ミウッチャ・プラダ:伝統と革命の融合

ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、イタリアのファッションデザイナー。祖父は『PRADA』創業者であるマリオ・プラダです。1993年と2004年にCFDAファッションアワードを受賞している他、業績が低迷していたPRADAを建て直した女性でもあります。

■プラダの誕生とミウッチャ・プラダ

※ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
※ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア内部にあるPRADA本店

1913年にミウッチャ・プラダの祖父にあたるマリオ・プラダとその弟であるマルティーノ・プラダのふたりによってミラノにあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアに創業されたのがプラダの前身にあたる『Fratelli Prada』(プラダ兄弟)という店舗です。

当時、プラダ兄弟が扱っていたのはクロコダイルや象といった比較的珍しいなめし革を使用したカバン類で、品質面はもちろんのこと、非常に豪華絢爛でありながらも洗練されている、エレガントな作りの製品を数多く取り揃えていました。

世界中から様々な素材や質の高い革を集めて作られたPRADAの製品は大きな評判を呼び、創業から6年後の1919年にはイタリア王室御用達となります。

すべてが順調に見えていたPRADAでしたが、大きな壁が立ちはだかります。世界大戦の勃発です。戦争中は嗜好品の需要が下がっていた為、プラダの製品はほとんど売れることがなくなってしまいます。

また、戦争の真っただ中でミラノの本店が爆撃に遭うという不運があり、2号店が閉店。辛い時代の趨勢(すうせい)が産み出した被害者となってしまいます。

1958年にマリオが死去すると、PRADAはその娘たちが後を引き継ぐことになりました。しかし、いい意味で言えば安定。悪い言い方をすれば発展がないままじわりじわりと経営状態は下降の一途をたどることとなります。

そんな中、ミラノ大学の博士号取得後に当時PRADAのデザイナー部門でデザインを担当しながらパントマイムなどの職を転々としていたミウッチャ・プラダは、母であるルイーザから社長職に就くように要請されます。そしてミウッチャ・プラダは1978年にPRADAの社長に就任することとなりました。

■ミウッチャとPRADAにとって大切な人物

ミウッチャ・プラダの変革の話をする前に、必ず触れておかなければならない人物が居ます。
それがミウッチャ・プラダの配偶者であるパトリッツィオ・ベルテッリです。

1977年に国際皮革見本市でPRADAのコピー品を販売していたブースがあることを知ったミウッチャ・プラダは、そのブースに抗議しに行きます。そのコピー品を販売していたのが何を隠そうパトリッツィオ・ベルテッリ。当時彼は2つの皮革工場を持つ経営者でした。

そしてミウッチャ・プラダからの抗議を聞き入れるどころか、彼女に対してビジネス上の提携を持ち出したパトリッツィオ・ベルテッリは、その言葉通りPRADAブランドのライセンス契約を世界中各所から獲得します。そして、いつしかふたりはビジネスパートナーの枠を超え、1987年に結婚することとなりました。

■ミウッチャ・プラダが踏み出した大きな一歩

社長に就任したミウッチャ・プラダがまず考えたのは『過去のPRADAからの脱却』でした。創業当初より革製品にこだわり、またプライドを持っていたPRADAにおいて、彼女が打ち出した新製品はミリタリー用品の工場で見つけた『ポコノ(POCONO)』と呼ばれる軽くて丈夫なナイロン製の素材でした。

彼女は、丈夫で撥水性がありながら手触りの良いポコノをカバンの素材として使うことを決断します。

※ポコノが使用されているバックパック

1984年にポコノを使ったバックパックを発表します。当時は未だに革製品が高く評価されている時代。そこにあまりにも突飛で革新的すぎたポコノ製品は、発表した当初こそあまりいい評価を得られませんでした。

それでも、伝統あるPRADAの品質の高さをそのままに、斬新さも織り交ぜたポコノは、ファッションモデルたちがスタイリッシュに愛用し始めたのをきっかけにブームの兆しを見せます。

彼女自身「出回っていたバッグはどれも古臭かった、私自身探し続けていたものがこのポコノだった」と話しているように、ラグジュアリーや高級感ではなく、普段遣いできる中でのオシャレを目指していました。そんな彼女の狙いは、コンセプトである「日常を贅沢に飾る」という言葉にも表れており、正にポコノはそれを体現した製品といえました。

ちなみに、ポコノのようなナイロン製の素材を使うというアイディア自体は、創業者であるマリオ自身も目をつけており、実際彼自身のカバンはナイロン製のものを愛用していました。ミウッチャ・プラダのセンスはやはりマリオ譲りなのかもしれません。

■『王室御用達』から「誰にでも愛されるブランド」へ

ポコノの成功で勢いに乗った彼女はその後、バッグのみにとどまらず1985年にシューズ、1988年にレディースウェアと、どんどんと新製品を打ち出すこととなります。

1993年にはミウッチャ・プラダの幼少期のあだ名をそのまま用いた新ブランドである『MIUMIU』を立ち上げます。

これまでのPRADAがターゲッティングしていた年齢層よりもより幅広い層を取り入れるために立ち上げられた『MIUMIU』は、これまで以上にカジュアルで、価格帯を抑えながらもしっかりとPRADAらしさを押し出したブランドとなりました。

また、1995年にはメンズウェアも発表。女性層のみならず男性層まで取り込むことに挑戦しました。

PRADAは創業当初の『王室御用達』という、高級感あふれるブランドイメージから、そのPRADAが持つ高級感はそのままに『誰にでも愛されるブランド』へと、見事変化を遂げたのです。

■ミウッチャ・プラダの目指したもの

ミウッチャ・プラダ自身、デザイナーとしての仕事はしていたものの、社会学の博士号を持っていることからわかるように完全なるデザイナー畑の人間ではありませんでした。

そんなミウッチャ・プラダが目指した、そして今も目指し続けているのはトレンドを追い求めることではなく、いつの時代でも愛される確立されたファッションづくりです。

そんなアイデンティティを持つ彼女は、今後も『時代の最先端』ではなく『一歩先を行き、かつそのままトップとしてとどまり続ける』そんなデザインを産み出し続けてくれることでしょう。

PRADA公式YouTubeチャンネル
MIUMIU公式YouTubeチャンネル

出典: VOGUE

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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