ロイ・リキテンスタイン ~コミックをアートに変えたアーティスト〜

ロイ・リキテンスタイン(1923-1997)は、アンディ・ウォーホルと並ぶアメリカン・ポップアートの先駆者。コミックをモチーフにしたメッセージ性が強い作品が特徴です。マスメディアのイメージをそのまま点描するという手法を使い、現代アートの文脈に乗せた先駆者として評価されました。主題とするモチーフも幅広く、ギリシャ神殿からピカソの静物画などありとあらゆる表現媒体をアート表現の要素としています。

【生い立ち】

ロイ・リキテンスタインは、1923年にユダヤ系両親のもとニューヨークで生まれました。幼少期からアートに興味を持ち、お金に困ることのない裕福な家庭で育ちます。自宅に当たり前のようにあったインテリアや嗜好品にも、早くから関心を抱くような少年でした。彼を語る上で欠かせないのは、世界恐慌(1929年)を体験したことと、1940年にオハイオ州立大学でファインアートを学ぶ途中で徴兵があり、第二次世界大戦に兵役したことでしょう。若くして様々な体験をしたことで、大衆とは何かということと同時に、群集心理についても学んでいます。兵役終了後は大学に復学し、卒業後もそのまま大学に残ります。そこでは、講師をしながらアート作品の制作を続けていました。1951年、ニューヨークのカールバックギャラリーで発表した初期の作品は抽象的な絵画が多かったリキテンスタイン。そこからどのように作風が変化していったのか、作品を通じて人生の変遷についても詳しく見ていきましょう。

【コミックとの運命的な出会い】

リキテンスタインは後に結婚し家庭を持ちますが、当時はまだ無名で絵だけでは生計を立てることはできず、大学の講師や設計図の仕事に就いていました。ある日、そんな彼に転機が訪れます。子どものためにミッキーマウスのコミックを描いていた際、今までのアートよりも遥かにたくさんの表現ができることに気付きます。いわば「コミック」というメディアは、あらゆる表現の中でも情報を詰め込むことに最も向いている媒体であり、これこそ自身が長年追い求めていた表現手法であることを認識した歴史的瞬間だったのです。

【レオ・キャステリとの出会い】

1961年、当時新進気鋭の現代アートのギャラリストとして台頭していたレオ・キャステリがリキテンスタインのアート作品を目にし、即決で新人アーティストとして売り出すことを決めます。翌62年、レオ・キャステリギャラリーで個展を行い大盛況となりました。しかし、当時写真ジャーナリズムの先頭を走っていた「ライフ」誌は、「アメリカのアート史上において最も酷いアーティストである」と長い批評文を掲載したのです。当のリキテンスタインはどんな意見を聞いても全く動じず、淡々と新たな作品を制作。批評されるということは「批評するだけの価値がある」ということであり、また雑誌に掲載されたことで知名度もさらに上昇していきました。

※レオ・キャステリギャラリー…ギャラリストのレオ・キャステリが、1957年に自宅のアパートメントでオープンさせたギャラリー。ジャスパー・ジョーンズなどの企画展からスタートし、海外のギャラリーとも積極的に協力しながら若手芸術家を紹介。そのあり方は、従来の閉鎖的なギャラリーのシステムに一石を投じた。

【ウォーホル作品との違い】

リキテンスタインのコミックを題材にするというアイデアは、当時ポップアートの頂上にいたアンディ・ウォーホルと類似していましたが、両者にははっきりと違いがありました。それは、余白の使い方。リキテンスタインの作品が全て点描で描かれたドット模様であるのに対し、ウォーホル作品には筆のタッチがあり、余白は白のまま。どちらも大衆的なものを題材としているものの、リキテンスタインの絵画はドットであるからこそ、ただコミックを拡大しただけの簡単な作品のように意図的に見せています。それを絵画という表現に落とし込むアイデアは誰も思い浮かばなかったのです。完成から数週間後、レオ・キャステリの元に立ち寄ったウォーホルは作品を目にした際、とても悔しがったそう。というのも、ウォーホル表現の中心に「繰り返し」と言うものがあったから。彼はこれを使って有名人をモチーフにし、反復することで大衆化させることに成功しています。一方、リキテンスタインはそれと反対に、大衆的なモノを反復させた絵画にすることで、絵画の二次元性について強く意識させているのです。リキテンスタイン作品における余白のあるドット模様は、全ての対象にコミックという表現を用いて大衆化させており、その1枚の作品自体が繰り返しの点描という手法で描かれています。誰が見ても印刷物を拡大した作品かのように見えますが、それこそが彼の個性であり、独自の文脈がアートの歴史に残る理由と言えるでしょう。

【とにかく分かりやすいコミックの手法を取り込んだ】

絵画は歴史的に、メディアとしての機能を持っていました。宗教画などは識字率の低い時代において、絵から理解を深めることができた教科書のような役割だったのです。作品を「読み解けるようにする」という前提が、絵画のルールでした。これは、現代アートの父とも呼ばれるマルセル・デュシャンにとっても同じです。デュシャンは網目的な絵画を否定し、「泉」などの用途を意図的に外すことによる作用やそのことを哲学する観念の芸術を生み出しましたが、これも読み解く芸術。そういった絵画やアートの前提となるルールそのものをひっくり返したのが、リキテンスタインなのです。彼の作風はコミックの要素を多く含み、人物の言葉の吹き出しなどがそのまま描かれています。

【傑作<モナ・リザ>と<泣く女>の凄み】

リキテンスタインは、作品をパロディ化するのも特徴です。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」をパロディ化させています。神秘的かつ謎めいていて、読み解きたくなるような従来のモナリザの姿は消え去り、彼は微笑む代わりに吹き出しをつけ、こんなユーモアなセリフを入れています。
「THEN I`LL JUST SIT HERE AND SMILE ! そして私はただここに座って笑顔になります!」
このセリフがあるからこそ、作品が大衆的なものとして成功しているのです。
また、彼の別の傑作に「泣く女」があります。代表作といっていいこの作品は、泣いている女性が拡大された絵画作品。元となったコミックの1コマを拡大させたもので、ストーリーから独立した作用をもたらし、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」のように謎めいた雰囲気を醸し出しています。
この2つの作品は対極でありながらも、彼の作品において傑作中の傑作と言えます。

【リキテンスタインはなにを描いたのか】

作品のコミック化だけでなく、そもそも作品の主体において大事にしていたものがいくつかあります。例えば、よく出てくる登場人物としてヒーローやミッキーマウス、典型的な金髪美女が挙げられます。また、戦争の体験から、戦闘シーンもよく使われています。血なまぐさいものを具象で描くことはしなかった代わりに、時にセリフや擬音語を使って強烈な描写をしています。作品たちがコミックという手法で描かれることで、鑑賞者は自然と作品そのものを受けとれるアート作品に昇華させられているのです。どこまでもポップかつコミカルでありながら、描かれているものはノンフィクション作品。このような強烈なメッセージが根底にあるのが彼の作品であり、評価され続けている普遍的な要因と言えるでしょう。

【おわりに】

ニューヨークで育ったリキテンスタイン。それが全てでなくとも、作品が生まれた背景には育った環境や触れた文化を切り離すことはできません。アートの文脈で言えば、1950年代から現代アートの中心地はパリからニューヨークへと完全に移行していきます。世界経済を引っ張り続けるアメリカという豊かな土壌で、60年代にアメリカンポップアートが生まれた背景には必然性があり、資本主義と大量生産というものに大きく影響されているはず。だからこそ、大衆的なものを主題とした新たなアートが生まれたのです。まわりを見渡せば同時代を生きたウォーホルがおり、同じポップアートの世界にいながらも、作品を通じて刺激し合う関係でした。
アート作品は、その作者のことを知ることで鑑賞の際により深みを持って対峙することができます。単なるコミックではない、紛れもないアートであることを理解すると、リキテンスタインの作品の見方がガラリと変わるはずです。
彼がポップアートの世界を前進させた歴史的なアーティストであることは間違いありません。
これを読んで少しでもリキテンスタインについて興味を持っていただけたら嬉しく思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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