レフ・トルストイ : 理想主義者として生きるということ

(Public Domain /‘LNTolstoy’ by В.Г. Чертков. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

レフ・トルストイは19世紀ロシアの小説家です。ロシア史上最も偉大な作家の一人であるだけでなく、終生、農奴の解放や教育改革を訴え続けた類い稀な理想主義者でもありました。しかし、彼はその理想主義を貫くために妻と衝突し、家族を自身の理想の犠牲とするような決断を下しています。理想主義者として生きるということはどういうことなのでしょうか。トルストイの人生を参考に考えていきましょう。

◇ トルストイは教師? 反面教師?

トルストイは、プーシキンやドストエフスキーなどと並び評される、ロシア最大の文豪の一人。『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』といった不朽の名作を残しただけでなく、若い頃から農奴の解放や教育に携わり、自由と愛を説いた思想家でもあります。当時のロシアにおける影響力も絶大で、「トルストイは皇帝ニコライの地位を揺るがすほどの力がある」などと言われるほどでした。影響力はロシア国内に止まらず、インド独立の父マハトマ・ガンジーも、トルストイから無抵抗主義などの思想を学んでいます。小説家という枠組みを超えた偉人と言ってよいでしょう。
こうした並外れな功績と社会への貢献度ゆえに、しばしば「人生の教師」と呼ばれてきました。彼の人生を考えれば確かに頷ける表現です。しかしながら、どんな偉人も人間である以上、必ず欠点や問題点はあります。トルストイも、最晩年に至って家出をしています。理由は妻との喧嘩でした。
こう聞いて、皆さんはどのような印象を持つでしょうか。「何か深い理由があったのだ」と理解を示すでしょうか。それとも「愛を説きながら妻さえ大事にできない反面教師」と嘲笑うでしょうか。これから経緯を説明していきますが、彼の行動は理想主義者として生きるということがどういうことか、その光と陰を私たちに指し示すように思えます。では、早速見て行きましょう。

◇ 若い頃から理想主義者だったトルストイ

(Public Domain /‘Lev Nikolayevich Tolstoy 1848’ by Pavel Biryukov. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

レフ・トルストイは1828年、トルストイ家の四男として生まれました。父ニコライ、母マリヤともに名門貴族の出でしたが、母はトルストイが幼い頃に死去、父もトルストイが9歳の頃に急死してしまいます。それ以後、残された子供達は父方の叔母の世話を受けるなどして成人し、彼も大学受験を迎えます。しかし、結果は不合格。再受験でなんとか入学を許可されますが、在学中も成績は今ひとつでした。
その後、彼は大学中退を決断します。故郷の土地の相続を希望し、地主になることを計画していたのです。ちなみにこれは挫折というより、理想の実現のためだったようです。当時19歳ほどだったトルストイは「語学、法学の習得、習得する各分野に関する論文の執筆」などの学究的な目標まで、つらつらと日記に書き連ねていました。
これらは、とても一人の人間に成し遂げられるような目標ではありません。良く言えば崇高かもしれませんが、悪く言えば誇大妄想気味です。いくら立派なことを言っても、客観的に見れば単なる成績不振で大学を中退した若者でしかありません。ある程度人生経験のある方なら苦笑してしまうのではないでしょうか。

なんにせよ、桁違いな彼の計画の中には「農奴の解放」という大いなる社会貢献案も含まれていました。当時のロシアは、皇帝と一握りの特権階級の人間以外、ほとんどが農民という身分構成でした。もちろん権力は全て皇帝が握っています。中世の封建制ままと言ってもよい体制が維持されており、ヨーロッパの中では最も民主主義から遠い国の一つでした。農民たちは地主の所有物の一つである「農奴」であり、彼らは労働を強いられるだけでなく、租税も課せられ、さらに有事には真っ先に徴兵されるという実に劣悪な暮らしを強いられていました。国民のほとんどがまともな教育も受けられず、読み書きもろくに出来ない状態で、貧困と圧政にじっと耐えている。それが当時のロシアの現実だったのです。
トルストイは早速農民の生活を変えていこうと農業を学び、労働計画の改善案などを作り上げ、自らの土地で働く農民に働きかけます。しかし、残念なことにまったく上手くいきませんでした。懸命に農民に働きかけたのにもかかわらず、長く虐げられてきた猜疑深い農民たちは彼を信用できなかったのです。夢破れたトルストイは、賭け事に興じて借金を拵えたかと思えば、急に思い立って真面目に就職を考えるなど、当初の計画をすっかり忘れた無軌道な生活を送るようになります。
やはり、少なくともこの時点では苦笑されてしかるべきなのかもしれません。ここまででも彼がかなりの理想主義者であったことが伺えます。しかし、若き日のトルストイに、その理想に見合うような精神性と能力があったとは言い難いでしょう。アップダウンがあったとはいえ、「苦しむ民衆の力になりたい」という思い、そして燃え立つような彼の理想主義は終生消えることはなかったのです。そして、年月を経るにしたがって、その思いを実現出来るような人間へと徐々に成長していきます。

◇ 作家としての成功

トルストイの無軌道な生活は4年ほど続きました。その後兄に連れられて旅行したり、義勇兵として戦争に参加したりするなどの経験を経て、24歳の時『幼年時代』という作品で小説家デビューします。タイトル通り、彼の幼年時代をテーマとした自伝的な小説です。ここから小説家として旺盛に活動していくことになりますが、最大の関心事は別にありました。民衆の力となることです。一度破れた若年時代の夢が再燃したのでした。
作家としてひとまず社会的基盤を築けたことで、トルストイは勢いづきます。再び農奴の生活改善に着手するとともに、学校を設立。授業開始時間は決まっておらず、子供達が学びたいことを好きに学ぶことができるという型破りなスタイルの教育で好評を博しました。その後も彼は、順風満帆な生活を送ります。そして、後に家出の原因となる妻ソフィアと出会ったのもこの頃だったのです。

◇ 幸せで生産的な結婚生活

(Public Domain /‘Sofia Tolstaya with Sergej and Tatjana (1867)’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

34歳の時には故郷の地で、かねてより親交のあったベルス家の次女と出会います。彼女が、後に妻となるソフィア・ベルスです。トルストイは1ヶ月ほど悩んだ後、結婚を申し込み、めでたく申し出は受け入れらます。新婚生活の始まりでした。
すでに触れたように、のちに2人は仲違いするようになるのですが、もちろん最初から険悪だったわけではありません。トルストイは日記に「幸福すぎて仕事が手につかなくなりそうだ」という旨の書き込みもしています。ソフィアも彼の文章の校正を行うなど、甲斐甲斐しく夫に尽くします。その後15年間は、彼の最も生産的な時期となるのです。教育などの社会貢献に一層注力するほか、『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』といった人類史に残る名作が生まれたのもこの時期。名実ともに、若き日に描いた理想そのものと言って良い人間になりつつありました。
しかし、理想主義者は止まらないもの。「人間だから完璧にはなれない」と安易に自分を誤魔化すことは出来ません。トルストイもそうでした。ここまで社会に貢献しても、貧しく虐げられた民衆と自身の裕福な生活を見比べ、むしろ後ろめたさに苛まれるようになってしまったのです。そんな感情から、生活はどんどん質素なものになります。酒とタバコを止め、菜食主義者となり、自給自足の生活を理想とするようになります。ソフィアはそんなトルストイへの心配と家庭内のすれ違いから、徐々に精神のバランスを崩し始めます。
遂にトルストイは「一切の著作権を放棄する」とまで言いだします。ちなみに、この時期に八男四女、さらに九男が相次いで誕生していました。やがてソフィアは財政への不安などが爆発し、家を飛び出してしまいます。結局、家族のことを考えて著作権の半分は残されることとなりましたが、2人の関係が修復されることはありませんでした。
皆さんにはどちらが病的に見えるでしょうか。トルストイでしょうか、ソフィアでしょうか。いずれにせよ、2人の決別は目前に迫っていました。

◇ 家出

(Public Domain /‘Tolstoy and Chertkov’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

こうしたゴタゴタがあった時期、同じ理想を共にするチェルトコフという人物という知り合い、意気投合します。チェルトコフは、徐々にトルストイの原稿を管理する役割を担うなど、なくてはならない人物になっていきます。
しかし、ソフィアにとってこれは自分の仕事を奪われたということでした。衝突はありましたが、それでもソフィアが長年トルストイの仕事に協力してきた事実は変わりません。「夫は妻である私や子供を顧みずに財産を放棄しようとし、さらには夫をサポートする自分の役割まで奪おうとしている」。ソフィアからすればそう思えたのでしょう。夫にとって自分の存在とは一体何なのだろう。そのように考えてしまっても無理はありません。そんな不安から、ソフィアはトルストイの日記を盗み読みするようになります。そして、ついにトルストイも不満が爆発してしまうのです。
1910年秋のある日、午前2時過ぎにトルストイが何かの物音に目を覚ますと、自分の書斎に明かりが灯っているのが目に入ります。ソフィアが書斎をあさっていたのです。これがきっかけとなり、その日の午前5時、トルストイは家を出ます。これが有名なトルストイの家出です。そして、家を出て3日もしないうちに肺炎にかかり、11月20日の朝にあっけなく亡くなってしまいました。彼は臨終に際して、「妻を近づけるな」という言葉を残しています。

◇ 理想主義者として生きるということ

(Public Domain /‘L.Tolstoy and S.Tolstaya’ by Unknown author.. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

理想主義者トルストイは、若い頃から民衆の力になりたいと願ってきましたが、その思いは徐々に自身を責め、苛むようになりました。そして、妻ソフィアを始め、周囲の人間をも傷つける結果となってしまいます。理想を追求するとは、少しでも理想から外れたものを厳格に否定することを意味します。それは一種の潔癖症に近いと言って良いでしょう。彼はその潔癖症ゆえに、自身の少しの汚れさえ許せず、また妻をも許せませんでした。しかし、潔癖だったからこそ、並外れた理想主義者だったからこそ、ここまで偉大な人間に成長し、数々の事柄を成し遂げられたという面もあるのです。
このように見てみると、理想主義とはどこかしら狂気じみたところがあるようです。それは本人や周囲の人間に苦痛と犠牲を要求します。皆さんはトルストイをどう評価するでしょうか。他人を傷つけ、犠牲を払っても理想を追求する。それも完全に間違ったこととは言えません。無理な理想を描かず、家族を大事にし、平凡な日常に幸せを見出す。それも素晴らしいことです。どちらの生き方を選択すべきか、断言することは出来ません。
もし皆さんが理想のために何かを犠牲にしなければならないような立場に置かれたら、彼の行動を思い出してみてください。どうすべきか正解を示してくれるわけではありませんが、間違いなく参考になるはずです。
トルストイを教師と見るか反面教師と見るかは、皆さん自身が理想主義者として生きるかどうかという選択そのものと言えるのです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧