オノ・ヨーコ:その半生と彼女が追い求めてきたもの

オノ・ヨーコはジョン・レノンの妻として、あまりにも有名な人物です。
ビートルズの解散はオノ・ヨーコが原因と言われており、当時は「ビートルズからジョン・レノンを奪いビートルズを解散させた東洋の女」としてマスコミに騒がれ、世界中のファンから非難されました。
後年ポール・マッカートニーは「解散は彼女のせいではない」と否定しました。では彼女はジョン・レノンにどのような影響を与えたのでしょうか。
そして彼女が人生を通して追い求めているものとは何なのでしょう。
彼女の生い立ちから探ってみましょう。

1)オノ・ヨーコの略歴

オノ・ヨーコは日本の裕福な財閥系の家庭に生まれました。
父方の祖父は銀行の総裁を務め、母方は4大財閥である安田財閥の直系です。叔父や叔母には彫刻家、音楽家、画家などの芸術家が名を連ねています。
そんな華麗なる一族の出身であるオノ・ヨーコは、父親の仕事の関係で幼少期からアメリカと日本を行き来する環境にありました。
20歳の時にニューヨークに移り住み、本格的に音楽と詩を勉強し、前衛芸術家として活動を始めました。

2)前衛芸術家として

オノ・ヨーコの代表作に、観客が彼女の衣装をハサミで切っていく「カット・ピース」(Cut Piece)というパフォーマンスや、観客が床に置かれたキャンパスを踏みつけることで作品が完成する「踏まれるための絵画」(Painting To Be Stepped On)などがあります。現在では有名ですが、当時の日本では前衛芸術は浸透しておらず、評価は低く、批判もあったそうです。

アメリカでは有名なホールでパフォーマンスを行うなど成功しましたが、日本での活動は苦難に満ちたもので、精神的にも辛い日々を送っていたようです。

3)オノ・ヨーコと3人の夫、その子供達

オノ・ヨーコにはジョン・レノンを含めて3人の夫がいます。

一人目は一柳慧(いちやなぎ とし)。
彼はピアニストであるとともに作曲家であり、若い頃から天才と言われる人物でした。一柳はアメリカの音楽院で学んでいた際にオノ・ヨーコと出会い、結婚します。
彼は1985年フランス芸術文化勲章、2018年日本文化勲章をはじめ様々な芸術賞を受賞しています。

二人目はアンソニー・コックス。
彼はジャズミュージシャンであり、映像作家です。
ヨーコは前衛芸術が日本で理解されず苦しかった時期に彼と出会い、とても励まされたようです。
彼との間にはキョーコ・チャン・コックスという娘がいます。
ジョン・レノンと結婚し一時は疎遠になっていましたが、彼らはキョーコに娘が生まれたことをきっかけに再び連絡を取り合うようになったようです。

(Public Domain /‘John Lennon 1969’by Joost Evers / Anefo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そして三人目がジョン・レノン。
ビートルズのボーカルとして有名な彼は、あまりにも早い死によって伝説の人物となっています。
オノ・ヨーコがロンドンで開いた個展に、ジョンが訪れ運命の出会いを果たしました。

※イメージ画です。

その時ヨーコは、天井に小さく「YES」と書いた文字を脚立に上り虫眼鏡で見るという作品を展示していました。
その作品にジョンが感銘を受け、やがて二人は惹かれあいました。
後日、ジョンは

「もし”No”とか『インチキ』みたいな意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。でも”YES”だったから僕は『これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」

引用:オノ・ヨーコ – Wikipedia 2021年3月3日閲覧

と語っています。

二人の間には、ショーン・タロー・オノ・レインという息子がいます。

4)運命を変えたジョン・レノンとの出会い

(Public Domain /‘John Lennon en echtgenote Yoko Ono vertrekken van Schiphol naar Wenen in de vert, Bestanddeelnr’by Joost Evers / Anefo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1969年、オノ・ヨーコはジョン・レノンと結婚しました。
当時彼は世界的なスーパースターでしたが、自身の人生を模索していました。そんな時にオノ・ヨーコのアートに触れ、ミュージシャンとしてだけでなく、アーティストとしても活動するようになりました。

ヨーコはロンドンやニューヨークで個展やパフォーマンスをするアーティストでしたが、世界的な有名人であるジョンとの結婚で、彼女の運命は大きく変わります。
彼女はジョンのレコーディングなどに同行するようになり、2人でのアート活動も増えていきました。当然賛否両論があり、ビートルズファンからバッシングを浴びたようです。

当時アメリカはベトナムと戦争をしており世界は混乱状態にありました。そんな時代において、彼らのアーティスティックな平和活動は大変話題になると、同時に問題にもなりました。

(Public Domain /‘John Lennon and Yoko Ono laying in bed during their Bed-Ins for Peace in Amsterdam.’by Eric Koch / Anefo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

「戦争するよりも、愛し合おう」というメッセージを込めた「ベッド・イン」は、ふたりがベッドで寄り添って記者会見をするという前代未聞のものでした。

また「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」(戦争は終わる!あなたが望めば)というキャッチコピーのポスターや看板を世界中に貼り出すという平和キャンペーンも行いました。

当時はそのセンセーショナルな手法から笑い者にもなった彼らの活動は、現在では世界中から賞賛されています。

5)オノ・ヨーコの名言

波乱万丈なその人生において、オノ・ヨーコは沢山の言葉を残しました。いくつかご紹介します。

You are an unfinishied artwork.
あなたは、未完成の芸術作品よ。

Follow your heart, and you will know what to do.
心の声に従うと、本当に自分のやるべきことがわかるわよ。

Keep yourself focused on the positive things you are doing.
あなたがやっているポジティブなことに集中することよ。

There is nothing higher than loving. And loving must start with loving yourself.
愛より高尚なものはありません。そして自分自身を愛することから始まります。


引用:Twitter:Yoko Ono

これらはほんの一部ですが、彼女の人生観が現れている言葉です。
この言葉にジョン・レノンも救われていたのかもしれませんね…

6)経営者としてのオノ・ヨーコ

オノ・ヨーコは経営者としての能力もあり、商才に長けていると言われています。ジョンの死後は彼の版権を管理し、ビジネスで手腕を発揮し資産を増やしています。

ジョン・レノンがあまりにも有名すぎるために添え物として扱われることが多かった彼女ですが、実際には彼女のアート活動や音楽活動も評価に値するものであり、ジョンと結婚せずとも資産は十分に作れただろうと思われます。

その奔放とも見える言動から常に批判の的とされてきたオノ・ヨーコですが、常に前向きで、自身の言葉と表現でメッセージを発し続けてきたとてもクレバーな女性であることが伺えます。

7)現在のオノ・ヨーコ

近年、ヨーコの実弟が認知症を発症していると発表しました。最近では車椅子での移動が報道されていますが、リバプールや日本で展覧会をするなどアート活動を続けています。

1982年グラミー賞にてアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2001年ニューヨーク最優秀美術館展賞、2009年にはヴェネツィア・ビエンナーレで、生涯業績部門の金獅子賞を受賞しており、美術業界の中では最高とも言える評価を受けています。

オノ・ヨーコはその人生を通して、人間とは?人生とは?を考え続け、世の中を理想に近づけようと試行錯誤してきたのではないでしょうか。
誰よりも人間らしく生きることにより、彼女はいつでも「愛」がその真ん中にあるということを表現し続けてきました。

オノ・ヨーコは強い人というイメージが強いですが、彼女自身は「私は弱い人間である」と話しています。
ですが、弱さを受け入れる強さと、そこから発する言葉が沢山の人の心の支えとなり、力となっているのでしょう。

現在ではファッションデザイナーとしてセンセーショナルなメンズファッションを発表しているほか、TwitterやFacebookを通してファンとの交流も精力的に行っています。

8)まとめ

あるニューヨークの学芸員は、「ヨーコはジョン・レノンと出会う前からすでに尊敬を集める芸術家であったことが広く認識されていない」と話しています。
あまりにも有名な人物と結婚したことで、彼女自身の輝きがくすんでしまっているという側面は確かにあるかもしれません。

彼女の紡いできた言葉とアートを、時を経た今なら理解できるかもしれません。
まだまだお元気でアート活動を続けて欲しいものですね。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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