ジョアン・ミロ:画面の中にリズムを生み出す自由な作風

※バルセロナにあるミロ美術館の外観

ジョアン・ミロ(1893―1983)は20世紀に活躍したスペインの画家です。シュルレアリズムの手法を用いるアーティストとして知られていますが、彼はあくまで自身の無意識または潜在意識を掘り下げていったものを反映して表現していると語っています。ミロが描くモチーフや過激に誇張された対象は、原色を基調にしたビビットな色使いによって洗練されています。彼の独特な表現技法は、20世紀美術に大きな貢献を果たしました。

<シュールな作風>

ミロの作品にダリやピカソの要素を見出す方も多いのではないでしょうか。ミロは1893年4月20日にスペインのカタルーニャ地方の中心都市であるバルセロナに生まれました。中流階級の家庭に育ち、14歳で美術学校に入学します。18歳頃からは神経衰弱とチフスに悩まされますが、芸術家としての道を歩むと決めたのもこの頃でした。というのも、治療のために滞在していたカタルーニャ地方のモンロチという小さな村の景色は非常に美しく彼の目に写り、彼の芸術心をくすぐったからです。

ミロは絵を描くことで心が穏やかになるのを実感し、翌年からはバルセロナの美術学校に入学しデッサンの訓練を行います。その後はパリで制作活動を進めるようになり、ピカソやダリ、ルネらの芸術家たちとも知り合いました。この時期に、シュールの語源となるシュルレアリスム運動の主唱者アンドレ・ブルトンとも出会ったのです。
当時からミロの作風はカラフルで幾何学的であり、それらはこれまでに類を見ない独創的な作品であったため、彼は界隈でも一際目立つ存在でした。そのためシュルレアリストの中でも一目置かれ、同僚の画家や市場からも別格の扱いを受けていました。また、この頃にアメリカ人の作家アーネスト・ヘミングウェイとも知り合い、彼らはお互いに議論を交わすなどして楽しんでいました。

<パリに10年>

ミロは1918年に、初めての個展をバルセロナのダルマウ画廊で行います。ミロの作品の中では珍しい版画も展示され、中でも「一羽の小さなカササギがいた」は大きな注目を集めました。個展の評判は良いもので、その斬新さはたちまち噂となりました。

※ミロ美術館に設置された彼の彫刻作品

その後はパリで約10年創作活動を行います。パリでの生活が10年にも及んだのは、スペインが内戦中であったことの影響もありますが、キュビズムの巨匠であるピカソやブレトンらと出会ったからと言えるでしょう。彼らの作品から大きな刺激を受けたミロのパリでの日々は、進化と充実に満ちたものでした。そして1922年に「農園」という、モンロチの伝統的な農家の家の様子を描いた作品を発表します。友人のヘミングウェイはこの作品にとても感動しこの作品を買い上げ、当時生活に困窮していたミロはその収入にかなり助けられたそうです。ヘミングウェイはこの作品に「農場という絵の中には、スペインに感じているものすべてと、スペインから離れた場所へ行くことができずに感じる葛藤そのすべてが表現されている。」という言葉を残しています。

<結婚>

1929年にミロはパルマ・デ・マジョルカでピラール・ジュンコサと結婚し、ミロはジュンコサへ「星座」という作品を贈りました。「星座」は淡い色合いの空間に、赤や黒や青などのハッキリとした色を使用したモチーフが描かれた数枚のシリーズで、全て天体をテーマにして描かれています。詩人のアンドレ・ブルトンもこの作品を絶賛し「芸術面でのレジスタンス」だと評したそうです。
そして結婚の翌年に娘マリアが生まれ、ロシア・バレエ団の「ロミオとジュリエット」の舞台セットの依頼を受け舞台芸術も手掛けたり、ニューヨークにピエール・マティスが開いた画廊で個展を開いたりと、娘の誕生をきっかけにミロは芸術形態を拡大していきます。

<ミロの影響>

ミロの芸術は彼の心の中を表現した作品だと評する人もいます。彼の作品には統一性があるようで無く、独自性の塊のような唯一無二の存在です。ミロはピカソのようなキュビズムの影響も受けつつ、カラフルなモチーフをちりばめた絵の中に生じる歪みなど、画面の中にあるもの全てを懇切丁寧に表現しています。
ミロはキャンバスの中に独自の空間を生み出し、そこにあるものたちはみなどことなく丸みを帯びていて、ビビットな色使いで描かれています。それらがミロの特徴であると言えるのではないでしょうか。

ジョアン・ミロは1983年にパルマ・デ・マジョルカで亡くなりました。往年90歳でした。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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