ミヒャエル・エンデ : お金とファンタジー

ミヒャエル・エンデは1929年、ドイツに生まれたファンタジー作家です。代表作の『はてしない物語』は、『ネバーエンディングストリー』として映画化もされ、世界中でファンが絶えません。エンデの代表作の一つに『モモ』という物語があります。ファンタジーとしては珍しい、お金を主題とした作品。この作品の魅力に迫り、私たちとお金の関係について考えていきましょう。

◇ ファンタジーでお金を描く

皆さんはファンタジーと聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。剣や魔法、エルフ、ドワーフ、ドラゴン。「お金」を思い浮かべる方はそうそういないでしょう。
お金と言えば現実的で生々しく、ファンタジーとは対極の存在のように思えます。しかし、お金をテーマとした非常に有名なファンタジー作品が存在するのです。それは、ドイツ人作家ミヒャエル・エンデの名作児童文学、『モモ』。この作品の中では、お金は時間に置き換えられています。Time is moneyという諺もある通り、エンデは『モモ』の中でお金を時間に置き換えることで、お金に振り回されず自分自身として豊かに生きる方法を優しく示してくれているのです。これは、一見お金とはミスマッチに見えるファンタジーというジャンルだからこそ出来ることです。
また、『モモ』は、30以上の言語に翻訳されています。児童書であるため、子供の頃に読み親しんだことがある方も多いかと思います。改めて簡単にあらすじを紹介しましょう。

◇ 『モモ』はこんなお話

舞台はローマを思わせるようなどこかの町。ある日、モモと名乗る少女が現れます。モモは、一度も櫛を通したことのないようなもじゃもじゃ頭、サイズの合っていないツギハギだらけの服を着ており、さらに裸足で歩き回るため足はいつも真っ黒。住人たちが訪ねてみても素性は全く分かりませんが、とにかく住人たちはモモの面倒をみることにし、町はずれにある円形劇場に住むようになります。
そんなモモには「人の話を聞く」という特技がありました。特に気の利いたことを言うわけでもなく、ただじっと耳を傾けるだけですが、モモに話を聞いてもらうと皆自分を取り戻し、仲違いしていてもいつの間にか仲直りしてしまうのです。こうしてモモの住む円形劇場は、住人たちの憩いの場となります。
そんなある日、灰色の鞄を持ち、灰色の葉巻をくゆらせる、灰色の男たちが町にやってきます。彼らは住民たちに、時間の大切さを説きました。そして、自分たちの『時間貯蓄銀行』に時間を預ければ、利子を付けて返してくれるというのです。

すると、町の状況は一変します。モモと共に何でもない日常を楽しんでいた住人たちは、時間を無駄にしないことばかりを考えるようになり、余裕がなくなっていきます。誰もモモに会いに来てくれません。モモが訪ねてみても、皆悲しそうな顔で「時間がない」と言うばかり。
そんな中、モモは灰色の男たちが人間たちの時間を奪おうとする時間泥棒であることを知り、住人たちのために時間泥棒と戦うことになります。
これが『モモ』のストーリーです。

◇ お金の役割とエンデの問題意識

さて、『時間貯蓄銀行』という言葉が出てきている通り、エンデは『モモ』の中でお金と銀行の欺瞞性について論じています。
ちなみに、彼はファンタジー作家として作品を執筆する傍ら、経済学をかなり勉強しています。

お金とは元来、交換手段でした。人間は一人で衣食住を満たすことはできず、物々交換が必要です。しかし、物を持って歩くのは手間が掛かり、より利便性の高い交換手段が必要となります。そこで登場したのがお金です。私たちは、紙切れや硬貨に価値があると皆で信じることで、交換手段として用いているのです。またお金には、貯蓄できるという特性があります。それゆえに、お金を貯める者や金貸し、銀行といったものが現れ、利子という概念が生まれたのです。
エンデはこうしたお金の特性について問題意識を持っていました。銀行に貯蓄されたお金には利子が付きますが、では、貯蓄すればお金は無限に増え続けるのでしょうか?もちろんそんなことはありません。それでは錬金術ですし、何世代先か分かりませんが、いずれ必ず破綻します。それどころか、皆が貯蓄しようとすることでお金の流れは滞り、結局は一部の金持ちが富を独占するようになります。また、より悪いことに、人は自分の人生の時間をお金に換算し、お金に支配される生活を送るようになります。エンデは、こうした現代の状況を憂慮していました。『モモ』の中で皆が効率ばかり考えて神経質になるのは、お金に振り回される私たち現代人を表しているのです。それに対してモモはどうでしょうか。最初に紹介したように、モモの容姿はめちゃくちゃ。髪は荒れ放題で服装もデタラメ。神経質な効率化や洗練化とは程遠い容姿をしています。つまり、モモはあくせくとお金に駆り立てられず、自分の感覚でのんびり生きている存在なのです。だからこそ、そんなモモに話を聞いてもらうと皆我に帰り、自分を取り戻すのでした。

◇ 灰色の男たちの正体

皆さんも無駄を省くことや効率化ばかりを考えて、心の余裕をなくしていないでしょうか。「時間を無駄にしないように」ということばかり考えていると、どういうわけか逆に時間が飛ぶように過ぎ去ってしまう。そうした体験を一度はされているのではないでしょうか。そして、精神的に参ってしまい、動けなくなってしまう。忙しい現代社会に生きる私たちにとって、こうした状態は珍しいことではありません。一体何が私たちをそこまで駆り立てるのでしょう。何のために私たちはそこまであくせくと働くのでしょう。上司でしょうか、会社でしょうか。エンデの考えではお金です。
物語が進むにつれ、灰色の男たちの正体が徐々に明らかになっていきます。モモは、人間たちに時間を与える存在であるマイスター・ホラという人物に出会います。マイスター・ホラは、「時間というものは本当に自分自身のものである間だけ自分のもの」であり、自分の時間を失うと徐々に人間は灰色の男たちのようになってしまうと言います。あらゆるものに関心を失い、気分は憂鬱で心も空っぽ。喜怒哀楽はなく、虚ろな灰色の顔をしてせかせかと働くばかり。マイスター・ホラはこれを『致死的退屈症』と呼びます。灰色の男たちとは、お金に毒され自分の時間を失った私たち人間の成れの果てだったのです。

◇ 生きた時間を取り戻す

お金のために働いているという自覚は、もしかしたらしにくいかもしれません。しかし、効率的で無駄のない労働を要求してくる社会は、結局はお金の力でお金のために動いています。自覚があろうとなかろうと、いつの間にか私たちはお金に支配されているのです。
モモは灰色の男たちの真実を知ると同時に、マイスター・ホラから時間の花を見せてもらいます。時間の花は光の差し込む丸天井の下、時計の振り子に合わせて咲き誇っては消えていき、同じ花は一つとしてありません。マイスター・ホラは、この花の咲く場所がモモ自身の心の中であり、時間の花は人間一人一人の中に生み出され続けていることを教えます。本当に生きた時間、生きた瞬間を表現する、ファンタジーならではの実に美しいシーンです。
私たちは、時間の花のように美しい、本当に自分自身のために生きた時間を1日の間で一体どれだけ持てているでしょうか。家族とただぼんやりテレビを見る、お金にはならない趣味に没頭する、友人とのくだらないおしゃべりに興じる。こうした他愛の時間をどれだけ大切に出来ているでしょうか。
確かにお金は大事です。社会的信用を保ち、生活を成り立たせるために働くのも必要なこと。しかし、そうしたことに没頭すればするほど、逆にそれらは決して生きる目的そのものにはならないということを実感すると思います。そうした生活を送っても、どこにも行けません。結局はただ灰色の男を作り出すだけなのです。寸分を惜しんで働かなくてはならない現代ですが、どこかで生活を見直す必要があります。会社をやめるというような極端な行動に出る必要はありません。ただ、一日30分何もしない時間や、趣味にあてる時間を思い切って作ってみてはいかがでしょうか。最初は落ち着かないかもしれませんが、徐々に自分自身と感覚を取り戻すはずです。
そして、よろしければ『モモ』を読んでみてください。それとも「児童文学など読んでいる時間はない」と思われるでしょうか。鏡の中の自分の顔を見てみてください。生気のない灰色の顔をしていませんか?モモはそんなあなたの話をじっと聞いてくれるはず。本来は、あなたの中にも美しい時間の花が絶えず咲き誇っているはずです。さあ、モモと一緒に奪われた時間を取り戻しましょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧