりました。

レブロンを「裏切り者」と判断したキャバリアーズファンは、彼のジャージを燃やしたり、レブロンの看板に石を投げつけたりと騒ぎを起こし、その怒りは尋常ではありませんでした。

古巣キャバリアーズ復帰後の2016年、チーム悲願の優勝を果たした際に優勝パレードにて「生涯キャバリアーズ」を宣言しますが、わずか2年でロサンゼルス・レイカーズに移籍してしまったことも大きな騒ぎとなりました。

4. レブロン・ジェームスが移籍を繰り返す理由

これまで多くの移籍を繰り返すのにはその時々で違った理由がありましたが、その目標、芯にあるものは、常に同じ場所にありました。

古巣キャバリアーズを去りマイアミ・ヒートへの移籍を行ったことについて、2014年の『Sports Illustrated』にて、「クリーブランドを去った時、僕は使命を負っていた」「優勝することを目標としており、2度優勝した」と語っています。レブロンにとってこの移籍は文字通り優勝を果たすための移籍であり、感情よりも、自らのバスケットボールキャリアを見据えた判断であったことが伺えます。

一方でヒートを去って再び古巣キャバリアーズに戻った際には、キャリア的判断ではなく感情的な判断が大きな割合を占めていました。同じく『Sports Illustrated』にて、「オハイオにトロフィーを持ち帰ることが最も大事だ」と語っており、また自身の息子や娘を地元で育てることや、財団を通して支援している子供たちに対する思いも綴っています。

マイアミでプレイするよりも地元でプレイする方がより大きな意味を持つ、という旨も語っており、マイアミ・ヒートにて2度の優勝を経験したことや、子供の成長を経るにつれて、より一層地元への思いが強くなったことが見てとれる語り口となっています。実際にヒート時代に優勝を果たした際、「これがクリーブランドだったら、どれほど素晴らしいことか」と語っていました。そしてその望み通り、キャバリアーズは悲願の優勝を果たします。

そして2018年、新たなチームであるロサンゼルス・レイカーズへの移籍の際は『UNINTERRUPTED』に投稿したビデオメッセージにて、自分は挑戦が好きであるということ、歴史と伝統のあるチームのふさわしい姿を取り戻したい旨の発言をしています。

実際にレイカーズは2013年を最後にプレーオフに進出できていません。環境も大きく異なり、若い選手を上に引っ張りあげることも視野に入れ、チャレンジをしたいという思いが現れています。レブロンは再び優勝を意識して移籍を決断したとみられます。

しかし米紙「USA TODAY」によれば、ロサンゼルスへの移籍は家庭環境を意識したことも理由のひとつとして挙げられるそうで、実際に一家はロサンゼルスに2軒の家を所有しており、ロサンゼルスに住めることを大変喜んでいるとしています。

まとめ

常にNBAファイナル制覇という高い目標にフォーカスを当て、移籍を繰り返し、チームの役割に応じ自身の能力を高めながらオールラウンドに活躍するレブロン・ジェームズ。

彼のキャリアは新たなフェーズに入りました。NBA屈指の実力を誇る名選手が果たしてこれからどこまで進化し、またどのようなキャリアを築いていくのか。それはこれからも世界中の注目の的となりそうです。

出典:https://www.si.com/nba/2014/07/11/lebron-james-cleveland-cavaliers

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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