フランツ・カフカ : 父親と社会

(Public Domain /‘Kafka1906 cropped’ by Atelier Jacobi: Sigismund Jacobi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フランツ・カフカは19世紀の末、チェコに生まれた小説家です。シュールで非現実的な作風が特徴で、一義的で単純な解釈を阻むかのような作品群は、現代でも様々な解釈を生んでいます。そんな彼の作品の中で繰り返し現れるモチーフが「父親」と「社会」。この2つのモチーフを取り上げながら、彼の魅力に迫って行きましょう。

◇ カフカの作品は普遍的な人間心理を表現している

カフカと言えば、奇妙でシュールリアリスティックな作風で知られています。最も有名なのは『変身』という中編小説でしょう。行商人の主人公ザムザが、ある朝目覚めると巨大な甲虫に変身しています。真面目なザムザは「とにかく出勤しなければ」と身をよじって悪戦苦闘しますが、当然仕事どころではありません。家族もどう扱って良いか分からず、腫れ物に触るように接するしかない。実に奇妙な話です。最終的には甲虫になったザムは亡くなりますが、家族はザムザの世話から解放され、生活に希望を見出していくという悪夢的で皮肉な結末のお話です。
他にも、突然理由も告げられずに主人公が逮捕される『審判』、城に雇われた測量士の主人公が、なぜか城に入る許可を与えてもらえない『城』など、理性的に作品を解釈するタイプの読者にとっては首を捻ってしまうような、難解な作品を数多く残しています。彼の熱心な読者でさえ、意味は分からないというケースがほとんどなのです。読者にとって意味不明であるはずの作品が、ここまで世界中で愛される理由は何なのでしょうか。

その理由の一つは、カフカの作品が普遍的な人間心理を表現しているからでしょう。ただし、普遍的といっても、例えば対人関係の悩みのように誰しもが「うんうん、こういう葛藤は誰しも経験するよな」と単純に共感出来るようなものではありません。ここで言う普遍的な人間心理とは、通常の人間なら気付かず、心理学者のような研究者でなければ認識出来ないような、無意識的領域の心理なのです。こう言われても分かりづらいと思うので、これから具体例をあげながら説明していきますが、こうした特性ゆえに、彼の作品は「意味がわからないけれど何か惹きつけられる」という不思議な魅力を有しているのです。
作品で頻出するモチーフは「父親」と「社会」。記事ではこの2つのモチーフを取り上げながら、カフカの作風に迫っていきましょう。「父親」と「社会」は、多く人にとって普遍的な問題を孕んでいると同時に、彼自身にとっても非常に重要な意味を持っていました。これからこの2つのモチーフを含む『判決』という作品を取り上げます。まずはその下準備として彼の経歴を簡単に説明しましょう。

◇ 父親を恐れ、敬っていたカフカ

(Public Domain /‘Kafka-as-pupil’ by Unknown Author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フランツ・カフカは1883年、チェコ出身のユダヤ人、ヘルマン・カフカの息子として生を受けました。父親は14歳にして行商人となり、20歳の時には徴兵されて戦争に赴き、その後改めて行商人として身を立てたバイタリティ溢れる心身ともに強い人物です。
父親は、カフカをチェコ語の学校ではなく、当時の支配階層であったドイツ語の学校へ通わせました。一種の英才教育です。彼は父親の期待に応え、4年間優等生として素晴らしい成績を残しました。しかし、父親が期待をかけ過ぎたのか、あるいは彼が繊細過ぎたのか、成長するにつれ2人の仲は徐々に険悪になっていきます。10歳になったカフカは商業学校ではなくギムナジウム(中高一貫制の、進学目的の教育機関)に進学しますが、この頃から徐々に成績は落ち始めます。そして、2人の不和を決定的にしたのはカフカの進路の問題でした。ギムナジウム在学中、スピノザ、ニーチェ、ゲーテなどの文学・哲学の世界に惹かれるようになり、カフカは哲学者を志望するようになります。これに対して父親は露骨に反対。記録によると、カフカを「失業者志望」と嘲笑ったと言います。結局カフカは哲学の道を断念し、父親の希望であった法学を学ぶことになります。
このように、自分自身のやりたいことや夢を諦め、父親の意に沿うような人間になろうと努めたカフカ。一言で言えば、人生を支配されています。カフカは死の五年前に父親に向けて手紙を書いており、その中で父親は幼い自分にとって「最後の裁きをもたらす巨人のような存在」であり、「万物の尺度」ですらあったと告白しています。

◇ 『判決』

では、こうしたカフカと父親の関係性を頭に入れた上で、『判決』を取り上げます。この作品もまた奇妙なお話です。あらすじだけでは益々意味不明になってしまいますが、とにかく簡潔にまとめてみましたのでご紹介します。
主人公ゲオルクは、父親と2人で商売をやっています。母親はすでに亡くなっており、さらに父親が老境に差し掛かかっていることもあって、現在はゲオルクが中心的な経営者の立場です。商売はうまくいっており、ゲオルクはめでたく結婚。順調な人生を送っています。そんなある日、父親がゲオルクに怒りを爆発させます。ゲオルクが、父親である自分を暗い部屋に押し込め、放ったらかしていると言うのです。しばらく口論が続いた後、父親が「お前は悪魔のような人間だ。溺死を宣告する」とゲオルクに命じます。それを聞いたゲオルクは橋から身を投げ、自殺してしまいます。
あらすじを聞いていかがでしょうか?意味が分かったでしょうか?カフカの経歴をすでに紹介しているので、彼の父親に対する感情が反映されているのは何となくお分かりかと思いますが、ほとんどの方はただただ「?」と困惑したはずです。「なんてデタラメな話だ」と馬鹿馬鹿しく思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、人によっては全く受け付けない作品です。しかし、心理学的な観点からすれば、『判決』は決してデタラメで意味不明な作品ではないのです。

◇ 父親=社会権力という構造

解釈の仕方は様々ですが、ここではエディプスコンプレックスをベースに考えてみましょう。心理学に詳しくない方も、エディプスコンプレックスという名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか。心理学者フロイトが提唱した理論で、父親と子供、特に父親と息子の間に生じる心理的関係性のことを指します。
まず、息子には愛情対象である母親を独占したいという欲求があるとみなされます。一方、家父長制に基づく家庭では父親は強く、絶対的な立場にあります。そこで、息子は強い父親に憧れると同時に、母親を独占するために父親を排除しようと思います。これに対して、父親は息子に潜在的な恐怖を感じ、息子を去勢しようとする。これがエディプスコンプレックスです。
さらに、エディプスコンプレックスで重要なポイントは、この時の2人の関係性が息子の倫理観や権威に対する姿勢を形作るという点。エディプスコンプレックスが適切に克服されると、息子は父親に教育された倫理観を身につけ、同時に父親という権威を受け入れます。この心理的態度が、社会的権威への適応性にも反映されるのです。つまり、エディプスコンプレックスを克服できず、父親に対する恐怖や憎しみを持ち続けていると、社会権力(=絶対的な権威=幼少期の父親)を全く受け入れられなかったり、上司に意味もなく楯突いたりする人間になってしまうそうです。なお、この理論には批判も多く、必ずしもみられる心理というわけではないとされています。
カフカが大いに父親を恐れ敬っていたことは、すでに紹介した通りです。そして、彼の作品にはすでに紹介した『審判』のように、理由も分からないまま絶対的な国家権力によって罰せられるという作品が多数あります。彼の経歴と作品を見ると、社会権力への恐れは父親に対する恐れの投影と考えることができます。それが最も顕著に出ているのがこの『判決』なのです。

◇ 『判決』における父親と社会

では、『判決』の結末を思い出してみましょう。ゲオルクは父親から溺死を宣告され、その命令に従って自殺してしまいます。全くもって突飛な結末です。なぜ父親は裁判官のようにゲオルクに判決を言い渡すのでしょう?そしてなぜゲオルクは抵抗しない、出来ないのでしょうか?
これはもうお分かりかと思います。エディプスコンプレックスが原因です。『判決』とは、カフカ自身の内面世界、そしてエディプスコンプレックスという人間の普遍的心理を表現した作品なのです。ゲオルクは経営者という立場についている一方、父親は老いて弱っています。つまり、父と子のパワーバランスは完全に逆転しているにも関わらず、父親はゲオルクに対して相変わらず大きな発言力を持っています。これはカフカの中でそれほど父親の影が大きく、恐怖と尊敬の対象となっているため、現実のパワーバランスがどうなろうと関係ないということを意味しています。また、彼の内面では、父親への恐怖は同時に社会権力への恐怖を意味します。だからこそ、最後の場面で父親が急に法(=絶対的な社会権力)そのものに置き換わり、「判決」を下すのです。エディプスコンプレックスを克服出来ていない人間にとって、父親は神にも等しい絶対者。抵抗できるはずがありません。主人公はただ父親の「判決」に従う他ないのです。

◇ カフカ作品の魅力

カフカが人間の普遍的心理を表現しているとは、このような意味です。それは通常の人間が論理的に理解できるものではありません。この記事で上述のような解釈ができたのは、一重にフロイトという偉大な心理学者の理論を拝借したからに過ぎません。頭では理解できなくとも、作品の内容が普遍的心理を表していれば、感覚的に何か引っかかるもの。だからこそ彼の作品は意味不明にも関わらずポピュラーであり、不思議な魅力を放っているのです。カフカはある程度心理学や精神分析に通じていたようですが、どこまで理論を先行させて執筆していたのかは分かっていません。作品が決して理路整然とはしていない点を考えると、理論よりもむしろ感性を頼りに自分の内面を探っていった部分が大きいのかもしれません。普通の人では気づかないような心情の機微や、深い心理を感じ取る。まさしく作家としての才能ではないでしょうか。
さて、カフカ作品の魅力は伝わったでしょうか。皆さんが多少なりとも興味を持っていただけたのなら幸いです。彼の作品は短時間で読める短編作品も数多いので、暇つぶしにぜひ読んでみて下さい。ちょっとした暇つぶしのつもりが、ディープな心理の世界に引きずり込まれ、一気にカフカ中毒になるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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