ABBA:スウェーデンが生んだスーパースター

ABBAは、国や地域を越え半世紀以上にも渡って世界中から愛され続けているポップ・グループ。アルバム・セールスの数字は途中レーベルの倒産などがあったため正確ではありませんが、全世界で数億枚とも言われています。そんな世界的スーパースターABBAの魅力をご紹介します。

ABBA誕生

ABBAは、ボーカルのアグネッタ・フォルツコグとギターのビョルン・ウルヴァースのユニットをベースに、1972年ストックホルムで結成されたポップ・グループです。
10代の頃からスウェーデンではトップシンガーであったアグネッタ。ビョルンと出会い、1971年に結婚します。
もうひとりのボーカル、アンニ・フリッド・リングスタッドは、自身のバンドで出場したコンテストで優勝、シングル・レコードを発売し当時のスウェーデンの興行収入記録を更新します。この時にレコード制作を担当したのが、後にABBAのキーボード奏者となるベニー・アンダーソンでした。
その後、1970年にビョルンとベニーで出したアルバム「Lycka」がスマッシュヒットし、翌年、ABBAが結成されることになったのです。
1974年、世界的な音楽コンテストであるユーロビジョン・ソング・コンテストに4人はABBAとして出場。「Waterloo」にて見事グランプリを獲得します。
この時、すでに世界的な歌姫として知名度を誇っていたオリビア・ニュートン・ジョンもエントリーしていましたが、決勝ではABBAが選ばれていました。
シングルとしてリリースされた「Waterloo」はヨーロッパで大ヒットを記録し、ABBAの名はヨーロッパを中心に広く知られるようになります。

ABBAのグループ名は、4人の名前を冠したものです。当初、正式にはもともとビョルン、ベニー、アグネッタ&アンニ・フリッドというグループ名でしたが、長過ぎることなどを理由に頭文字を取ってABBAになったと言われています。

成功から挫折、そしてトップへ

現在、ABBAがリリースした8枚のスタジオ・アルバムはどれも高い売上を記録しています。しかし、初期のアルバムが発売された当時は商業的な成功を収めたとは言えない状態でした。
「Waterloo」の大ヒットこそありましたが、以降それを超えるヒット・シングルが生まれなかったのです。そんなABBAの転機になったのが、オーストラリアでの大ブレイクでした。
オーストラリアのテレビの音楽番組でABBAを取り上げたところ人気に火が付き、一時は国中のレコード店からABBAのアルバムが売り切れてしまうほどの社会現象を起こしました。
この熱狂的な人気はやがてヨーロッパにも伝わり、次第に人気に火が付き始めます。
そして、1976年にリリースされた「Arrival」からのシングルカット「Dancing Queen」がアメリカ、イギリスともにヒットチャートの1位を獲得する大ヒットを記録し、世界的なポップ・アーティストの仲間入りを果たすのです。

黄金時代から活動休止へ

世界的な知名度を手に入れたABBAは、その後、「Take a Chance on Me」「The Name of the Game」「Voulez-Vous」「Chiquitita」「Money Money Money」などヒット曲を連発します。
ところが、世界的な成功を収める一方で、メンバーの私生活はうまく行きませんでした。2組の元夫婦という特殊な形体のグループが長続きするはずもなく、1983年にABBAは活動を停止してしまいます。

リバイバルヒット

解散から9年後の1992年、ABBA結成20周年を記念してベスト・アルバム「ABBAゴールド」がリリースされます。
このアルバムは、過去のアルバムから選曲されたベスト盤であるにもかかわらず世界的に大ヒット。
イギリスでは16週にわたってトップに君臨し、アメリカでも104週連続でチャートにとどまり続けました。2018年時点で3000万枚以上の売上を記録するロング・セラー・アルバムとなったのです。

ABBAのおすすめアルバム

1973年から1981年の間にリリースされたABBAのスタジオ・アルバムは全部で8枚あり、4枚目の「Arrival」以降は全て全英で1位、全米でも30位以内にチャートインしています。
1枚目から3枚目までのアルバムも曲のポテンシャルは変わらず、どれを聴いてもABBAらしさが感じられる良質な作品になっています。
2枚目の「Waterloo」には、ユーロビジョン・ソング・コンテストを制したタイトルナンバーの他にも、ポップミュージックの王道ABBAらしさの詰まった「Honey, Honey」や、アグネッタの優しい歌声と囁くようなセリフが印象的な「Hasta Manana」といった初期の名曲が収録されています。サード・アルバム「ABBA」には、初期の代表曲「Mamma Mia」や、ムーディーなサキソフォンの音色で始まるバラード「I do I do I do I do」が収録されており、基本的にハズレはありません。
あまりABBAに詳しくない、できることならABBAの魅力を手っ取り早く知りたいという方にはベスト・アルバムをおすすめします。
ベストアルバムは国ごとに違いがあり、スタジオテイクよりも多い枚数がリリースされていることもありますが、おすすめはワールドワイドに発売されている「ABBA GOLD-Greatest Hits」です。
このアルバムには最大のヒット曲「Dancing Queen」を始め、物悲しいリコーダーの音色で始まる「Fernando」、まるでミュージカルを見ているような錯覚さえ覚える「Thank you for the Music」、当時のディスコで毎晩のようにリクエストされていた「Voulez-Vous」、ラスト・アルバム「The Visitors」からの最後のシングルカット「One of Us」など、ABBAの8年間の軌跡が1枚に凝縮されています。

活動停止から現在のABBA

1982年のテレビ出演を最後に、翌年ABBAは解散してしまいます。解散の理由についてビョルンは「一緒に活動しなければならない経済的理由がなくなった」ことをあげています。
解散後、アグネッタはしばらくソロで活動していましたが、その後は公の場に出ることはあまりありませんでした。一方、ビョルンとベニーは共同でミュージカルを作曲。「Chess」と題されたこの作品はイギリスで3年にも及ぶロングランを達成し、同ミュージカルのコンセプト・アルバムは全英10位、全米47位のスマッシュヒットを記録します。
アンニ・フリッドはベニーと別れたあとドイツ人貴族と結婚し、プリンセスの称号を得たこともあり音楽業界で目立った活動はしていませんでした。
しかし、1998年にベニーの前の夫との間に生まれた長女を交通事故で、翌年には夫を病気で亡くしてしまうなど不幸に見舞われます。
その後、2004年にはディープ・パープルなどで活躍していたジョン・ロードのアルバムに参加するなどミュージシャンとして活動を再開し始めました。

また、活動停止したABBAとは対象的に、世界ではABBAに対する再評価の波が押し寄せました。「ABBA GOLD」の大ヒットを皮切りに、楽曲22曲で構成されたミュージカル「Mamma Mia!」は1999年にプリンス・エドワード・シアターで初公演を迎えた後、オーストラリア、中国、イスラエル、アルゼンチンなど世界40カ国以上で上演される大ヒットとなります。アメリカのブロードウェイでは2001年から上演がスタートし、計5773公演が行われました。これは、ブロードウェイ史上8番目に長いロングランとして記録されています。
このミュージカルは、2008年に映画版として同名で公開され、イギリスではタイタニックを抜いて史上最高のヒットを記録しました。
また、ABBA公認のトリビュートバンド、ザ・ショーによる「ABBA GOLD」はワールドワイドにツアーを行っており、こちらも各地で人気を博しています。
こういった世論に押されるように、ABBAも徐々に活動を再開し始めます。
映画「Mamma Mia!」のワールドプレミアでは4人によるサプライズコンサートが開かれ、全盛期と変わらぬ美しい歌声を披露しました。
時代を越えて愛され続けるABBAの歴史は、まだまだ終わりそうにありませんね。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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