オアシス:小さなライブハウスから25万人の巨大ライブまで

ビートルズの再来などと言われたオアシス。1990年代に登場したロックバンドの中でも数々の記録を残してきました。今となっては、伝説的なバンドとして語り継がれています。そんな彼らにも苦しい下積み時代がありましたが、デビューしてから約3年で25万人を集めるライブを行います。スーパーソニックのような速さでロックスターの仲間入りを果たしたオアシスについて見ていきましょう。

オアシスは1990年代に登場した、イギリスのロック史に残るバンドだということは間違い無いでしょう。リアムとノエルのギャラガー兄弟を中心として活躍しました。そんなオアシスもライブハウスの下にある小さなスタジオから出発し、下積み時代を経験しています。

下流階級出身のバンド

※画像はイメージです。

オアシスの始まりは、リアムが音楽に目覚めた時から始まります。リアムは16歳まで音楽に全くの無関心でした。暴力や盗みなどを繰り返す問題児であり、他校からも憎まれていたと言います。

そんなある日、事件が起こります。他校の生徒が復讐としてリアムを襲い、金槌で頭をぶん殴ったのです。血だらけになりましたが、この瞬間に音楽への興味を持ったといいます。ここからリアムはギターのボーンヘッド、ベースのギクシー、ドラムのトニーを集めて「レイン」というバンドを組みます。

一方ノエルはリアムよりも5つ上の兄だったこともあり、仕事をしていました。その仕事がバンドスタッフであるローディだったのです。しかし不真面目で、かつ生意気だったノエルは仕事をやめてしまいます。

※画像はイメージです。

リアムがライブをやるということを聞きつけ、ノエルは1人ボードウォークというライブハウスに侵入します。そこでリアム率いるレインのライブを目にしました。

ノエルは正直に「すげぇと思った」と語っています。この時、すでにオリジナル曲を演奏していたようです。もちろんノエルが作っていたわけではないため、完成度は低かったといいます。ただ、弟が音楽で人々の前に立っていたことがかっこよく思えたのでしょう。

この2週間後、練習に誘われたノエルはバンドに加入します。伝説的なバンド誕生の瞬間です。

ちなみに「レイン」というバンド名はノエルがダサいと言い、目の前にあったポスターで見た「オアシス」という名前に注目しました。当時街中には「〇〇オアシス」や「オアシス〇〇」という名前が溢れていたのです。ここからロックのはみ出し者の「砂漠のオアシス」という意味でバンド名を「オアシス」に改名しました。

苦しい下積み時代

結成から2年間は鳴かず飛ばずで、苦しい下積み時代が続きます。ドラムのトニーは子供もいたため、売れることにかけている部分があったとか。

この苦しい時期に誕生したオアシスを変えた1曲があります。それが「Live Forever」です。

この名曲が下積みの苦しい時代に誕生していたのには驚きですね。これを聴いたボーンヘッドは「お前が作ったんじゃ無いだろ。良すぎるんだよ。」と口にしたそう。

「Live Forever」が完成したとはいえ、もっと良い楽曲がなければ売れません。そんな時、スタジオを共有していたガールズバンドの誘いがあり、オアシスは大きな一歩を踏み出すことになります。

オアシスは彼女たちの出演時間を少しだけもらい、ライブに出演したのです。実は、そこにはクリエイション・レコーズの創立者アラン・マッギーが見に来ていました。アラン・マッギーは2曲目を聴いた時点で契約することを決めたそうです。

そして1枚目のシングル「Supersonic」を発表。

「Supersonic」はみんなでリフを広げていき、短時間でノエルが書き上げた楽曲です。ノエルのセンスは下積み時代から輝いていたのでしょう。ただ注目されるきっかけが来るのに2年かかっただけの話かもしれません。また、オアシスをロック界の頂点に押し上げたのは音楽だけでなく、マスコミに対する挑発的な発言です。

ノエルは「フィル・コリンズやスティングを潰す。俺らがチャートインしてな。」という言葉を残しています。またリアムは60年代のロックンローラーのようにホテルを破壊し、出禁になるような問題行動を度々起こしていました。

国外での初ライブでは船の中で乱闘騒ぎを起こします。「これぞパンクだ!」と言わんばかりの行動にさらに注目を集めます。船の件に関してはノエルもかなりキレたようです。その後のライブでも荒れる場面が度々あり、イメージはロックの悪ガキでした。

「ノエルの楽曲が良いからオアシスは売れた」という人もいますが、それだけでなくメンバーの挑発的な発言や破壊行動も人気獲得のポイントだったのでしょう。

アルバムを大ヒットさせる

良い意味でも悪い意味でも注目を浴び、人気を獲得し続けていったオアシスは、アルバム制作のチャンスを得ます。

しかし、なかなかうまくいくことではありませんでした。ライブバンドとして人気を集めていたオアシスだったからこそ、アルバムでその荒々しい音楽を表現できなかったのです。ミキサーを変えるなどの試行錯誤の末に発売されたのが、デビューアルバム「Definitely Maybe」でした。

デビューアルバムが史上最速で売れ、ビートルズ以来の快挙と言われました。オアシスが「ビートルズの再来」とも言われたのは、このことがあるからでしょう。デビューアルバムに収録された「Rock ‘N’ Roll Star」は聴き応えありの楽曲ですよ。

デビューアルバムを発表後に行われたのは、イギリスだけでなく日本やアメリカなどの国外でのライブ。オアシスは日本でのライブを最高に楽しみ、ライブも成功させましたが、アメリカでのライブは最悪なものでした。

普段からドラッグを常習していたリアムですが、コカインと間違えて飲んだのはクリスタル・メスという強烈なドラッグ。これは何日も寝ることができなくなってしまう最悪のドラッグです。狂ったメンバーは同時に違う楽曲を演奏したり、リアムがノエルに対して物を投げたりと最悪なものになります。

この瞬間からノエルは、オアシスのメンバーに対して憎悪を抱くようになります。そしてノエルは一回オアシスを脱退し、行方不明になりました。

数日後にノエルは戻ってきますが、この事件をきっかけに楽曲が生まれます。それが「Talk Tonight」です。

ノエルはオアシスのメンバーの中でも孤独を背負うような人物だったこともあり、その繊細さが現れた楽曲でもあります。かっこいいバラードです。

バンドの進化とロックの頂点へ

アメリカでのライブ以降、楽曲を量産します。その時に生まれたのが「Some Might Say」や「Wonderwall」でした。しかしこの時ノエルは、ドラムのトニーに対して「Some Might Sayなら演奏できるが、Wonderwallは無理だ」と考えていたのです。

トニーはもともとドラムの技術が高いわけではありませんでした。そのため、バンドサウンドの進化にはドラムの技術がしっかりとした人が必要だったのです。トニーは解雇される形でバンドを離れていき、後任にアラン・ホワイトが加入します。

※画像はイメージです。

その後のアルバム制作では、ノエルが全曲の作曲・編曲を行い、バンドを確実に支配していきます。バンドの支配はリアムとノエルの二極争いでしたが、このアルバムからノエルの支配が強まるのです。

そしてリアムは、ロックンロールはなんでもありという考えを履き違えていきます。ノエルがアルバム作成の仕事をしている最中にパブに入り浸り、スタジオで大騒ぎ。ノエルの大事なギターを傷つけます。何と言っても、ノエルが書いた曲に対して「どんな曲を書いても知るか。クソったれだ。」と発言したというのはひどい話です。

2枚目のアルバム「Morning Glory」では、ビートルズの持っていたイギリスの売上枚数記録を抜きます。(現在はオアシスも抜かれている)

そして、このアルバムを提げて4万人を動員するライブを開催。これはヨーロッパで最大の屋内ライブとしてギネスに認定されています。

その後、故郷マンチェスターのスタジアムで、2日間で8万人を動員するライブを成功させました。このライブと同じ月に、90年代のロックコンサートで史上最大級とも言われたライブがネブワースで開催されます。

このライブの動員数は25万人で、即日完売でした。何よりすごいのが、予約数がイギリスの人口の4%も申し込んでいたことです。その数は約260万人と言われています。この時、オアシスは最初にレーベルと契約してから3年も経っていません。

公営住宅に住んでいた貧しい母子家庭の兄弟が、ロックの歴史に名を刻んだ瞬間でもありました。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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