コージー・パウエル:世界のミュージシャンが認めたスーパードラマー

コージー・パウエルは世界中の名だたるボーカリスト、ギタリストからその才能を買われ、彼らを成功に導いてきたスーパードラマーです。彼の歩いてきたキャリアは、ロックの歴史そのものと言っても過言ではありません。そんな生きる伝説、コージーの生涯を見ていきましょう。

ジェフ・ベックに見出された才能

コージー・パウエル、本名コリン・フルックスがドラムを始めたのは学校のオーケストラに参加したことがきっかけでした。15歳ごろにはすでにセミプロのポップ・バンドでドラムを叩くようになり、20歳ごろには業界でも名前の知られたセッション・ドラマーになっていました。
その若き天才ドラマーに目をつけたのが、当時ヤードバーズからレッド・ツェッペリンのプロデュースを担当していたピーター・グラント。
ピーターは、ヤードバーズの関係上ジェフ・ベック・グループのプロデュースも引き受けており、コージーをジェフ・ベックに紹介した人物とされています。
ちょうど新しいバンドメンバーを探していたジェフは、コージーのプレイを聴くなり即採用を決定。第二期ジェフ・ベック・グループのメンバーとして2枚のアルバムを残します。
「Rough and Ready」「Jeff Beck Group」の2枚はスマッシュヒットを記録し、順調に活動を続けていましたが、ジェフがかねてから念願にしていたティム・ボガード、カーマイン・アピスとのプロジェクトのために空中分解してしまいます。

ソロ活動から成功請負人へ

その後、試験的な試みから自身のバンド、コージー・パウエルズ・ハマーを結成。休止期間を設けつつも生涯活動を続ける一方、さまざまなミュージシャン達とセッションを重ねていきます。
まず訪ねたのは、1975年にディープ・パープルを脱退し、レインボーを結成したものの今ひとつサウンドに納得できていなかったリッチー・ブラックモア。
レインボーは、ボーカルのロニー・ジェイムスが在籍していたエルフというバンドにリッチーが参加する形でスタートします。デビュー・アルバム「Ritchie Blackmore’s Rainbow」は全米で30位とまずまずのヒットを記録しますが、リッチーはロニー以外のメンバーのスキルに納得していませんでした。
スタジオでは他のメンバーにスコアを渡し、それぞれのパートをどのように演奏するのか細かく注文を出し、手本まで示していたと言います。
結果、ロニーを除くメンバーはアルバムのリリースと同時に解雇、新たなメンバーを募集するためオーディションを行うことになりました。
ここでもコージーのプレイを聴いたリッチーは即決し、レインボーにはリッチー・ブラックモア、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエルといった、当時のハード・ロック界を代表する実力者が集ました。
1976年にリリースされたセカンド・アルバム「Rising」は商業的な成功こそ叶いませんでしたが、レインボーの名前を不動のものにし、ハード・ロックファンの間では名盤として受け継がれています。

ロック・ヒーローへ

ファンの評価は高いものの、中々アメリカでの成功に結びつかないレインボーは、従来のブリティッシュ・ロック路線からハード・ポップへと方向を変えていきます。結果として、より純粋なハード・ロックを追求したいコージーは「Down to Earth」を最後に脱退してしまいます。
その後、レインボー時代に仲の良かったグラハム・ボネットのソロアルバムを手伝った後、UFOを脱退したマイケル・シェンカーのプロジェクトに参加。
マイケル・シェンカー・グループとしてドラムを叩いた2枚のアルバムはどちらも評価が高く、「Assault Attack」では再びグラハムとの共演を聴くことができます。
その後、バンドとしてはホワイト・スネイク、エマーソン・レイク&パーマー、ブラック・サバスに参加し、セッションとしてはクイーンのブライアン・メイや元レッド・ツェッペリンのロバート・プラント、イングヴェイ・マルムスティーンなど数々のビッグネームとの共演を果たしています。

コージー・パウエルのドラム

レインボー時代まではアメリカのラディックを使用していましたが、それ以降は一貫してYAMAHAのドラムセットを使用しています。シンバルはスイスのメーカー、パイステのものを使用しており、自身を中心に左右対称にセットを組むことで知られています。
重く太い音が特徴ですが、バスドラムには26インチのツーバス、ビーターにはフェルトではなく木製のものを使用しています。
コージーのパワフルなサウンドは20mmという太さのスティックが影響していますが、これはレインボー時代からのものだとインタビューで答えています。
ライブのリハーサルの時に壁面いっぱいに積み上げられたリッチーのマーシャル・アンプを見て、これは相当パワフルな演奏が必要になると考えたのだそうです。
また、ハード・ロック、ヘヴィ・メタルのドラムはよりパワフルなサウンドが求められるため、左右とも順手でスティックを持つマッチド・グリップというスタイルを取ることが多いですが、ジャズ・ドラムもこなすコージーは左手でスプーンを持つように握るレギュラー・グリップを併用しています。

通常、レギュラー・グリップはマッチド・グリップに比べてパワーが落ちますが、コージーの場合、ほとんど違いがわからないほどヘヴィな音を響かせています。

コージー・パウエルのおすすめアルバム

数々のビッグネームとのセッションを経験しているコージーは、多くのアルバムを残しています。
まず、出世作となったジェフ・ベック・グループでの作品から「Jeff Beck Group」はいかがでしょう。
全米19位までランクアップしたこの作品には、BBAのライブでおなじみの「Going Down」や、コージーのデリケートなドラムワークが冴える「Definitely maybe」などベックの初期の名曲が堪能できます。
次に、ハード・ロック界にその名を刻んだリッチー、ロニーとのレインボー時代のアルバムから「Rising」をおすすめします。8分を超える大曲「Stargazer」は初期のレインボーの代表曲として人気が高いです。
また、リッチーの高速リフが印象的な「Kill the King」が収録されているサード・アルバム「Long Live Rock’ n Roll」も人気があります。

ハード・ロック・ミュージシャンとのセッションが多い中、キース・エマーソンとのプロジェクトで話題を呼んだバンド、エマーソン・レイク・パウエルもおすすめです。
このアルバムは全米23位を記録するスマッシュヒットとなり、プログレッシヴ・ロックとしてはまずまずの成功をおさめた作品となりました。
懐が広く、ジャンルにとらわれずオールマイティーにこなすコージーのスキルの高さを改めて思い知らされる名盤と言えるでしょう。
ブラック・サバス時代には4枚のスタジオ・アルバムに参加していますが、「Headless Cross」「Tyr」はロニー時代の様式美を意識して作られたアルバムで、レインボーを思わせる壮大な曲作りとサバスらしいおどろおどろしさがマッチした名盤となっています。
とくに「Tyr」はセールス的に成功したとは言えませんが、バラードからアップテンポのハード・ロックまでコージーのさまざまなドラミングを堪能できます。アルバムラストの「Heaven in Black」では、コージーのダイナミックなドラムソロからトニー・アイオミのおどろおどろしいリフが絡む名曲となっています。

遺作

コージー・パウエルは1998年、イギリスのブリストル郊外で自身が運転する自動車事故でこの世を去っています。アルコールを飲んだ状態で携帯電話を使用し、時速160km以上でハンドル操作を誤ったことが原因と言われています。
直前にはクイーンのブライアン・メイのソロ・プロジェクトに参加しており、アルバム「Another World」が完成した矢先のことでした。
結局、コージーの死後発売されたこのアルバムが遺作となってしまったのです。
彼はロック・ドラマーと同じくらいレーサーに憧れていたと言われていおり、一時期はミュージシャンを休み、レーサーとしてのトレーニングをしていたこともあったようです。
しかし、50歳というあまりに早い天才ドラマーの終焉は、その後のロック界にとって大きな損失であったことは間違いありません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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