デヴィッド・ボウイ:イギリスが生んだマルチアーティスト

1950年代、イギリスのブリクストンでプラスチック製のサックスを吹いていた少年は、やがて音楽、絵画、役者、思想家とさまざまなジャンルで影響力を発揮するマルチアーティストとして活躍することになります。

少年時代

デヴィッド・ボウイが少年時代に興味を惹かれた音楽は、ジョン・コルトレーンやチャーリー・パーカーと言ったジャズ・ミュージシャンでした。14歳の誕生日に母親から買ってもらったプラスチック製のサックスで彼らの曲をコピーし、ミュージック・スクールに通うほどのめり込んでいきます。
1年後にはベースやギターも弾くようになり、最初のバンド、コンラッドではベースを担当することになります。
1964年にはデイヴィー・ジョーンズ&ザ・キング・ビーズ名義で最初のシングル・レコード「Liza Jane」をリリース。
この頃の彼は、本名のデヴィッド・ジョーンズ、もしくはデイヴィー・ジョーンズといった名前で活動しており、デヴィッド・ボウイの名前が定着するのは1966年に発売された「Do Anything You Say」からです。ちなみに、デヴィッド・ボウイのボウイは、19世紀のアメリカ開拓者であり、アラモ砦の戦いで亡くなったジェームス・ボウイと、彼の愛用していた大型のシース・ナイフ、通称ボウイ・ナイフが由来となっています。

下積み時代からブレイクへ

1967年にはデビュー・アルバムにあたる「David Bowie」をリリースしますが、商業的な成功を得ることはできませんでした。その後も短編映画に出演したり、パントマイムを習ったり試行錯誤を繰り返しますが、音楽シーンでの成功には結びつかなかったのです。
転機が訪れたのは2年後、1969年にリリースされたセカンド・アルバム「Space Oddity」のスマッシュ・ヒットです。
このアルバムは、当初シングルとして発売された「Space Oddity」のヒットを受けて制作されたもので、全英17位、全米でも16位に入るスマッシュ・ヒットを記録しました。

曲の背景にあるのは、同年公開されたスタンリー・キューブリック監督のスペース・オペラ「2001年宇宙の旅」で、当時世界中のメディアが注目していたアポロ11号の月面着陸直前のタイミングでリリースされたのです。
1970年代に入ると、当時流行の兆しが見えていたグラム・ロックに傾倒していきます。グラム・ロック・バンドの先駆けとして知られるモット・ザ・フープルが商業的に行き詰まり、解散の危機に陥った時には自身が書いた「All the Young Dudes」を提供し、解散を思い留まるように説得します。
この曲はイギリス・チャートの3位に入る大ヒットを記録し、解散を回避できたモット・ザ・フープルは大ブレイクへとつながっていきました。
その後、デヴィッド自身は1972年にリリースした「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」に登場する架空のロック・スター、ジギー・スターダストとしてワールド・ツアーを開始。このツアーは大きな話題を呼び、1年半にも及ぶツアーが終わる頃には、ジギー・スターダストというペルソナが完全に確立し、いつの間にかデヴィットが演じるジギーは、一人のアーティストとして認識されるまでになったのです。
しかし、ツアーの終了と共にジギーを封印。以降、公の場に登場することはなくなります。
その後もコンスタントにアルバムを出し、次々と新しい試みを実践していく彼は、イギリス、アメリカのチャートの常連として活躍します。そして、1983年にリリースされた「Let’s Dance」の世界的な大ヒットで、トップ・ミュージシャンの仲間入りを果たすことになるのです。

ミュージシャンと俳優

「Let’s Dance」のリリース前後から、俳優としての活動も活発になっていきます。それまでも単発的な映画出演はありましたが、本格的にスクリーンに登場するのは1976年に公開されたニコラス・ローグ監督の「The Man Who Fell to Earth」からです。この映画でデヴィッドは主演の宇宙人トーマスの役を演じ、サターンSF映画主演男優賞を受賞しています。
また、1983年に大島渚監督の「Merry Christmas, Mr. Lawrence」、トニー・スコット監督の「The Hunger」などでも重要な役を演じ、高い評価を受けています。

デヴィッド・ボウイのおすすめアルバム

まず、デヴィッドの音楽活動の転機ともなった「The Rise and Fall~」をおすすめします。これは、ヒット曲「Space Oddity」で使われたトム少佐という架空の人物の物語風の曲作りを、アルバム全体にあてはめた形で制作されています。
彼によって作られたジギーと言うペルソナは、アルバムだけでなく実際に大規模なワールド・ツアーにも出発します。
5年後に滅亡すると言われた地球にやってきたバイセクシャルの宇宙人、ジギー・スターダストの成功と凋落を描いたアルバムは、まるで良質なミュージカルのようにステージでも演じられました。
現在は、当時のライブの映像作品もリリースされているため、ぜひこちらもご覧ください。当時25歳のデヴィッドが、いかに卓越した才能の持ち主だったのかが映像を通して感じられるでしょう。

次におすすめしたいアルバムとして「Low」があげられます。これは、俗にベルリン三部作、イーノ三部作とも呼ばれる3枚のアルバムの1枚目にあたる作品で、ロキシー・ミュージックのキーボード奏者としても知られていたブライアン・イーノと共作されました。
当時、グラム・ロック・スターとして注目されていたデヴィッドは、その言動に対する世間の反響から大きなストレスを感じていました。その結果、アメリカではドラッグに溺れる毎日を送ることになり、全ての活動が思うように進まなかったと言います。
周囲の雑音をカットし、薬物依存から脱却するためベルリンに移り、イーノと新しい音楽を追求したのだと言われています。
2年にわたり3枚のアルバムがリリースされ、どれも高い評価を受けますが、中でも「Low」は全米11位、全英でも2位を記録するヒット作となっています。

そして、彼の最大のヒット作が「Let’s Dance」。1983年にリリースされたこのアルバムは、当時彼が俳優として出演した映画が何本か公開されていたこともあり、爆発的なヒットを記録。
このアルバムからは「Let’s Dance」、「China Girl」などのシングル・ヒットが生まれ、中でもタイトル・ナンバーである「Let’s Dance」はアメリカ、イギリスともにチャートの1位を獲得する大ヒットとなったのです。
「Let’s Dance」では、当時全くの無名だったスティーヴィー・レイ・ヴォーンをギターとして起用しており、彼のブレイクするきっかけを作ったとも言われています。

また、デヴィッド最後の作品となった「★」も忘れられません。「Black Star」と名付けられたこのアルバムは、2016年に突然リリースされました。
グラミー賞5部門を受賞し、初の全米No.1アルバムとなった作品です。収録曲「Lazarus」はデヴィッドがファンにあてた最後のメッセージと言われ、プロモーション・ビデオには病床で苦しむデヴィッドが最後に吸い込まれるようにタンスの中に消えていく意味深な演出がされています。

デヴィッド・ボウイが残したもの

デヴィッドはグラム・ロック、サイケ・ロック、ポップ・ロックとさまざまなジャンルの音楽で結果を残してきました。
デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、スパンダー・バレエ、ジャパンなど世界中のミュージシャンがデヴィッドから影響を受けたことを公言しているのです。
デヴィッドが演じた「ジギー・スターダスト」は新たに劇場映画として映像化され、2015年には初の主演映画「The Man Who Fell to Earth」が舞台作品としてリメイクされています。
時代の先端を突き進み、さまざまな要素を取り入れ昇華させた彼の作品は、何十年経っても色褪せることはありません。
遺作となった「★」がリリースされたのは、彼の死の2日前のことでした。自らの死すらもアルバムへのコンセプトに結びつけたデヴィッド・ボウイこそ、最高のアーティストと言えるのかも知れません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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